ワインを一口飲むと大前が笑い出した。 「はっはっは、お前達は運が良い」 サシミを食いながら、星を見る男が黙って肯いた。 「牛泥棒は吊るし首だ。だが、あの牛は美味かった。それで俺が鞭打ちに減刑したのだ」 「お前には二度助けられた」 「どうやったら牛の肉が美味くなるのだ?」 「死ぬ前に血をたくさん出す」 「どうだ、俺の牛係りにならんか?」 返事のしようがない二人は顔を見合わせた。大前が真剣な顔に戻ると言った。 「お前達のことは偉大なる知恵の書に書いてある」 「それは何だ?」 「初代の大前様が書いたものだ。お前達は戻って来るだろう、と書いてある」 「お前は文字が読めるのか、すごいな」 「お前と呼ばずに、大前様と呼べ」 そう言いながらも、大前は笑っている。
「俺達は大前と呼んでいた」 「それは初代の大前様のことだな」 「ここで一緒に戦った大前だ」 「その初代の大前様のことを話せ」 蛇を踏んだ女が、大前が命懸けで崖を登った様子を言う。星を見る男が、大前と共に夜襲をした話をする。そして着ていたベストをつまんだ。 「この服は大前に貰った」 「初代の大前様が着ていたのか」 大前が目を輝かせた。 「お前は大前の子孫だ。お前が欲しければ服を返そう」 「その服を俺にくれ」 星を見る男がベストを渡すと、大前は嬉しそうに着込んだ。
「大前は勇気があって頭が良かった。その血がお前にも流れている」 「そうだとも」 「だが、お前にはもう一つの血も流れている」 「治と花音の血か?」 星を見る男が黙って肯いた。 「古い忘れられた血だ。その名を語る者は、大前様に対する反逆者として吊るし首だ。もう、その名を口に出すな」 星を見る男が何か言いかけたが、黙り込み頭を両手で抱えた。大前は静かに待っている。
星を見る男が口を開いた。 「オオカミは何故滅んだ?」 「毒で死んだと聞いた」 「奴等は鼻がきく。毒に気付くはずだ」 「臭いも味もない毒だったらしい」 「らしい?」 「捨てられた技だ。今では誰も知らない」
星を見る男は話を変えた。 「死んだらあの世で治や花音に会えるのか?」 「その前に俺が聞きたい。初代の大前様はあの世があると言ったか?」 「大前はそういう事は何も話さなかった」 「やはりそうか・・・あの世は無い」 「何故だ?」 「大前様の秘密を他に洩らしてはならぬ、その後にあの世が書いてある」 「どういうことだ?」 「二代目の大前様があの世を考えた。あの世は無い、嘘だ」 「町の者にでたらめを教えたのか?」 「大前様になるには偉大なる知恵の書が読めるだけでは駄目だった、ということだ」 「お前の話は判らない」 「この世で力を得るには、あの世があると便利ということだ」 「死んだらどこへ行く?」 「どこへも行かぬ。死ねば終わりだ」 「終わりとはどういうことだ?」 「消えて無くなる」 「・・・」 「お前は勇気ある狩人であり、死を恐れぬ戦士だった。あの世が無いと知って死ぬのが怖くなったか?」 「判らない。お前はどうなんだ?」 「今は狩人も戦士もいない。誰もが死を恐れている」 「俺達が死を恐れなかったのは、死ねば星になると信じていたからだ」 「信仰を棄てたのか」 「正しくないと気付いたのだ」 「同じことだ」
「もう一つ聞きたい。長老様はどこにいる?」 「それも口に出してはいけない古い名だ。三代目の大前様が長老になられた。その後には長老はいない」 「南に行けば、健太の一族の長老様がいる。俺達はそこへ行く」 「南にも長老はいない」 「それは本当か?」 「南ランドも大前様の国だ」 「どういうことだ?」 「俺の爺様、一五代大前様が南を攻め落とした」 「兄弟を攻めた・・・何故だ?」 「奴等は古い教えを信じ、大前様を敬わないからだ」 「・・・嘘だ」 「信じられないなら、自分の目で確かめて来い」
