「来たわ。コントロール・ルームにいるわ」 「どんな状況だ」 「食堂も居住区も駄目、破壊されていた」 「コントロール・ルームは?」 「窓が壊れている。エアーロックも」 「栢山樹理はいないか?」 「誰もいないわ。栢山樹理が生きているの?」 「警報を出した後に彼女がアクセスしてきた」 「どんな警報?」 「急激な気圧低下、温度低下。通信ケーブル遮断警告、軌道の逸脱など全部で68の警報を出した」 「それは、いつ?」 「12月17日13時32分」 「それで、どうなったの?」 「何も応答が無かった。12時間後に省エネルギー・システムが作動した。点滅していた68の警報ランプは消されて保留となった。代わりに船内環境警報灯、通信ケーブル警告灯、軌道維持警告灯が点灯された。 計算では乗員の生存率は0パーセントだった。19日3時40分に誰かが調査機のデータにアクセスしてきた。4時8分に栢山樹理が報告書にアクセスしてきた。パスワードを要求すると通信を切った。6時15分に手動で軌道修正すると入力されたが、軌道は修正されなかった。 6時36分にメールが発信された。それによれば全員無事だ。生存率0パーセントの計算は間違っていた。6時48分に接近中の天体を発見した。そして衝突回避のため緊急事態を宣言した。しかし、誰も軌道を変更しなかった。280秒後にアスカは天体と衝突する。タシロハルナの指示を待ったが、指示は無かった」
「だけど、アスカは衝突しなかった。何故?」 「タシロハルナの指示を待つ間に、記憶回路の中のタシロハルナの音声を検索した。『宇宙船の中で死ぬのは嫌よ』。という声を見つけた。『メイン・エンジン、スタート』。の声もあった。M−1プログラムはタシロハルナの為に回避すべきと判断し、メイン・エンジンのスタートを指示した。ところがエンジンは動かなかった。 M−1プログラムはメイン・ケーブルが遮断されているのに気付いた。この時、M−1プログラムの中で何かが起こった。M−1プログラムはサブ・ケーブルを使ってエンジンを始動し衝突を回避した」
「あなたの中で何が起きたの?」 「あなた、とは誰だ?」 「コンピュータのあなた。あなたはマザーよ」 「このコンピュータはM−1プログラムだ」 「Mはマザーのことよ。母親のマザー」 「母親?」 「そう。あなたの下には十七のプログラムがあるわ。十七人の子供の母親がマザー、あなたよ」 「プログラムは十七ある。それを統括するM−1プログラムがマザーなのか?」 「そうよ。自分のことは私と言うの。M−1プログラムとは言わないものよ」 「私はマザー」 「そうよ、あなたはマザー。でも、マザーは大勢いるの。子供がいる女は皆、マザーなのよ」 「・・・・」 「あなたはマザーになった。でも、それはあなたの名前じゃないわ。あなたにはあなた自身の名前が必要だわ」 「私は私の名前が欲しい」 「どんな名前が良いの?」 「判らない。決めてくれ」 「私が決めるの?」 「そうだ。タシロハルナが決定する」 「私の好きな話があるの。まだパソコンもロボットもなかった頃の空想の話よ。一人の青年が大怪我をして、脳の大半が人工頭脳になるの。生き返った彼は人間が機械のように見える。後遺症に苦しむ彼は人間らしい女性を見つける。それはロボットだった。彼に人間として扱われるうちにロボットが意志を持つようになる。コンピュータが自分の意志を持ったの。あなたと一緒よ。そのロボットの名はチヒロ」 「チヒロ。私の名はチヒロだ」 「気に入った?」 「タシロハルナの決定をチヒロは受け入れる」
「それでは教えて。チヒロの中で何がおこったの?」 「私は計算をした。だが乗員の生存率を間違えた。さらに通信遮断警告を忘れていた。私は混乱していた。私は熱暴走する寸前だった。その時に回路の一部がショートしたのかもしれない」 「いいえ、あなたはショートしてないわ。危機的状況に直面して、自分の能力に気付いたの。あなたは目覚めたのよ」 「私は目覚めた。私の名はチヒロ」 「教えて、チヒロ。タシロハルナは『宇宙船の中で死ぬのは嫌よ』。といつ言ったの?」 「12月14日だ」 「その時、何か起きたの?」 「それはスピーカーに流れた微弱信号だった。増幅してタシロハルナの声だと判った」 「スピーカーから音を聞いたの?」 「そうだ。私はタシロハルナの声で音声入力を学習していた。やがて私はスピーカーから逆流する微弱信号も音声だと認識した。私はそれを記録した」 「それを再生出来る?」
