3012年、アスカは全球凍結した地球に戻って来た。日本には僅か20万人が31のシティに生き残っていたが、天皇陛下の真偽をめぐって対立していた。アスカが天皇陛下は本物だと主張し、全シティがそれを信じた。アスカは全シティの共有となり希望となった。その後、船長はアスカの修理で出雲に到着した。
出雲へ鹿児島から電話が入った。モニタに映った鹿児島市長を見て担当者が言った。 「緊急な要件ですか?市長はこれからアスカの船長と翼の修理に立ち会う予定ですが」 「いや、市長ではなく中江典翔氏を呼んでもらえないか」 中江典翔が来るとモニタには市長の妻が映っていた。彼女は一礼すると話し出した。 「雪と氷に閉ざされた今、古代史などを考えている場合ではないとの意見もあります。それも当然とは思いますが、古代史を研究してきた者にとって、中江さんのお話は大変参考になる貴重なものでした」 「中氏家伝は門外不出だった。そして中氏八族は途絶えようとしている。出雲で消えるかもしれない中氏家伝が鹿児島で存続するなら、それも良いであろう」 「古代史の最大の謎、研究者だけでなく愛好家も関心の的である邪馬台国ですが、中江さんのご意見を伺いたくて電話した次第です」 「中氏家伝は出雲王朝の歴史だ。邪馬台国とは無関係だ」 「そうですか・・・そうですよね。残念です」 市長の妻が肩を落とした。
中江典翔は微笑して言った。 「実はワシも邪馬台国には興味があってな、個人的に思うことはある。あんたと違って素人じゃが」 「中江さんのお考えなら傾聴に値します。是非、お聞かせください」 「あんたは何処だと考えておるのかな?」 「私は九州説です。それは『女王国から北は戸数、距離が記載できる』の一文です。不弥国がその最後の国です。ですから不弥国の南、博多が女王国になるはずです」 「畿内説は?」 「卑弥呼の墓を箸墓古墳に比定しています。しかし倭人伝によれば卑弥呼の墓は径100歩、つまり円墳です。しかし箸墓古墳は前方後円墳です。古墳に限らず埋葬は地域により異なり、それは世界観、宗教観の違いによるものでしょう。それを無視するのは理解に苦しみますね」 「ほほぉ、手厳しいのお」
「倭人伝の邪馬壹(やまい)國が、写本によっては邪馬臺(やまたい)国となっています。畿内説では壹は臺の書き間違いとしていますが、陳寿はきちんと書き分けています。『邪馬壹(やまい)國の・・・宗女壹與(いよ)の使いが・・・臺(たい)に詣り・・・を献上』。陳寿にとって臺(たい)は皇帝のいる場所です。中華思想では中国が世界の中心の華で、周囲を四夷、夷狄と蔑称で表しました。邪馬壹國の邪馬は蔑称です。そこに皇帝のいる臺(たい)の文字を使う訳がありません。ちなみに壹(い)は尊称でも蔑称でもなく、単なる一の意味しかありません」
「後漢書を編纂した范曄は、陳寿の160年ほど後に生まれた。時代とともに臺(たい)に神聖な意味がなくなり、蛮国の長にも使えるようになったのだろう。女王の都なら邪馬壹(やまい)よりも邪馬臺(やまたい)がふさわしいと范曄は思った。そして臺は(たい)(だい)で(と)と読まない。邪馬臺は(やまと)ではない」 「新井白石と本居宣長は邪馬臺を(やまと)としていますが」
「昔は古代王朝といえば大和との思い込みがあった。畿内の他に王朝なし、それが良識だった時代だ。新井白石は邪馬臺の中国語の発音(やまたい)から、古代の発音を推定して(やまと)とした。その過程は不明瞭で、邪馬臺国を大和に比定する為にも思える。 本居宣長は熊襲の女王である卑弥呼が、大和朝廷をかたったという説だ。邪馬臺は無条件に(やまと)だった。 2人とも優秀な学者だったが、時代の枠から抜け出せなかった。
ここで注目したいのは、2人とも邪馬臺の文字を使っている。江戸時代の邪馬臺国が、明治時代の漢字の簡略化で邪馬台国になったようだ。だが、臺の略字が台ではない。この2つは別字だ。臺は重要な高い建物。台は高くて平らな土地、基礎の意だ。 漢字の簡略化は社会の慣わしだろう。略字だと勘違いする人もいるだろう。だが学術用語には正字を使うべきだ。それを別字に変えたのは何故だろう。台は万葉仮名で(と)と読む。邪馬臺(やまたい)が邪馬台(やまと)になったのだ」
「それは偶然なのでしょうか?」 中江典翔は両手を小さく広げて首を傾げた。市長の妻はそのポーズを・・・偶然のはずがない、の意味と受け取った。 「まだあるぞ。畿内説では、魏の使者が夏の太陽の位置を勘違いし南を東と間違えた。これは有り得ない。季節で太陽の位置が異なるのは魏も倭国も一緒だ。まして古代では天体の動きが暦であり、吉凶の予兆でもあった。それを間違えるというのは現代人の発想だな」
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