「昨日、お電話した松田です」 海翔は少し驚いた。松田という人は配送業者だと思っていたが、玄関のモニタに映っていたのはスーツ姿だ。しかも2人いる。 「私、環境省の自然環境保全基礎調査を行っている者です。こちらは大学教授の南先生です」 「えっ!どういうことですか?」 「藤本さんのお宅でゴキブリを発見されたと伺いましたが」 「そうです。だから殺虫剤を・・」 南教授が突然話し出した。 「Gゼロは普通の殺虫剤ではありません。殺虫剤にはいずれ耐性を獲得し、それは遺伝します。私は耐性に関係する遺伝子を見つけたのです。それは性フェロモンに関する遺伝子座にあったのです。その遺伝子の働きを止める薬剤によって、ゴキブリは殺虫剤の耐性を失う。効かなかった殺虫剤が効くようになるのです。同時にゴキブリの雌は性フェロモンを出さず、雄は性フェロモンを感知できなくなる。つまり子孫を残せなくなるのです」
「さすがです、南先生の業績は素晴らしい。それでゴキブリはほぼ絶滅したのです。ところが藤本さんのお宅に生息していた。我々も驚きました。奇跡です」 「実験室か昆虫博物館にしかいないと思っていたが、このような自然環境で生き延びていたのは奇跡です」 「ちょっと待ってください。僕たちは困っているんです。あんな気色の悪い・・」 「ゴキブリは大昔から人間と供に暮らしてきたのです。森では生きられません。人の家こそゴキブリにとっての自然であり理想的な・・」 後ろで聞いていた咲楽が南教授に怒鳴った。 「いい加減にして下さい。そんなにゴキブリがお好きなら、あなたの家で飼えばいいでしょう」 「わ、わたしはそれでも良いのですが・・・事情がありまして」 「私はあんなのと暮らすのは断固拒否します。Gゼロをください。お金は払います」 「Gゼロは製造中止で使用も禁止です」 「だったら殺虫剤を買います」 「奥さん、絶滅危惧種を殺傷すると5年以下の懲役または500万円以下の罰金ですぞ」 「えっ!」
「それと、ここにゴキブリが生息していると言うのは差し控えてください。でないとマニアがどっと押しかけてきますよ。許可なしの捕獲も同じ罰則です」 「私達があれを捕まえるなんて、ありえません」 「人家で捕獲、採取された場合はですね、過去の判例では住民が協力あるいは黙認したとみなされ、住民も同罪となっています」 海翔と咲楽は呆然と立ち尽くしていた。 「台所にカメラをセットしますが、暗い時だけ作動する暗視カメラです。住民の方を映すことはありません」 松田氏はそう言うと、玄関のドアを開き合図をした。作業服の男が脚立とカメラを抱えて家に入って来た。
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