「さきほどの梯儁のワシの想像は、下手な小説だったが、実はもう1つある」 「あら、下手とは言っていませんよ。面白い話でした」 市長の妻が笑う。中江典翔が話し始めた。 「(やまと)の地名は古代の畿内にはない。九州の山門が東に移ったという説がある」 「面白そうなお話ですけど、邪馬台は「ト」(乙類)で、山門は「ト」(甲類)です」
「それは邪馬台国を九州に比定できない理由だが、ワシには腑に落ちん。すこし時を戻して、漢委奴国王印の金印の話をしよう。中氏の分家である那珂氏の国が那の国だ。那は美しい、豊かの意がある麗しい字だ。それを漢は奴の卑しい字に変えた。同じように、倭人が書いた(やまと)(ひみこ)は麗しい字だったはずだ。それを魏が邪馬(?)国、卑弥呼と卑しい字にした。 (?)の文字は倭人伝に記載された、壹(い)、臺(たい)のどちらかだ。ところが日本で、別字の邪馬(台)国に変えた。
そもそも中国語の発音に甲乙の別はない。だから倭人伝の(?)と日本語(大和、山門)の甲乙を比較するのは無意味だ。 倭人伝の(?)を、日本で(台)に変えた。それと大和、山門を比較するのはそれ以上に無意味だ。 そしてポイントは、邪馬台は「ト」(乙類)で、山門は「ト」(甲類)、この部分は万葉仮名の使い分けとして正しいことだ。 問題の重要点をスルーして、細部を争点にする。これが畿内論の常套手段だ。邪馬台は「ト」(乙類)とは、トリックの「ト」で(詐欺の類)だ」
「詐欺は言い過ぎですよ」 「これは学説ではない、落語の類だ。「ト」で(詐欺の類)は駄洒落じゃ。そして、これから話すのは空想小説かな」 「あまり、ふざけないで下さい」
「邪馬壹(やまい)國の入り口、すなわち邪馬壹の国の門や戸、・・・やまいのと・・・やまと、に変化した。一般論として2つの山の間の狭い所(山の門、戸)は防御に適している。この2つが一緒になって、(やまと)は国境、防衛地の意になった。 神武天皇が東遷した当初の領土は(やまと)に囲まれた狭い地域だった。領土が広がるにつれ(やまと)も拡大する。現在の(やまと)の内側に前の(やまと)、その内側に前の前の(やまと)・・・やがて(やまと)の意味が変化して、国境線の中の領土が(やまと)になり、大和の国名になった」
「先ほどは中国語に日本語の甲乙を当てるのが不適切との指摘でした。でも今のお話は倭国内での事です。九州の山門(甲類)が畿内の大和(乙類)に移るのは無理があります」 中江典翔がにっこり笑うと答えた。 「神武東遷では吉備に1年留まったとある。それで吉備訛りになったんじゃろ」 市長の妻が笑いながら言った。 「うまく乗せられました。私の反論を予想していたのですね」
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