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作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

第12回   手がかり 三
   三

 高梨の話には嘘があった。たしか、精神的には何の問題もないと言っていたはずだ。そうではなかった。悩みがあったのだ。
 滝田はそこだけ他の建物のようには道に面しておらず、遠慮がちに引っ込んだ所に建っている小さなビルの正面玄関の前に立っていた。縦にトーテムポールのように並んでいる看板を見上げる。「二階 和田幸福研究所」とある。同じ研究所でも滝田のそれとはだいぶ趣が異なる。中に入り、小さなエレベーターに乗る。四人も乗れば窮屈に感じられるほどの狭さだ。降りると、廊下をはさんで正面に銀の枠で囲まれたガラス製の、観音開きのドアがあった。案内は出ていないが、他に扉がないのでそれが和田幸福研究所だろう。
 少し躊躇したが、意を決して中に踏み込んだ。左側に、町の小さな病院のそれに似た受付がある。誰もいなかったが、「すみません」と声をかけると黄色いセーターを着た目鼻立ちの整った女性が現れた。
「あの、和田先生に面会を申し込みたいんですが」
「会員証をお持ちですか」
「いえ、私、会員ではないんですが、和田先生とちょっとお話ししたいことがありまして」
 女性の顔が怪訝そうな表情に変わる。
「先生は会員ではない方とはお会いしません」
「倉田恭介さんのことについてお話を聞かせていただければと思いまして」
 女性がパソコンを操作するのをみつめる。
「こちらの加入者の方ですね。しかしプライバシーをお教えすることはできません」
 困ったな、と思ったが、このまま帰るわけにはいかない。一か八かだ。
「では、御見葉蔵さんについてお話ししたいのですが」
 女性が滝田をにらみつける。ビンゴだ。
「少々お待ち下さい」
 立ち上がって、姿を消した。そのまま戻ってこない。滝田は靴先を鳴らし始めた。
 五分近く待たされて、ようやく戻ってきた。
「お会いになるそうです。正面のドアからお入り下さい」
 軽く礼をしてこげ茶色の扉を開けると、そこにまた別の女性が立っている。他には誰の姿もない。この女が“先生”なのだろうかと思っていると「どうぞこちらへ」と言って滝田を案内する。「第二応接室」という札がかかった別の部屋のドアを開け、「先生、お客様です」と中の人物に告げ、滝田に向かって丁寧におじぎをする。
 中から、「どうぞ、入って下さい」という声がした。入っていくと、ゆったりとしたソファに腰掛けていた男が立ち上がった。ポマードで髪をオールバックにした、初老の男だ。
「あ、どうも今日は。私こういう者なんですが」
 滝田は倉田の妻に渡したのと同じ名刺を男に手渡した。男は目を細めてしげしげとながめた。
「ほう、病院の院長先生ですか」男はにこやかな笑みを浮かべた。「私はここの所長の和田です。で、今日はどんなご用ですか」
 手の平で男の向かい側のソファを指して、ゆっくりと腰掛ける。滝田も座った。
「実は、うちの患者に倉田恭介さんという方がいるのですが、その人についてお聞きしたいことがありまして」
「ええ、聞きました。こちらに来られていた人ですね」
「そうです。その方が今実に不可解な病気にかかっておりまして。お聞きになっていませんよねえ」
「いや、奥さんの方からうかがっていますよ。なんでも昏睡状態と夢遊病がいっしょになった病気だとか」
 夢遊病とレム睡眠行動障害とは別物なのだが。
「奥さんもこちらに来たんですか」
「ええ、すごい剣幕でしたよ。あなた達が主人をおかしくしたんだって、そんなことを言うんですよ。まったく、困ったことです」
 滝田はいつも話の核心にふれる時にそうするように、相手の瞳をしばらくみつめた。
「実を言いますとね、私も、こちらの研究所が倉田さんに何かしたんじゃないかと思っているんですよ」
 和田は柔和な表情をくずさず、少し首を横に傾けた。
「おやおや、奥さんはともかく、病院の偉い先生までそんなことをおっしゃる。私達が何をしたのでしょうか」
 倉田芳子の話を聞いた時に直感した。新興宗教といえば……
「洗脳ですよ。あなた達は、例えば倉田さんに、誰か別の人間だと思わせるように、思想を改造したんじゃないですか」
 和田は狐につままれたような顔をした。
「ああ、奥さんから聞いたんですね。我々が宗教団体だって」
「違うんですか?」
「私達は、人間が幸福になる方法を研究しているんですよ。しかし宗教団体ではありません。あなたは、私達が倉田さんを別の人間にしたと言うが、そんなことが簡単にできるんでしょうか? いったいどうやって。何のために」
