二
ディスプレイが何かの像をむすび始める。滝田の胸に研究者の冷静な感情が戻ってきた。寂しさや不気味さが、心の中から消え去る。だがその冷静な感覚は、すぐさま驚きへと変わった。 どこだろう? またしてもどこかの部屋のようだ。幸いにして、というべきか、ここではないようだ。あきらかに古代エジプトでもない。明かりが灯っている。廊下だ。前に見たような風景だ。どこで見たんだろう。現代だろうか。それとももっと前だろうか。日本の家屋のように見える。 滝田はようやく思い出した。倉田家だ。倉田の妻に会いにいった時に見た、倉田家の廊下だ。倉田恭介は夢の中で、自分の家に戻ってきたのだ。古代エジプト人として? それとも倉田恭介自身として? 慌てて窓から倉田氏を見る。眠ったままだ。急いでモニターの前に戻る。 夢の中の倉田氏、あるいは謎のエジプト人は、泥棒が盗みに入ったような感じで廊下を歩いていく。 倉田氏は、滝田があの時案内された部屋のふすまを開け、中をのぞいた。室内は真っ暗だ。するともう家族達は寝てしまったのだろうか。滝田は腕時計を見る。まだ十時二十一分。もっとも、これは現在の倉田家とは限らないが。 開けっぱなしにしたまま、そこから離れる。倉田氏は階段の方へ歩いていく。 家族が寝てしまったとすると、廊下の明かりがつけっぱなしなのはおかしい。倉田氏は階段にたどりついた。真っ暗だ。壁を見て、その明かりのスイッチをつけた。 これで合点がいった。廊下の電灯は、倉田氏がつけたのだ。足元を見ながらゆっくりとのぼっていく。 「あっ」 滝田は思わず声をもらした。それは、古代エジプト人の褐色の足ではなく、やせ細った青白い裸足の足だった。あれは倉田氏のものだ。前は古代エジプト人だったのに、なぜいきなり倉田氏自身になるのだ? 階段をのぼりきるとまたしても廊下があった。倉田氏はその明かりもつける。かなり大胆な行動だ。倉田氏の夢の中の行為がそのまま現実になるとすると、家中の照明をつけて回っていることになる。家族の誰かが起き出したらどうするのだ? 左手にある木製のドアを少しだけ開いた。廊下から差し込む光で中の様子がうっすらと見える。そして大きく開き、入っていく。布団が二つ敷いてある。倉田氏は二人の人物を交互に見つめる。一人はこの間見た子供だ。あとの一人はもう少し大きい子だ。たぶんお兄ちゃんだろう。 しばらくの間、画面は二人の子供の顔を映していた。倉田氏にとっては久しぶりの再会だ。 反転し、部屋から出ていく。木のドアをゆっくりと閉める。今度は通路をはさんで反対側の扉を開けた。中はやはり真っ暗だ。廊下からの光でかろうじて様子が分かる。倉田氏は室内に入りこんだ。画面がそこに寝ている人物のアップになる。倉田の妻、芳子だ。 滝田の頭に、あるアイデアが浮かんだ。実行するには少し勇気がいるが、声を変えれば大丈夫だろう。携帯電話を持ち倉田の家に行った時に聞いておいた電話番号をタップする。もしもモニターの情景が現在のそれであるならば、うまくいくはずだ。 風景が反転した。足早に部屋を出る。画面がすごいスピードで動いていく。階段へ、そして階下へ。 うまくいった。電話は一階にあるらしい。倉田氏は台所に飛び込んだ。廊下から漏れる明かりで薄っすらと情景が分かる。入ってすぐの所にある固定電話の前に立った。 さすがに、倉田氏が受話器をとってくれることは期待できない。かけている相手は倉田の妻だ。倉田氏はどうしてよいのか分からないというふうに、そのまま電話を見つめている。画面が回転し、台所の入り口を映す。倉田の妻が登場した。眠そうに目をこすりながら、明かりをつける。映像が少し横にずれた。倉田恭介がいた場所に立ち、受話器をとった。彼女には倉田氏の姿が見えていないのか? 「はい、もしもし」 滝田は鼻をつまんで話し出す。 「あ、奥さん? すみませんが、ちょっとそのまま私の話を聞いてくれやせんか」 「あの、もしもし? どなたですか?」 「廊下の電気、ついてたでしょ? 階段も」 「まあ」 倉田の妻は例の耳障りなきんきん声で驚いた。 「あなたがやったのね? 泥棒!」 「いえいえ、あたしゃ奥さんの家に入ってませんけどね。ちょっと、和室のふすまも見てきてくれやせんかね。開いてるはずなんですけど」 「ふざけないで! この変態」 「大真面目ですよ。あのちょっと、左を見てくれやせんか」 「えっ」 彼女がこちらを向いた。そして彼女の前には、彼女の旦那が立っているはずなのだ。 「何か、見えやせんかね。誰か立ってません?」 「何言ってるのよ。気色の悪いこと言わないで。この変態」 おや? と滝田は思った。モニターの風景が、右に、左に回転し始めたのだ。辺りを警戒しているらしい。感づかれたかな、と滝田はひやりとする。 「あ、もうそろそろ切りやすんで。お休みなさい」 「ちょっと、待ちなさいよ」 携帯を切る。倉田の妻は画面の向こうで何か言っている。だいぶ怒っているらしい。しばらくして、ようやく電話の前から離れた。部屋の電気が消える。 一分近くたって、再び台所の明かりがついた。電灯のスイッチが映っている。 どうする気だろう、と思っていると、電話機の前に戻った。ボタンをプッシュし始める。しまった。非通知でかけるべきだった。着信音が鳴る。無視すべきかどうか一瞬迷ったが、ボタンをタップした。背筋の寒くなるような声がこう言った。 「人の夢をのぞくな」 モニターが急速に暗くなり、消えた。
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