元根町生まれのご主人の話は興味深かったが、ゴキブリと結びつくものはなかった。それでもゴキブリはこの町にいたはずで、手掛かりをつかむには元根町の事をもっと知る必要があると海翔は思った。 海翔は移住者用のパンフレットを広げた。「元根町のあゆみ」という小冊子で、主な出来事が現在から過去へと時代を遡って記してある。最新の記事は移住者の増加だ。夏休み自然教室は数年で中止、工場の誘致を断念した・・・など、地方の小さな町の苦労がうかがえる。 ゴキブリが完全駆除され、水洗トイレの普及率が90%を越えた。元根町も衛生的になった記事がある。全国から消えたゴキブリは、元根町からも消えたはずだった。 さらに古い時代には、用水路を掘り水を引いて田を広げた記事がある。米の収量が増え、落合地区の農家の収入が倍増した。元根町の歴史の中の成功例だ。落合は海翔たちの家の住所だ。散歩道の両側に広がっていた田んぼのことだろうか。 丸源は江戸時代に栄えた町の豪商、と簡単に書いてあるだけだった。
海翔はパソコンを点けて地図を見る。田谷橋を見つけると、玉川の支流を探す。橋の上流に見つけたが、町と反対側だ。ネットの地図は地区の境が分かりにくい。田谷橋からは遠くて別の地区にも思える。 地図を散歩道まで戻す。カーブした道の両側に碁盤の目のように水路がある。それを辿ると4kmほど先で1つになり川と合流する。いや、水の流れで言えば、川が水路に分岐して消えている。消えた川の延長に道路があり、家の前の道に繋がっているように見える。川には北沢川の表記があった。検索すると北沢峠に発し玉川に注ぐ中小河川とある。家の前の道は北沢川かもしれない。ゆるく左右にカーブする商店街の道は川のなごりとも思える。
海翔はバイクにまたがると現地を見に行った。 山を下ってきた北沢川がコンクリートの箱に流れ込んでいる。箱からは左右に水路が分かれている。川はそこで消え、箱の先は草地だ。そして50mほど先に丁字路がある。交差点の隅に小さな石碑があった。昔の道標だろうか、海翔は消えかかった文字を見た。八幡川と読める。これは橋の欄干だったのだ。北沢川はここで八幡川と名を変えた。
近くに八幡神社がある。この神社が川の名の由来のようだ。小高い丘の麓にある小さな神社の本殿は古びて朽ち果てそうだ。小さな石碑に文字が刻んである、文化4年藤本源三郎寄進。これは思いがけない収穫だ。 スマホで調べると文化4年は1807年だ。前の年に江戸で大火事があった。それで丸源は大儲けしたのだろう。町の副教材と一致する。
海翔は家に帰ると咲楽に言った。 「前の道は八幡川という川だったんだ。それに蓋をして道路にしたんだ」 「暗渠は暗くて不潔よね。ゴキブリはそこから来たのよ」 「僕もそう思う。それと、八幡神社があって藤本源三郎が寄進していた。幼馴染みの藤本君は丸源の子孫だったんだ。そして丸源の名は源三郎の源だ。藤本源三郎は源氏の子孫かもしれない。源頼朝は鶴岡八幡宮を信仰していたからね。藤本源三郎は八幡神社の本殿を寄進して八幡橋も作り、北沢川を八幡川にしたんだ」 「源が付いているのは苗字じゃなくて名前でしょ、源氏じゃないと思うわ。源三郎さんが八幡様を信仰していただけよ」 「なるほど、そうかもしれない。不思議なのは地図にも町の資料にも八幡川の名は無いんだ」
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