星を見る男が無言で立ち上がった。 「気の早い奴だ。一つ忠告してやろう」 「何だ?」 「四百年を経てお前達は同じ町に戻って来た、そう思っているだろう」 「そうだ。変わりはしたが同じ場所だ」 「お前達が戻ったのは違う世界だ。同じだと思っていると吊るされるぞ。気をつけて行け。この服は俺には大きい、お前に返そう。旅をするには便利だろう」
女中の案内で庭の東屋へ行く。やがて中年の女中頭が現れた。 「お待たせしました。これは大前様よりお二人に下された物です」 女中頭がテーブルに品物を並べだした。 「マッチ、肉のサシミ、薬草でございます。薬草は包みに効く所の絵が描いてあります」 星を見る男が薬草の包みを見た。頭の絵がある。腹の絵、指先から血の出た絵、それ等をポケットに入れていく。一つの包みを見て笑うとテーブルに戻した。 「これは要らない」 その包みには、上を向いた男の一物が描かれていた。 「まぁ、なんてお下品な!」 女中頭はそう言って星を見る男を睨んだ。その剣幕に星を見る男が背を向けると、女中頭は薬草を素早く自分の懐に入れた。星を見る男が後ろを向いたままで言った。 「大前に礼を言っておいてくれ」 「なんと!大前様を呼び捨てにするとは、吊るされたいのか。出口は向こうじゃ、さっさと行け」 女中頭は怒って行ってしまった。
「さっき、大前様に言われたでしょ。気を付けろと」 蛇を踏んだ女が文句を言った。 「口が勝手に大前と言ってしまう」 「口に覚えさせなさい」 星を見る男が「大前様、大前様」。と呟きながら出口に向かうと、国王が立っていた。片手に持った弓矢と槍を掲げて言った。 「これはお前達の物だな」 「そうだ」 「これを返してやろう」 二人が近寄って手を伸ばすと、国王が弓矢と槍を持った手をひょいと引っ込め、小さな声で言った。 「返して欲しければ、秘密の言葉を言え。サシで始まる五つの言葉だ」 「秘密の言葉とは何だ?」 「大前様が言っただろう、サシ何とかと」 星を見る男が考えている。やがて指を折りながら言った。 「サシキダヨ」 「サシキダヨ、それは本当か?」 「大前様が俺に言った。鬼の秘密は挿し木だよ」 「オレの秘密はサシキダヨ。良し、これを返してやる。それと肉もやろう。味付きの焼肉だ。美味いぞ、持って行け」
門を出ると星を見る男は弓をブンと鳴らした。 「この弓が戻ってきて良かった。やはりこっちの弓が良い」 蛇を踏んだ女も槍を握ると笑って肯いた。 「兄さん、姉さん」。カワシモが家の陰から二人を呼んでいる。 「よく無事で帰って来たね」 「ウサイも無事に戻ったか?」 「ウサイは裏口で兄さんと姉さんを待っている。アタイは表で待ったのさ」 「どうして表から出ると判った?」 「吊るされる者は表から出るんだよ。それが二人だけで出て来たから、びっくりだよ」 「俺達はこれから南に行く」 「南って、南ランドかい?」 「そうだ。ウサイや皆に元気でな、と伝えてくれ。これを皆で食え。牛のサシミだ」 「そうかい、もう二度と会えないね。アタイ達は兄さんと姉さんが好きだったの」 「治と花音の名を口にすると吊るし首だ。長老も口にしては駄目だ。皆に伝えておけ」 「判ってるよ。兄さん、姉さん、さよなら」 二人が歩き出すと、カワシモがサシミの包みを持ち上げて叫んだ。 「兄さん、ありがとう。姉さん、元気な赤ん坊を産みなよ」 並んで歩いていた二人は振り返って手を振ると、少し離れて歩き出した。
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