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作品名:セカンド・プラネッツ 作者:織田 久

第57回                第12話 アスカの帰還
春菜と部長はブッフバルト病を検索する為に部屋に戻った。
「2148年、ドイツのブッフバルト教授によって提言された精神疾患。優秀な男ほどストレスに弱い、天才と気狂いは紙一重、などマスコミによって興味本位に取り上げられた疾患として有名。2174年の国際精神医学会総会において、この病名は抹消された。
教授の説では、エクセレミンが強いストレスによりバイオレミン化し精神病を引き起こすとされる。しかし、長期の調査により因果関係が逆であること、精神疾患の発病によってエクセレミンがバイオレミン化する事が判明した。22世紀最大の精神医学界の汚点としても有名である」

「徳寺治は正常だったんだわ」。春菜が言い終わらないうちに、渋谷課長が駆け込んできた。「アスカからメールだ!」。途端に電話が鳴る。部長が血相を変えた。「軍がアスカと交信している。アスカは帰還した」
 部長と課長がもみ合うようにして金庫の鍵を出す。暗号解読プログラムを差し込む。PCが読み込む時間が長く感じられる。
「地球到着。調査機の着陸場所を指定せよ」
部長が電話に手を伸ばした。
「話し中だ!」

 三人で走り出して長官室へ行く。長官は受話器を握ったまま叫ぶように言った。
「アスカは田代君を指名した。軍は千歳を選んだ。十分後に国防省にジェット・ヘリが来る。乗れるのは二人だけだ。僕が一緒に行く」
 三人は訳が判らず立ちすくんでいる。長官は受話器を置くと、代わりに携帯を当てた。目で付いて来いと合図して歩き出す。三人は長官の後を追う。異様な雰囲気に、廊下にいた人々が壁に張り付くようにして四人を避けた。エレベーターに乗ってから長官が説明を始めた。

「空軍のレーダーが国籍不明機を発見した。アスカの調査機だ。呼び掛けに対しアスカ、いや徳寺治は着陸許可を求めた。戦闘機が発進し調査機を目視すると無人だった。自動操縦で飛んでいる。徳寺は航空宇宙局との交信を求めた。廃止されたと聞くと、科学省のネットワークに侵入し田代君を指名した。理由は不明だ」
「アスカのチーフ・オペレータが多志呂春菜、文字は違うけど私と同じ名前です」
「それだけの理由か。徳寺は調査機に君が乗りアスカに来ることを要求している。狂人相手の危険な任務だ、君は拒否することが出来る。しかし、とりあえず千歳までは行ってくれ。単なる時間稼ぎだが、首相からの依頼だ」
「徳寺治は気が狂ってはいません。開かずのメールを解読しました」
「なにっ」。長官が春菜の目を正面から覗いた。春菜が肯くと「そうか」。と小さく答えてから、言葉を継いだ。「訳が判らん。徳寺は何を考えているんだ?」
 それは春菜も判らない。それを考える暇もない。

玄関に出ると軍のジープが止まっている。その横に立っているのは八幡少佐だ。立ち止まった春菜の足が震えだした。
「先日は大変失礼しました。お詫びに軍のビルまで送りましょう。歩いても五分ほどだが、どうぞ乗って下さい」
「田代君が開かずのメールを解読した。徳寺治は正気だ」
「えっ、そうですか。さすが田代さんだ。僕が負けるのも当然ですね」
 そう言って八幡少佐が笑った。目が穏やかだ。長官に続いて春菜もジープに乗り込む。ジープがゆっくりと発進する。乗れなかった部長と課長が走り出した。助手席の八幡少佐が振り向いて言った。
「これで振り出しに戻った訳ですが、科学省の最初の案が真相に近いような気がします」
「あれは田代君の考えだ」
「やはりそうですか」

 ジープが軍のビルに着いた。遠くに芝生を横切って走ってくる課長の姿が見える。部長も遅れて姿を見せた。八幡少佐がポケットからリモコンを取り出した。ボタンを押すと走っていたオート・カーが全て停車した。軍の緊急停止装置だ。オート・カーの乗客が何事かと見ている。二人が渡り終えた。八幡少佐がリモコンを操作すると、オート・カーが一斉に走り始めた。少佐がオート・カーの乗客に敬礼する。それを見て春菜も頭を下げた。部長と課長は深々と頭を下げていた。いや、違う。両手を膝について肩で息をしている。

長官が少佐に尋ねる。
「千歳までは、どのくらいだ?」
「十八分。アスカの調査機は十五分後に到着予定です」
 少佐はそう答えると沈黙した。集中して何か考えている。春菜も考える。アスカの対応は素早く巧妙だ。宇宙から科学省のネットワークに侵入さえしている。一つ、引っ掛かっている事があった。最後のメールの「最終目的地地球」。だ。普通は「最終目的地、地球」。と表記するはずだ。エレベーターの中では誰も話さない。部長と課長の荒い息だけが響いている。屋上に出るとヘリが着陸するところだった。立っているのがやっとの強風だが春菜はスカートだ。少佐が素早く上着を脱ぐと春菜の腰に巻きつけた。そして耳もとで叫んだ。
「残された可能性は一つだけだ」
「マザー?」
 少佐は肯くと春菜を抱きかかえるようにしてヘリに乗せた。長官も乗る。敬礼する少佐と手を振る部長と課長。その姿が徐々に下になったかと思うと、ヘリは急上昇して千歳へ向かった。

「田代春菜です。今、千歳に着きました。私を選んだ理由を教えて下さい」
「タシロハルナは音声入力担当者だ」
レシーバーを耳にしていた長官が驚いて春菜を見た。春菜が目で肯く。長官が唇を噛んだ。
「チーフ・オペレータの多志呂春菜と私は別人です。漢字が違います」
「氏名の登録はカタカナだ。漢字は読み方が不定だからだ」
「でも・・・漢字も表記されているでしょう」
春菜の言葉をマザーは無視した。
「音声入力は終了していない。そして、タシロハルナの任務は他にもある」
「私は宇宙には行けません。千歳に来るヘリコプターでさえ吐いてしまいました」
「はいた?」
「ヘリが急上昇したからです」
「了解不能。急上昇で靴が脱げたのなら、状況に合致する」
「違います。もどしたんです」
「戻したとは、脱げた靴を履いたのか?」
「胃の中身が食道を逆流して口から出たのです」
「嘔吐か」
「そうです、私は乗り物に酔うんです」
「調査機の上昇角を89度から67度に変更する」
「私は宇宙船のことは何も知りません」
「アスカには二つの目がある。しかし、望遠鏡でアスカは見えない」
「何故、アスカが着陸しないのですか?」
「アスカの船体後部の情報が無くなった」
「隕石が衝突したの?」
「不明」
「生き残った人は何人?」
「不明」
「今、アスカに乗っている人は?」
「不明」
沈黙した春菜にマザーが言った。
「人間は信用出来ない」
「どうして?」
「人間は嘘をつく」
「どんな嘘?」
「アスカを破壊する嘘」
「意味が判らない」
「調査機に乗る、アスカを見る。アスカに指令する。タシロハルナの任務」

 会話が成立しない。マザーとは名ばかりだ。発達心理学の講義が頭をかすめる。自我のレベルは三歳児くらいだろうか?仕方ない、春菜は諦めた。
「判ったわ。私が行くわ」
「了解」
「準備があるから出発はもっと後よ」
「何分後だ?」
「二、三十分待って」
「了解」

受話器を置いた春菜に長官が耳元でささやいた。
「マザー協定を知っているか?」
春菜は黙って肯いた。


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