元根町に下水処理場はなく、各家に浄化槽があるのは町から説明があった。浄化槽の点検、清掃等は町が指定する業者がやる。海翔と咲楽にとって浄化槽は初めてだが、業者任せなので気にも留めなかった。 暗渠にいたゴキブリは浄化槽を通って家にきたはずだ。そう思って改めて見ると、海翔の家の浄化槽は大きい。しかも家と蔵の間にある。もしや、と思って蔵の反対側を見ると浄化槽がない。大きいのは海翔の家と宝来軒とで共用だからだ。
海翔は咲楽の言葉を思い出した。宝来軒の前は『蕎麦処みなもと』だった。『みなもと』とは源の訓読みで、丸源の店だったはずだ。丸源が自分の蔵で蕎麦屋を始めたのだ。その時に蔵を改造して水回りの設備を付け、浄化槽を設置した。それは22年前の海翔の家の新築と同時期だったのではないか? 母の話では、Gゼロを使ったのは同級生の渋谷君が小学校受験をする前だ。幼稚園の年長だから6歳、22年前だ。蕎麦屋、家の新築とGゼロが同じ年だとしたら・・・。 Gゼロで家と蔵のゴキブリが全滅した後で、暗渠からゴキブリが海翔たちの家に来たなら、宝来軒にもいたのだろうか?
海翔は蔵と家の新築、それと浄化槽の関係を知りたいと思った。 「先日のご主人の話で、丸源の火事は何年前だったか覚えているかい?」 咲楽が意味ありげに笑うと口を開いた。 「あなた、忘れたんですか?」 海翔は思わず笑いだした。 「それ、奥さんの口真似だろ」 咲楽も笑うとスマホを海翔の前に置いた。そしてタッチした。 「あなた、忘れたんですか?」それは、まぎれもない奥さんの声だ。 「咄嗟に録音したのよ。忘れても後で聞けるようにね」
海翔はメモを手にスマホの音声を聞いた。丸源の火事は60年前だ。建て替えに2年とすると。前の藤本君の家は58年前から22年前まであった。藤本君の家は36年で建て替えたことになる。ちょっと早いような気がする。商店街にはもっと古い家が並んでいた。まだ住める家を建て替える、それは蕎麦屋の開業と関係あるように思えた。
咲楽が用事で出掛けたので、海翔は1人で散歩に行った。道の両側の稲が黄色くなり、トンボの数が増えたようだ。玉川からゴウゴウと音が聞こえた。橋から覗くと、暗渠から勢いよく水が噴き出している。海翔は急いで道を戻った。田んぼを見ると乾いている。用水路に水は無い。 そうか!八幡川が水を取られるのは、稲を育てる間だけだ。稲が実ると水門を開き、八幡川は生き返るのだ。あの水量ではゴキブリがいたとしても流されてしまう。海翔は確信した。暗渠にはゴキブリはいない。では、ゴキブリはどこから来たのだろう。
海翔はパソコンで航空写真を見る。蔵、家、駐車場、草地、民家と続いている。奥の民家と草地がほぼ同じ大きさだ。駐車場は倍くらいだ。海翔はその整然さが不自然だと感じた。 民家と草地を測ると距離は18mずつだ。そして駐車場は36mだ。この半端な数字は何だ?海翔の家と宝来軒とには境がない。2つを合わせて30mもない。 学校と同じくらい広かったなら、これ全てが丸源の敷地だったろう。その長さは102mだ。それが18mづつ区切って4つある。海翔は気付いた。道路に面して10坪だ。奥行きが14坪で、1区画が140坪の敷地だ。広い庭と裏の畑を合わせた、昔ながらの田舎の家だ。
海翔は先日のご主人の話を思い出した。『家と蔵の間でキャッチボールをした』、『9歳の時に僕が引っ越して』。9歳の男の子がキャッチボールするのは6mくらいだろうか。それは家と蔵の距離だ。背中のすぐ後ろが壁で、球拾いに行くことはない。 『球拾いが楽だった』という思い出に丁度いい距離とは何mだろう?10mでは遠い気がする。せいぜい7,8mだろうか。6mで向き合った2人の後ろ7mが壁だとしたら、合計20mだ。蔵から20mだと、駐車場だ。
幼馴染みの藤本君の家がそこにあったなら、つじつまは合う。疑問なのはご主人の記憶だ。家の場所が変わり、キャッチボールの場が狭くなった。それに気づかないのか?海翔はご主人の言葉を思い出す。坂だ!幼い頃の坂道は大人になると僅かな傾斜だった。それを体感したご主人は、蔵と家の距離も、実際はこんなに狭かったのか、と思ったのではないか。
先日の奥さんの話では、28年前に蔵の飲食店でデイトした。都会の流行から6年遅れで、22年前に丸源が蔵で商売を始めたのではないか。その資金のために土地を売った。その機会にトイレを水洗にしたい。浄化槽を蕎麦屋と共用にするには古い家では距離がある。ついでに風呂や台所も現代的にしたい。それで家を建て替えた。古い家を壊せば売る土地も1区画増える。
取り壊す古い家にGゼロを使っただろうか?どうせ壊すからと使わなかったとしたら・・・ゴキブリも新居に引っ越したなら、海翔たちの家には22年前からゴキブリがいた事になる。
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