六
眠れない。滝田は寝返りをうつ。もう何度こうして、ベッドの上で体を回転させたことか。 人はなぜ眠るのか? 決まっている。脳を休ませるためだ。ずっと眠らずにいるとどうなるか。幻覚を見る。それでも眠らずにいるとどうなるか。死ぬ。 滝田は起きてゆっくりと立ちあがる。寝室をさまよい、明かりのスイッチを探す。住みなれた家だ。目をつぶったままでも、スイッチを探り当てることができる。 不眠に悩む人がいる。一ヵ月も眠っていないと言う。だが、そういう人は実はちゃんと眠っているのだ。浅い眠り。立ったまま眠っている。起きながらにして眠っている。目を開いたまま脳は寝ている。だから死なない。 明かりをつけ、部屋を出る。 滝田は階段を下りる。この先にはキッチンがある。台所は主婦の戦場だ。だがその主婦殿は、もういない。滝田は自分のほほがひきつるのを感じた。 そこには何があるか? ウイスキーだ。若い頃はビール派だったのに、すっかりウイスキー派に転向してしまった。 人はなぜ酒を飲むか。大人になるためか。子供時代と決別するためか。いや、そうではあるまい。男の言い分だ。女はどうなる? 女は、酒も煙草もやらなくても、立派な大人になっている。 ダイニングの明かりをつける。蛍光灯がしばらく点滅する。もうそろそろ交換しなくてはならない。面倒くさいと滝田は感じる。LED照明が一般的になった現在でも、滝田の家では蛍光ランプを使っている。あの中には電気を受けると光る気体が封入されているんだとか。はてそうだったかな。学校で習ったような気がする。記憶があいまいだ。確実に歳をとってる。いやだ、いやだ。電気の刺激を受けて、それで光っている。交流電流が、行ったり、来たり。 食器棚の下から、ウイスキーを取り出す。グラスに注ぐ。 冷凍庫から氷を取り出して入れる。さっそく一口飲みこむ。のどが熱くなる。腹が熱くなる。 酒が眠りを誘発するまでの時間、今日も女房殿と過ごすか。そうしよう。和室に行こう。 明かりをつける。こちらの蛍光灯はまだ大丈夫だ。重々しく仏壇の前に腰をおろす。 女房殿に乾杯。左手に持ったボトルを畳の上に置く。右手に持ったグラスを口に運ぶ。 人はなぜ夢を見るか。これは難しい。滝田がずっと取り組んできたテーマだ。夢を見ないと死ぬか? まさか。 人はレム睡眠の時に眠りが浅くなる。だからこの時に起きるのが理想的だ。脳が活発になっているから夢を見る。夢は脳の働きの一つの現象だ。それだけのことにすぎないはずだ。だが倉田氏は違う。夢が、本来の意味とは全く違った意味を持ってしまっている。 あれは一体何だ。 酒を一気にあおる。おかわりをつぎたす。飲酒するとなぜ眠くなるか? 脳の活動が弱まるためだ。アルコールの効用とはまさに、そこにあるのだ。 滝田は、急激に酒が効いてくるのを感じた。さて、もう一杯。いいぞ。脳の働きが弱まってくる。徐々に、眠気を催す。さらにもう一杯。 滝田は、立ちあがるのが億劫になってきた。仏壇を見つめたまま、横になる。今夜はこのまま、女房殿といっしょに寝てしまうことにしようか。
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