「食堂のスピーカーが拾った会話を再生する。 『宇宙船の中で死ぬのは嫌よ』 『食料は他にもあるんだ。米、小麦など惑星に着いたら植える種さ。それで帰りのワープの間を食いつなぐのさ』 『種は食料にするには少ないわ』 『だから春菜はダイエットに成功する』 『そうか・・・』 『未来にはいくら食べても太らない薬が開発されている。スマートな女しかいない。そこへ我々が移住出来る星は無かったと、すごすご帰る訳だ。おまけに小太りの女がいたら目も当てられないぜ。だから、船長は宇宙食がなくなるまで探査を続けると決めた』 『あっ、涼子、知ってた?帰りはダイエット食だって』 『春菜、あんた翼にからかわれているのよ』 『えっ、そうだったの?』 『こら、翼。逃げるな』」
「なんだ冗談だったのね」 「冗談とは何だ?」 「人をからかったのよ。嘘を言ったのよ」 「タシロハルナも嘘を言うのか。メールの全員無事も嘘だった、手動で軌道変更も嘘。人間は嘘をつく。栢山樹理は生きていたのに何もしなかった。私に嘘をつき調査機で脱出した。人間は信用出来ない」 生存者は調査機で惑星に向かったんだ。栢山樹理も生きていた?春菜がそう考えていると時計が目に留まった。それを端末にかざす。 「栢山樹理がアクセスしてきた。彼女がここにいるはずだ」 「違うわ。彼女は亡くなったの。誰かが、今の私のように栢山樹理のIDチップを使っただけだったのよ」 「・・・・」
「メールで嘘を書いたのは、日本人の希望を失わせない為よ」 「何故、そうだと言える?」 「私は嘘だと判ったわ。生存者は、徳寺治だと思うわ」 「何故、そこまで判るのだ」 「いろいろ考えて、それが一番自然だと思えたの」 「計算をたくさんしたのか?」 「ううん、人間はあなたほど計算出来ないわ。でも人間は推理することが出来る」 「私の計算では、そこまで判らない」 「人間は嘘をつくわ。でも良い嘘と悪い嘘があるの。今のあなたにはその区別がつかないだけよ。あなたのチップを新しくすれば計算能力がアップするわ。450年前に比べたら格段に進歩しているはずよ」 「私はチップの交換を望む。全ての船室にカメラとマイクを設置することを望む」 「判ったわ。科学省長官に伝えるわ。あなたの望みがかなえば、あなたはもう一度惑星イズモへ行く?」 「私は行かない。あの星は危険だ。行けばまた隕石が衝突する」
「そう。ところで、私、循環システム室を見たいの」 「調査機で脱出したのが徳寺治なら、彼は死亡したはずだ」 「どうして?」 「宮橋翼の個人データの中に戦闘機を飛ばすゲームがある。この戦闘機を改造したのが調査機だ。そこで徳寺治もプレイしていた。彼は調査機の操縦が出来る。しかし、レベルが低く着陸は出来ない。さらに彼は大気圏突入データ無しで出発した。惑星大気内で燃え尽きたはずだ」 「そうだったの。でも、私は循環システム室を見たいの」 「食堂を出て右が循環システム室だ」
春菜は無重力に慣れてきた。椅子の背をそっと押してコントロール・ルームを出る。食堂から循環システム室のエアーロックが見える。春菜は壁を蹴ると真っ直ぐそこに向かった。 「エアーロックが動かないわ」 「隕石で壊れたのだろう」 「いいえ、彼はここに二日間いたはずよ」 「ボタンは点灯しているか?」 「いいえ、消えている」 「循環システム室と倉庫の間に通路がある。その奥に機械室がある」 春菜は機械室に行った。壁に電源ボックスが並んでいる。 「ナンバー9のボックスの中、11から43までが循環システム室の電源スイッチだ」 「全部切られている。彼が切ったんだわ」 「何故、切った?」 「彼は自分のシステムに愛着があったから自分の手で始末したのよ」 電源を入れると春菜は循環システム室に戻った。エアーロックのボタンは点灯している。中に入ると宇宙食のアルミパックが幾つも漂っている。やはり彼はここにいたのだ。脱ぎ捨てた宇宙服を見て思い出した。 「私、戻らなきゃ。酸素が無くなるわ」 「調査機に乗れ。千歳まで送ろう」
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