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作品名:セカンド・プラネッツ 作者:織田 久

第56回                第11話 母と叔父
美佐が高弘の兄である徳寺光一と結婚した経過は不明ですが、上田市に居た美佐が光一と知り合った可能性は低いと思われます。長野市の旧家である徳寺家にとって、優秀な学歴と一流企業の職歴を持つ女性を嫁にするのは自慢出来ることでしょう。しかし、嫁の頭が良すぎて旧家の因習に批判的では困ります。従順で大人しい嫁が良いのです。かといって無名の学校や会社では、どこの馬の骨、と陰口を叩かれてしまう。将来、徳寺家の資産を管理する能力も必要だ。
そんな難しい注文にぴったりだったのが美佐でした。この結婚には徳寺家の意向が強く働いていたように思います。

結婚した美佐は屋敷内で親と同居しました。旧家に嫁ぐのは苦労の多いものです。さらに同じ屋根の下には憧れていた高弘も住んでいた。美佐には苦しい日々だったと思われます。
旧家とは来客と噂話の多いところです。美佐の耳にも同級生たちの華やかな活躍が入ってきたでしょう。玉の輿とは名ばかりの、半ば女中のような我が身と比べたことでしょう。
長野北高校は有名な進学校です。『長野北を出た嫁さん』。と褒められる美佐の内心は複雑だったと思います。高校名を誇れる反面、そこで失った自信と将来の夢。鬱々とした日々の中で、一点の光が高弘の存在でした。

美佐が捨てた夢を実現していく同級生たち。しかし、彼女たちが果たせなかった夢が、自分のすぐ側にある。それが高弘です。表向きは従順な美佐の心中には、昔のプライドがむくむくと湧き出してきたことでしょう。
同級生たちに負けたくないという気持ちが向かったのは、彼女たちの昔の夢を今の自分がかなえるという野望です。医者や弁護士になった級友を、主婦の自分が見返すという構図です。
美佐はこの野望を明確に意識化していなかったはずです。もし、それが出来たなら冷静に社会的な行動を取ったでしょう。美佐は自分でも訳の判らない衝動にかられ、高弘に恋焦がれ、彼を誘惑し関係を持った。そして生まれたのが治です。高弘の高校生の時の写真を見てください。治によく似ています。

欲望に負けた高弘は自分を恥じたでしょう。まして自分の子が生まれるとは思ってもみなかったはずです。関係を絶ちたかった高弘に対し、美佐は関係を迫った。それを拒絶する高弘に、美佐は治の本当の父親をばらすと脅かした。それが高弘をアメリカに行かせた理由ではないか。そうでなければ高弘はエリート・コースを捨ててまで、何から逃げたのでしょう?
さらにアメリカに行ったという高弘が向こうで成功したとは思えません。ビデオでは高弘は行方知れずで、十年前には警察に追われていた様子です。アメリカというのは世間体をはばかった徳寺家の嘘と思われます。

父親をばらすと脅迫した美佐は、本当は高弘以上に真実が暴かれるのを恐れていたはずです。治が高弘に似ていたのも、美佐には心配でもあり、また嬉しいことでもあったはずです。治を見ては高弘に思いをはせたでしょう。
美佐は治を溺愛した。その治との生き別れに、美佐は高弘との別離を重ね合わせたことと思います。高弘との別れは自業自得と悔やみ、高弘の人生を狂わせた罪悪感にも苦しんだでしょう。
高弘の名が出るたびに夫の顔を盗み見たに違いありません。夫は知っているのではないかと。夫の一言一句に神経を研ぎ澄ませたでしょう。夫に知られるのを恐れると同時に、美佐は夫に告げて謝罪したい衝動にかられたはずです。今の苦しみから解放されたいと願ったはずです。

美佐が錯乱状態になる直前の言葉、『その男は徳寺高弘です、と言えば良かったのよ』。この言葉に、私は美佐の悲痛な叫びを感じます。美佐が本当に言いたかったのは『その男の』。真実でしょう。
『私が愛したのは徳寺高弘です』
『治の父親は徳寺高弘です』
『私が悔やんでも悔やみきれない罪を犯した相手は徳寺高弘です』
こう叫ぶことが出来たなら美佐は錯乱状態にはならずに済んだでしょう。おそらく過去に何度も喉元まで出掛かった言葉だったはずです。夫に告白しようと決心しながら、言えなかった言葉。そんな美佐の心が表現されたのが、後半の『・・・と言えば良かったのよ』。の一言だと思うのです。
この強いストレスが一過性の錯乱の原因というのが私の見解です。そして母親の病的な症状は、息子の治とは遺伝的には無関係というのが私の診断です。

私が徳寺治の実父にこだわるには理由があります。高弘にブッフバルト病の疑いがあるのです。この精神疾患の初期症状は強い抑うつ、続いて狂暴化、最終的には人格の崩壊をたどります。
この疾患の発見は二十年前のアメリカでの無差別大量殺人でした。射殺された犯人は優秀で温厚な市民でした。彼が突然の凶行に及んだのは脳の機能的な障害と考えられ、遺体は徹底的に調べられました。そして未知の脳内物質が発見され、それを投与されたネズミが凶暴化したのです。物質はバイオレミンと名付けられ、人格の崩壊を招く危険な物質として大掛かりな調査が行われました。その結果、凶悪犯、精神疾患者の脳からもバイオレミンが発見されました。
さらに比較のため調査された一般人からは別の脳内物質が発見されたのです。この人々は優秀で社会的地位も高い人で、物質はエクセレミンと名付けられました。エクセレミンは脳のシナプス結合を促進する作用があり、その濃度と知能指数に高い関連性があることも判りました。

まったく別のものと思われていた二つの脳内物質の類似性に気付いたのがブッフバルト教授です。教授は酵素を使ってエクセレミンからアミノ酸を分離しました。残ったタンパク質にある条件が揃うと、別のアミノ酸が結合してバイオレミンに変化するのを実証したのです。
凶悪犯、精神疾患者の生活歴、病歴を詳細に調べた教授はエクセレミンが強いストレスによってバイオレミンとなり、ブッフバルト病を引き起こすと発表しました。父親から息子に遺伝する可能性を示すデータもあります。
ただし、ブッフバルト病は今のところ仮説でしかありません。調査は遺体でしか出来ないためデータが不足しているのです。現在、各国でデータを収集中のようです。このメールが届く頃にははっきりしているかもしれません。

高弘の優秀な頭脳と強いストレス、その後の行方不明、警察沙汰を考えますとブッフバルト病の疑いがあり、それが治に遺伝している可能性は捨てきれません。
上記の理由から、徳寺治を監視するのは地球では許されないでしょう。しかし、ここは宇宙船の中です。彼がバルブを一つ操作するだけで、彼自身も含む十六人が生命の危機にさらされるのです。彼を監視するのは止むを得ないと私は判断しました。

私たちはワープして九光年を進んでしまいました。この報告が地球へ届くのは出発の十八年後となるわけです。局長はすでに退職されて日向ぼっこでもしているのでしょう。局長のそんな姿を想像すると、私は口惜しいような情けないような気持ちになります。
治を監視するにしても家族との最後の別れまで盗撮するのはルール違反です。他のクルーも盗撮したのでしょうか?私と母の別れも盗み撮りしたのでしょうか?
大野竜也と上原花音にも治の監視を指令しましたね。軍人による監視は、精神科医の観察の障害になるだけです。
そんな局長の命令で動く自分に嫌悪感すら覚えることもあります。しかし、これは私の任務です。任務をまっとうして無事に新しい惑星にたどり着きたいと思います。   栢山樹理 」


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