五
藤崎青年に呼ばれて滝田が研究室に駆け込んだのは、二日後、午後八時十七分のことだった。 渦巻き流れるモニターの砂嵐が徐々にその勢いを弱めて像を形作り始めた。 「どこかしら。林のようだけど」 「倉田さんの手か足が映ってない?」 滝田は美智子と青年の後ろからモニターをのぞきこんだ。鬱蒼とした林の中、もやが幽鬼のように漂っている。木々の間から薄暗い太陽がのぞき、木や草達に栄養分を与えている。倉田氏は林の中を歩いていく。音は聞こえなくても倉田氏が草をかき分け、踏むのが伝わってくる。 木々の間を抜けていくと突然視野が開け、モニター画面に幅の広い河が映し出された。 倉田氏は河川に沿って下流の方へと歩いていく。のんびりと河をながめながら散歩を楽しんでいるのだろうか。 そんなふうにしてしばらく歩いていると、徐々に流れが速くなってきた。おや、と滝田は思う。急流の中央部に何かが見える。最初、それは石か何かに見えた。だが、動いていて浮き沈みを繰り返している。倉田氏も気を引かれたらしく見つめている。 その石のようなものの左横から、何かが現れて沈んだ。もう一度水面から顔を出し、周りに水しぶきをたてた時、滝田はそれが何であるかがかろうじて分かった。人間の手だ。大人のものではない。子供の腕だ。滝田は心臓が締め付けられるのを感じた。おそらく美智子も同じ感触を味わったに違いない。 「ちょっと、あれ、子供がおぼれてるんじゃないの?」 倉田氏も同じことを考えているだろう。ただひたすら、その方を見つめている。水面から子供が顔を出した。苦しそうに目を閉じている。一旦水面下に沈み、再び水しぶきとともに浮き上がった。そのほりの深い顔立ちは日本人のように思えない。今までの経緯から考えると、古代エジプト人だ。 「助けなくていいんですか」 青年が緊張を含んだ声をもらす。 「助けるって、どうやって? 倉田さんがその気にならなければ救えないわ」 滝田は、青年と美智子が驚くようなことを言った。 「いや、ひょっとすると助けない方がいいのかもしれないぞ」 振り向いて滝田をにらみつけたのは美智子だ。 「何言ってるんです! どうして助けない方がいいんですか!」 「いいかい? あの子供は、名も無い農村の名も無い人間かもしれない。しかし将来歴史に名を残すようなファラオになるのかもしれない。あるいはヒトラーのような残忍な人間になるかもしれない。あの子供を救うことで、歴史が変わってしまう可能性がある」 「そんな!」 「倉田氏は元々この歴史の流れの中にいなかった人間かもしれない。この映像が、倉田氏の前世の記憶がそのまま映っているのでなければね。つまりこの人物が倉田氏の夢が作り出した存在だということだが。しかし、倉田氏は夢の中で行った通りに現実を変えてしまうことができるようだ。彼が歴史の流れにタッチすることは危険だ」 「それじゃあ先生は、あの子供がどうなってもいいんですか! 逆にあの子を助けることこそ、正しい歴史の流れなのかもしれないじゃないですか!」 倉田氏はそんな二人の議論をよそに急流に近づいていく。河との長いにらみ合いが続く。 突如、モニターの風景が水の上を飛んだ。数秒真っ暗になり、次の瞬間画面は大量のあぶくに覆われた。大小さまざまの泡が押し寄せてくる。 顔を水上に出したらしく、今度は大量の水しぶきがディスプレイをおおいつくし、そのすきまから対岸の土が見えた。映像は水の中に入ったり出たりを繰り返した。子供がだんだんと近づいてくる。 ついに少年にたどりついた。その顔が画面一杯に映し出される。回転して後頭部へ、そして頭のてっぺんへと変わっていく。子供を抱きかかえる筋肉質の胸と腕が浮き沈みを繰り返す。水に濡れるそれらは褐色の肌であった。 子供を抱えたまま立ち泳ぎで岸へと近づいていく。滝田達が手に汗にぎる中、ようやくたどりついた。土の上に少年を寝かした。やはり日本人ではないようだ。胸をリズミカルに押し始めたところで画面が暗くなってきた。 「ああ、いいところなのに」と青年がささやく。 夢が終わる瞬間、なんとか子供が水を吐き出し、意識が回復するのを見ることができた。 「終わった」 滝田がつぶやく。 「あの子は助かったんだわ」 美智子は、はしゃいだ声を出した。 「何か、変わったか」 滝田は周りを見回した。 「え?」 「子供を救助する前と後とで変わったことはないか」 「そんな。本気で言ってるんですか。あの子を救ったからと言って私達の身の周りに変化が起こるわけがありませんわ」 滝田は美智子に説明する気にもなれなかった。彼女を説得するのは骨が折れる。たしかに、我々の日常は古代エジプトとはなんら関係のないささやかなものだ。しかし、あの少年がエジソンの遠い遠い祖先ではないと、どうして言えるだろう。子供を助ける以前はエジソンなる人物は存在しなかったのかもしれない。救ったその瞬間に、かの発明王が存在する歴史の流れに、切り替わったのかもしれない。しかし滝田達にとっては幼い頃からエジソンという偉大な人物が実在したはずだ。だが、本当はそうではなかったのかもしれない。たった今、そういうふうに全てが塗り替えられてしまったのかもしれない。 風が吹けば桶屋がもうかる、という論理で、少年の命が救われた結果第二次世界大戦が起こったのではないと、どうして言えるだろう。彼が生き残った結果広島と長崎に原爆が落とされたのではないと、どうして言えるだろう。 そう考えると、滝田は素直に喜ぶことができなかった。
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