三
「どうした」 滝田は室内に飛び込むなり怒鳴るように言った。時刻は夜の八時を過ぎ、今日も何の進展もなしかと思いつつ、帰ろうとしていた矢先のことであった。 すっかりかわいらしくなってしまった夢見装置のモニターが目に入り、その画面をのぞきこもうとした。 「こっちです」 美智子が青ざめた顔をして窓辺に立ち、手招きするのが目に入った。滝田は一瞬のうちに、何か今までとは違う現象が起こったのを直感した。 窓辺に立ち、両の手のひらをガラスにおしつけた。 「あっ」 今までは、倉田氏が眠っている姿しか見たことがなかった。しかし今の倉田氏は立ちあがっていた。酔っ払いのように体をゆらめかせながら、腕から点滴の管をぶらさげたまま、立っているのだった。アイマスクは自ら取り去ったのか、床に落ちてしまっていた。 それは予想していたことのはずであった。倉田氏は、現在は一ヵ月に一度程度の割合でレム睡眠行動障害の状態を示すと、高梨医師から聞いていた。そして倉田氏の担当医師が最後にそれを目撃した日からは、とっくに一ヵ月以上経過していた。 「夢は? 夢はどうなってる?」モニターに駆け寄りのぞきこむ。「人が映っている」 「そうです」美智子が静かに言う。「初めてのことですね」 ずいぶんと大勢の人間がいる。上半身裸で、下にスカートのような腰布をつけた、褐色の肌をした男達だ。何か作業をしているようだ。彼らは古代エジプト人なのだろうか。何をしているのだろう。 モニター画面の情景は、右に行ったり、左に行ったりを繰り返している。 「常盤君、倉田さんは何してる?」 「なんだかきょろきょろしています。周りをながめているみたい」 やはり、倉田氏のレム睡眠行動障害時の挙動と夢の内容とが一致しているようだ。 「あ、左の方をじっと見ています」 モニターの動きが止まった。大きな、四角い石を数人がかりで運んでいる。石の下に木でできたそりのようなものが敷かれ、それにつないだ綱を何人もの男達が引っ張っている。その後方にも、別の石を運んでいる男達が続いている。よく見ると、石の前方で男が水をまいている。巨石を運ぶ男達の列がはるか彼方まで続いている。 モニターに映る風景が、わずかに上下しながら移動し始めた。 「倉田さんが歩き出しました」と美智子が言った。「あっ、点滴を抜いたわ」 画面の中で、倉田氏はその石を運んでいる男達に近づいていく。滝田は窓のそばに行き、見下ろした。倉田氏はゆっくりと歩いていき、やがて部屋の壁につきあたった。 ヘルメットからは、コードは出ていない。得られた信号は無線で夢見装置本体へ送られる。レム睡眠行動障害や睡眠時遊行症で動き回ることを想定してそういう仕様になっているのだ。 再びモニターの前に戻る。男達と倉田氏の間の距離は、あきらかにベッドと壁の間隔よりも離れていたのに、画面では男達がアップになっていた。瞬間移動でもしたのだろうか。 画面の右下から、褐色の肌をした腕が綱をひいている男の一人に向かってのびた。 「君達は何をしているんだね」 隣の部屋の音を伝えるスピーカーから野太い声がした。 「壁に向かって話しかけてます」 「日本語だね」 滝田は胸の前で両の手の指を組んだ。御見氏の時と同じように、古代エジプト人の声色に変っているのだろうか。それとも倉田氏自身の声なのだろうか。本人の声音はまだ聞いていない。 話しかけられた男は画面に向かって何かわめきちらした。しかし、当然声は聞こえない。 映像はその男から離れ、かわりにそりの前に水をまいている男の方に移動した。 「君達は何をしているのだ」 男は倉田氏の問いに応じたようで、身振り手振りをまじえて何か説明している。 「どのファラオだ」スピーカーから倉田氏の言葉が聞こえる。「ヒッドフト王? 知らない名だ」 男はさらになにか言っている。唇の動きからして早口でまくしたてているらしい。ずいぶんと落ちつきのない男で、さかんに手を動かしている。しかしそのボディーランゲージからも、何と言っているのかは読み取ることはできない。 「分かった。もういい。邪魔したな」 男が再び水をまき始めた。その時、画面がふっと暗くなった。 「夢が終わりそうです」 後ろからのぞきこんでいた青年が言った。 滝田は慌ててスピーカーの所に行き、その横に立っているマイクのスイッチをオンにした。 「倉田さん、聞こえますか。倉田さん」 その音声は隣室のスピーカーユニットから出力される。 振り向いて画面を見ると、元の明るさを取り戻していた。