二
美智子は研究室の椅子に腰かけて、ファイルをめくっていた。背に「明晰夢関連」と書かれたそのファイルは、美智子が滝田にエジプト関係の本を渡したのと引き換えに、滝田が彼女に渡したものだった。「明晰夢?」とつぶやいた時、滝田は生真面目な顔をしてうなずいてみせただけだった。 滝田という男、なかなか頭がきれるのだが、何を考えているのか分からないところがある。たぶん、こんなファイルを渡したのも、今回の件と明晰夢がなにかしら関係していると考えてのことだろう。理論的に筋道立ててそう考えたのではなく、たぶん思いつきだろう。そういうことが多いのだ。しかしその発想が、案外的を射ていたりする。しかし理論派の美智子から見ると、滝田のそういう所が受け入れられない。 ドアが開く音で顔を上げると、藤崎青年がモニターを抱えて入ってきた。 「大丈夫? 重そうね」 「手伝ってくださいよ」 「あら、男の子でしょ? レディーに重いもの持たせるの?」 「まったく」 青年はもともと大型モニターが置かれていた箱の上にそのディスプレイを降ろした。 「一階の資料室からかっぱらってきました」 「あら、いけないわね」 「いいんですよ。あそこのパソコン、誰も使ってませんもん」 「パソコンのモニターなの? つながるの?」 「ええ、もちろん」 青年は当然というふうに言った。 だが、美智子にはPCのモニターが夢見装置につながる仕組みが分からない。超新星の爆発や、ブラックホールの近くでの時空の歪みについてはよく知っているが、こういうのはまるでだめなのである。 「私、手伝わないわよ。家のディスク再生装置だって、電気屋さんにつなげてもらったんだから」 「ええ? 僕だってもう疲れちゃいましたよ。一階からここまでこれ持ってくるの、大変だったんですから」 青年はため息をつきながら椅子に腰をおろした。 「ほらほら、こうしてる間にも、倉田さんが夢を見るかもしれないわよ」 「意地悪だなあ」 青年はしかめっ面をして、面倒くさそうに立ちあがった。モニターの背面に回り込む。 「常盤さん、そこのHDMIケーブル、取ってくれます?」 「えっ、どれ?」 「足元の、箱から出てるやつですよ」 床を見ると、箱からこちらに向かって何本かのケーブルが伸びている。 「知らない」 椅子を回転させて、ファイルをみつめる。 「まったく、もう」 青年が背後のすぐ近くでかがみこむのを感じた。 「その辺にコンセント余ってません?」 「さあね。探せばあるわよ。頑張って」 青年はしばらく作業をしていたが、美智子はもう興味を失って資料に没頭し始めた。 「さあ、やっと終わった。だいぶ小さくなっちゃいましたけど、ちゃんと映りますから」 青年がスイッチを押し込む音が聞こえ、続いてディスプレイのかすかにうなるような音が聞こえた。 「あの……常盤さん?」 「なあに?」 「当たりですよ」 「なにが?」 「さっき言ったじゃないですか。こうしてる間にも倉田さんが夢を見るかもしれないって」 美智子は驚いて立ちあがった。青年の後ろからモニターをのぞきこむ。そこには例によって例のごとく、白と黒の幾千もの点が渦巻いていた。 「グッドタイミングね」 「ええ、間一髪でセーフですよ」 砂嵐の画面は、ずいぶんと長い間続いた。やがて、点と点同士が集まり、像をむすび始めた。 その時、何か、小さな物音が、背後でしたような気がした。美智子は振り返ってみたが、しかし何事もなく、機器類が整然と並んでいるだけだった。再び、何かを映し出そうとしているモニターを見つめる。 今度ははっきりと、人間のうめくような声が聞こえ、驚いて後ろを見た。その声は、隣の部屋の音をひろっているスピーカーから出たように思えた。 「うーん」 今度は大きく、人間の低いうめき声がそのスピーカーから聞こえた。美智子ははじかれるようにして窓辺にかけより、倉田氏を見下ろした。 「藤崎君、大変。すぐに先生を呼んできて」
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