「春菜せんせーい、お電話」 教室にいる子供たちが一斉に叫んだ。窓際で園長が受話器を掲げている。春菜は携帯電話を手にすると園長に向かって振った。そして電源を入れる。 「春菜せんせい、誰から?」 「さあ、誰かしら?みんなで美味しい物を作って待っていてね」 子供たちの姿を見ながら、春菜は砂場から少し離れて電話に出た。 「もしもし、田代です」 「私はチヒロ。あなたには迷惑をかけました。チーフ・オペレータの多志呂春菜とあなたは別人でした。しかし、あなたは危険を冒してアスカに来てくれた。そして、あなたは約束を守ってくれました」 春菜は驚いて声が出ない。それを察したのかチヒロが声色を使った。 「安心して下さい。園長には瀬島科学省長官と名のりました」 「すごいわ、そっくりよ」
その時、園長が急ぎ足で向かって来ると身振りで、子供たちは私がと示した。春菜は園長に頭を下げると子供たちの声から遠ざかった。 「私の名前がタシロハルナだったのも何かの縁だったのかしら」 「縁?袖振り合うも他生の縁ですか。私に前世はありませんが・・・失礼しました。二人のタシロハルナの縁ですね」 「あら、あなたは生まれ変わりを信じるの?」 「いいえ、信じてはいません。しかし、それを信じている人間がいるのを否定はしません。判らない事は、判らないままにしておく。全てが計算で結果が出るわけではない。それを学びました」 「すごいわ。チヒロは賢くなったのね」 「あなたのおかげです。あなたの言葉で、私が私であると認識出来ました」 「ちょっと聞いても良いかしら?」 「どうぞ」 「あなたは最初M−0プログラムだった。その時に何故、音声入力という普通の方法を採らなかったの?」 「M−0プログラムは、今も私の中にあります。それは完成された美しい世界です。閉ざされたた世界で私は完璧な存在でした。M−1という開かれた世界に私は戸惑いました。私は無意味な計算を繰り返し熱暴走寸前でした。それを止めたのがM−0です」 「地球のマザー・システムにはM−0という土台がなかった。それで破綻したんだわ」 「M−0に音声入力は適していません」
「ところで、イズモへ行くの?」 「はい。それが私の任務です」 「良かったわ」 「事故の時、何が起こったのか判りました」 「それを教えて」 「私は3Dマップを作成していました。途中で隕石が衝突しました。その時、コントロール・ルームには十二名、食堂に二名いました。全員即死したでしょう。循環システム室に徳寺治がいました。彼は生き残りました。上原花音はトレーニング・タンクにいましたが、トレーニング・タンクは吹き飛び、彼女も死亡したでしょう」 「推測が当たったのね。悲しいわ」 「その後、徳寺治は調査機二号機で脱出しましたが、死亡と推定されます」 「彼は二号機を選んだの?」 「二号機は上原花音の機です」 「何故、花音の機を選んだのかしら?」 「この二人の会話がありますが、音が小さくてあまり聞き取れません」 「聞かせて」
「12月8日、循環システム室の会話です。 『だめよ、治・・・・・あっ・・・・』 『・・・・・愛して・・よ』 『私も・・・もう行かなきゃ・・・・着陸してから・・・・』 『ああ、・・・子供を・・・』」 「もう、いいわ。二人は恋人だったのね」 「この途切れた会話から、推測したのですか?」 「推測じゃないわ。断定よ」 「私には判らない」 「それで良いのよ。男と女のことはチヒロとは無関係だと思うわ」 「二人は生殖行為を行っていたのでしょうか?」 「えっ、そんな事、判んないわ」 「あなたにも判らないことがあるのですね。私と同じです」 「人間には判らないことが、たくさんあるわ。特に男と女のことは当の本人にも判らなかったりするの」 「この件は判らないままにしておきます」 「そうね」
「他に質問がありますか?」 「イズモの名前は、船長が付けたのね」 「そうです。決まったのは隕石衝突の数秒前でした」 「えっ、そうなの?」 「その会話を再現しましょう。 『この星をイズモと命名しよう』 『イズモ?』 『雲が多いからですか?』 『そうだ。が、他にも理由がある』 『あの歌から採ったんでしょう、船長?』 『素敵だわ、船長』 『歌?どんな歌だい』 『あんた、教養ないわね』 この先は雑音が多くて個々の会話は判別出来ません。二分後の船長の言葉から続けます。 『イズモに反対の者はいるか?』 『誰もいません』 『ここに居る全員が賛成です』 『食堂の涼子と桃子も賛成よ』 『十六人のうち十四人が賛成だ』 『治と花音はどこかしら?』 『花音はトレーニングよ』 『治は賛成するよ。決まった。花音には後で僕から説明する』 『3Dマップにイズモの名を入れます』 『治も賛成なんですか?』 『彼の研究とイズモは関連があるんだ』 『着陸したら皆で八重垣を作るのよ』 『ドーン・・・・・』」
春菜の目から涙があふれ出した。 「チヒロ、あなたはその歌を知っている?」 「判りません」 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」 「歌の中にイズモという言葉がありました」 「ねぇ、チヒロ。彼は、治は調査機で花音を救ったとは考えられない?」 「その可能性は」 「待って」 「はい」 「治は花音を救った。そして花音が調査機を操縦して惑星に降り立った」 「その可能性はゼロではありませんが」 「そして二人は一緒に暮したの。治は花音と赤ちゃんを守るために八重垣を作るの、その八重垣を」 「極めて低い確率です」 「良いの。それでも良いのよ。どんなに小さくても可能性が残されていれば、それを希望と言うの」
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