風景があっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている。倉田氏が驚いて辺りを見回しているのだろう。 「何者だ。私を呼んでいるようだが、私はクラタという名ではない」 「私達はあなたと話がしたいんです。いいですか?」 「寝言と会話してる」 藤崎青年が呆然としたように言った。 「お前はどこにいるのだ。姿を現せ」 「僕、行ってきます」 青年が駆け出した。 「私も。先生はどうします?」 「僕はここに残ってモニターを見張っている。さあ、早く行って」 美智子は青年を追って、すごい音をさせてドアを叩きつけ、出ていった。その時初めて、滝田はマイクを握りしめる手に汗をかいていることに気がついた。 「倉田さん、じゃなくて、あなたはなんという名前ですか」 「無礼な奴だな。まず自分から名乗るのが礼儀だろう」 「失礼しました。私は滝田という者です」 「タキタ? 私に何の用だ」 「あなたの名前は何ですか」 「私か。それがな、私にも分からないのだよ。なんとか思い出そうとしているのだが、どうしても思い出すことができないのだ」 「あなたはさっき、何を聞いていたんですか」 「ああ、彼らが何をしているのかということだよ。なんでも、ヒッドフト王のペルエムウスを作るために、石を運んでいるのだそうだ」 「ヒッドフト王? そりゃ誰です」 「さあな。聞いたこともない名前だ」 「あなたは今どこにいるんですか」 スピーカーから美智子の声が聞こえた。 「なんだ。すぐそばから女の声がしたぞ」 美智子は倉田氏の近くにいるらしい。 「それは私の仲間です。これからあなたにいくつか質問をします」 目は開いていたからうまくすると二人が夢の中に入り込まないかと期待したが、残念ながら姿は現さなかったようだ。 「どこ、と言われても、私にも自分がどこにいるのか分からないのだよ。君達はいったい何者だ」 「あなたはこの間までサッカラにいました。その前はギザにいました」 美智子は無視して話を続ける。 「サッカラ? ギザ? 私には何のことか分からないが」 「あなたはこの間スフィンクスを見ていたわ。その次はジェセル王の墓。違いますか」 「スフィンクス? なんだね、それは」 滝田が割り込む。 「顔が人間で体がライオンの像のことです」 「ああ、あれか。確かに私はそこにいた。ジェセル王の墓も見た。だからきっと私はまだその辺にいるのだろう」 画面が一瞬暗くなった。 「自分の意志で移動しているんじゃないんですか」 美智子がとげとげしい口調で聞く。 「分からない。私は自分が誰なのかも、どうしてこんな所にいるのかも、さっぱり分からないのだ」 「嘘よ。あなたは何か隠してるのよ。あなたどうして私達の研究室に現れたの? 夢見装置のモニター壊したの、あなたでしょ」 「おお、これはどうしたことだ。まるで罪人扱いではないか」 モニター画面が二度瞬いた。慌てて美智子を制する。 「常盤君、やめなさい。すみません。この女性の無礼をお許し下さい」 滝田は、もうあまり時間がないと感じた。 「あなたは、インドに行かれたことはありませんか? あるいは、日本に来たことはないですか?」 「インド? ニホン? それはどこにあるのだ。聞いたこともない場所だ」 モニターを振り返る。画面が徐々に暗さを増していく。 「私は疲れた。もうそろそろ休ませてくれないか」 「最後にもうひとつだけ。ちょっと自分の足を見てくれませんか」 「自分の足?」 モニターの風景が、ゆっくりと下がった。そして、倉田氏、というよりも夢の中のその人物の、胸から下を映し出した。 半円形の、青や赤や紫の小さな四角形をたくさん組み合わせて作られた首飾りが見える。その下には褐色の筋肉質の胸が、そしてひきしまった腹が、さらに下には白い腰布が、そして砂の上に半ば埋まった裸足の足が見えている。 「先生、もう夢が終わりそうなんですか?」 美智子が叫ぶように言った。 「ああ、もう限界だ」 美智子は奇妙な呪文のような言葉をつぶやき始めた。 「あなたはまた、夢の中で目覚める。あなたはまたすぐに、夢の中で目覚める。あなたはまたすぐに、夢の中で目覚める」 何言ってんだあいつ、と、滝田は心の中で舌打ちした。 モニターの風景が急速に暗くなり、そして消えた。 「あっ、倉田さん」 声に驚き、窓に駆け寄って下を見ると、倉田氏が倒れていた。
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