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作品名:セカンド・プラネッツ 作者:織田 久

第8回               第6話 脱出の試み
俺はシマウマになってサバンナを走っていた。後ろからライオンが追いかけてくる。俺が必死に逃げていると仲間が見えた。十五頭のシマウマはのんびり草をはみ、笑いあっていた。俺は仲間に叫んだ。気をつけろ、ライオンだ。しかし、仲間の群れは、じゃれ合いふざけ合っている。突然シマウマが風船のように膨らみだした。シマウマは穴という穴から蒸気を吹き出しながら破裂した。

俺は恐ろしくなって立ち止まった。ライオンはすぐ後ろに迫ってきた。振り向くとそれはライオンの形をした黒い影だった。真空の黒い影が俺を追ってくる。俺は恐怖に駆られ走りだした。一匹の黒い影が走っている俺の内臓を食いだした。俺の中で誰かが泣いていた。怖いよ、怖いよ、もう逃げても無駄だよ。
その声を打ち消すように、もう一つの声が聞こえる。シマウマよ、走れ、逃げろ。命の続く限り走れ。それがおまえの定めだ。それが命を持つおまえの宿命だ。内蔵を引きずって走れ、血をたらしながら走れ。

 目が覚めると治はいくらか元気を取り戻していた。アレはすでにモノでしかないのだ、そう自分に言い聞かせると毛布を手にした。アレはコントロール・ルームの真ん中に浮いていた。目の前に毛布を広げ、アレを見ないように近づき毛布に包み込んだ。毛布を縛ろうとする手が震えて上手くいかない。赤く点滅する警告灯に息苦しさを感じてコントロール・ルームを出ると、広くなった食堂に来た。そこで落ち着きを取り戻した。

 アレは毛布に包まれたことで、いとおしいものになっていた。それが誰だか判らなかったが、治はこれを全員と思って別れを告げることにした。船長から始めて十五名すべての名を心の中で唱えた。花音の名前だけは口に出して言った。胸がうずいた。
「さようなら、君たちは日本人の誇りであり夢だった。いや、永遠に夢であり続けるだろう。僕も、もうすぐそっちへ行くよ。そうしたらまた十六人で新たな旅ができるよ、さようなら」

治は毛布を力いっぱい虚空に押し出した。すると、その反動で毛布の結び目から女の手がぬっと突き出した。治は不意を突かれて、あわてて飛び退いた。その手がゆっくりと回転しながら徐々に遠ざかっていく。治に「さようなら」と告げているようにも見えた。
その指先にピンクのマニュキアが見て取れた。すると、治はその手が逆に「こっちにいらしゃい」と誘っているように見えてきた。治は背中に冷たい汗を感じて寒くなった。いっぽう、顔は火照ってべったりと脂汗が張り付いているのが判った。
治は循環システム室に戻り、宇宙服を脱ぐと崩れるように倒れこんだ。治は混乱していた。アレを片付けたのだからコントロール・ルームは正常に戻ったと思った。治は立ち上がった。今なら間に合うかもしれない。何に間に合うのか?それは判らないが急いでエアーロックへ向かった。

コントロール・ルームには誰もいなかった。治の中で何かが崩れ落ちそうになる。必死にそれをこらえようとする。だが、どう支えれば良いのか判らない。身体の力が抜けていく。その時、女のすすり泣く声がした。振り向いた治の目に、赤ん坊を抱いた女の後姿が映る。いや、抱いているのは赤ん坊の人形だ。すぐに、それが誰なのか治は判った。「可愛い私の坊や、治ちゃん」。母はそう言うと、人形を抱きしめて笑い声をあげた。
「母さん、止めろ」。そう叫ぶと治は我に返った。今のは夢だ。幻想ではない、またあの夢を見ただけだ。母さんは気狂いではない、悲しみのあまり気が動転しただけだ。そして俺も気など狂っていない。

ふと気付けば警告灯の数が減っていた。三つの赤い光が点灯しているだけだ。無数とも思える赤い点滅が無くなった理由は判らないが、治は平静さを取り戻した。治はコントロール・ルームを見渡した。破壊されたのはエアーロックと前面の窓だけだった。コンピュータが動いているのが不思議だが、逆に当然だとも思えた。画面には一つの警告しか表示していなかった。
「警告。極軌道を外れています」
隕石の衝突で軌道が狂ったのだ。
「それで、どうすれば良いんだよ」
治はコンピュータに不平を言った。船長、パイロット、オペレータ、船を動かせる者はいないのだ。俺が知っているのは循環システムだけだ。いや、まてよ。調査機なら操縦出来るかもしれない。

治はゲームで戦闘機を操縦した。その戦闘機を改良したのが調査機だ。操作したのはキーボードでしかないが、宇宙船よりはマシってもんだ。それに調査機のあのコックピットの狭さ、あの方が俺の棺桶にふさわしい。この思い付きは治の気にいった。どうせなら花音の二号機で死のう。
治はコンピュータで検索して調査機のメーター、スイッチ類の配置図を見つけた。その数が二百はある。ゲームでは三十ほどだった。その違いに愕然とする。配置図をプリント・アウトしようとして思い出す。プリンターはおろか紙の類は船にはないのだ。覚えるしかない。だが全部を覚えるのは無理だ。落ち着け、よく考えろ。俺が使う機器は何だ?駄目だ、気持ちが落ち着かず集中できない。頭が冴えているようでぼんやりしている。

しっかりしろ、落ち着け。治は顔を上げて深呼吸した。変形した窓から星空を見た治は気付いた。爆発でめくり上がりナイフのように変形した窓枠に何かが刺さっている。誰かの腕時計が運良く引っ掛かったのだ。誰の遺品だろう?治は宇宙服を破かないように注意深く時計を外すと窓際のモニタにかざした。
栢山樹理の名が出た。そうか樹理か、樹理は死んだのか。いや、俺以外は全員死亡したのだ。そう気付くと、逆に樹理がモニタの中に生き残ったように感じた。「樹理」そう呟きながらモニタに何気なく触ると突然、「報告書」の画面が現れた。

パスワードを要求している。治が触れた箇所には何もなかったはずだ。隠しアイコンだ。精神科医だった樹理が二重にロックした報告書とは何だ?やはり、樹理は俺を監視していたのだ。叔父のことか?いや、それなら船長が監視するはずだ。
母のことが航空宇宙局に知れたのだ。局長の指示で樹理は俺を監視していたのだろう。治は唇を噛むと樹理の画面を閉じた。

治は窓から離れて調査機を表示したモニタ戻ったが、急に気持ちが萎えていった。誘導電波のある滑走路でさえ失敗ばかりだった。未知の惑星に滑走路があるはずもない。ましてゲームと現実は違うのだ。俺はやはりここで死のう。仲間と同じ船こそが俺の死に場所にふさわしい。治はぐったりと椅子に座ったまま目を閉じた。このまま座っていれば酸素が切れて死ねる。


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