 滝田は困った。洗脳の結果、あんなふうになったのだとすれば、無理にこじつければ何とか説明がつく。倉田氏が詳細を語ったのは御見葉蔵氏の人生だけだ。あとの二人はあいまいだ。この研究所がなんらかの方法で御見氏についての情報を得ていて、その人格を倉田氏に植え付けたのだとすれば、少なくとも御見氏についての謎は解決する。しかし、洗脳ではないと言い張られては、どうしたらいいのだろう。たしかに、人間を全くの他人だと思わせるのは、そんなに簡単にできそうもない。一つのキーワードが浮かんだ。
「催眠はどうです? あなた達は倉田さんに催眠術をかけたのではないですか?」
「私達は悩める人を救うために、催眠を使うことはあります。それはその人の悩みを、より良く知るためです。人は心の秘密を、なかなか打ち明けないものです。その壁を取り払ってあげる必要があるのです」
「倉田さんにもかけたんですね?」
「ええ、かけましたよ。もちろん事前に本人の了解を得ています。何か問題がありますか?」
「どんな種類の催眠術ですか。使い方を間違えると、非常に危険な行為だと思いますが」
 和田の顔が、一瞬くもったように思えた。しかしすぐににこやかな顔に戻る。
「それをあなたに言う義務があるのでしょうか。私達は倉田さんのプライバシーを守る責任があります」
「別に倉田さんがどんなことをしゃべったか教えてくれと言ってるわけではありません。私はあなた達が倉田さんを人形みたいに操ったのではないということが分かればそれでいいんです」
 和田の笑みがくずれた。目は笑みを保っているが、口元がゆがんだまま戻らない。
「退行催眠ですよ」
「え?」
「記憶をどんどん過去にさかのぼらせていくのです。人の悩みは幼少期にどんなふうに育てられたか、どんな大人達と接したかに大きく関わっていることが多い。それを知るためです。倉田さんを操るためではありませんよ」
「どこまで戻らせたんですか? つまり、何歳頃まで戻ったか、ということですが」
 その質問はひらめきだった。まだ何かが明瞭に分かったわけではなかった。しかし、御見葉蔵氏が過去の人物であることと、退行催眠という言葉が、瞬時に頭の中で結びついたのだ。
「どこまでって、今言いましたように、幼少期ですよ」
「何歳ですか。それとも」自分でも思いがけない言葉が出た。「生まれる前ですか?」
 和田の表情がさらに険しくなった。
「これ以上は秘密です。倉田さんのプライバシーに関わります。悪いが、次の方が私を待っています。もうそろそろお引取り願えませんか」
「退行催眠というのは、そんなにほいほいとかけていいものなんですか? あなた達はそういう資格なり、免許なりを持っているんですか? それは法的に問題ないんですか?」
 和田が今までの温厚な態度からは想像もできないような、薄気味悪く不気味な表情を浮かべた。
「いいでしょう、お話ししましょう。秘密は守っていただけますね」
「ええ、誰にも言いません」
「私達も驚きました。退行催眠で前世の記憶がよみがえったというような話は、いくつも聞いたことがありますが、まさか本当に目にする機会にめぐり会えるとは。倉田さんは突然、今までの様子とは全く違ったふうにしゃべりだしたのです。『ここはどこだ。お前らいったい、こんな所で何をやっとる』とね。後のことはご存知でしょう。彼は御見葉蔵さんとして詳しくお話を聞かせてくれました。しかし、当然それはその場で終わらせましたよ。後日、私達は御見さんのお墓参りをさせていただきました。それで前世の記憶だと確信するに至ったのです。奥さんからご病気のことをお聞きした時にはびっくりしました。しかし夢遊病と私達とは何の関係もありません」
「しかしあなたは恐れている。もしかしたら犯罪者にされてしまうかもしれない。違いますか?」
 催眠をより高めていけば、洗脳やマインドコントロールも可能なのではないか?
「あなたは大変な誤解をされているようだ。催眠をかけるのに資格や免許は必要ありません。会話と同じですよ。『私が合図をすると、もう声が出ません』というのと、『とても美味しいですよ。買いましょう』というのはあまり差がありません」
 催眠術を使って詐欺まがいの商売をすることも可能だと言っているようにも聞こえる。
「仮に催眠を使って人に罪を犯させたとしても、法的な場で術者の責任を追及するのは難しいでしょうね」
 そういうことを裏でやっている、とも取れる発言だ。
 その時ドアが静かに開いた。見ると、いかつい警備員が立っていた。
「次の方が私を待っています。お引取り願えますか?」
 和田は繰り返した。


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