春菜は思った。向こうが汚い手を使うなら、こちらも使うしかない。長官の為にも勝たねばならない。そう決心すると少佐に対する恐怖心が無くなった。 「局長というポスト名で担当する省を限定するのも、いかがなものかと思います。外部の資料と考えるならポスト名にこだわる理由はありません。例えば社長専用という資料があれば、八幡少佐は社長とは省内には無いポストという理由で、資料はどこの省にも属さないとお考えでしょうか?」 「その前に、先ほどの質問の答えを聞きたいが」 「その答えはすでに、少佐の質問の前に申したはずです。八幡少佐は同じ事を二度言わないと、ご理解出来ないのですか?」 そう言うと春菜は少佐に向かって両手を広げ、肩をすくめた。会議室に笑い声が起こる。日に焼けた八幡少佐の精悍な顔が赤黒くなった。真っ赤になって怒っているのだ。しかし、手は挙げない。
春菜はさらに突っ込む。 「それでは私の質問にお答え下さい」 「八幡少佐、質問に答えたまえ。一つは、局長の名で資料が紛れ込むなら軍よりも科学省に近い他の省ではないか。もう一つは、局長というポスト名で所属の省を限定する必要はない。この二つの質問だ」 「その質問に対する答えを保留します」 少佐の声が怒りに震えている。春菜は恐怖心を突き抜けた透明な意識の中でチャンスだと感じた。 「少佐の男らしからぬ、そして軍人らしからぬ態度には失望しました」 統合情報部が静まり返った。次の瞬間、一斉に野次が飛ぶ。八幡少佐の手が震えているのが春菜からも見て取れた。 「静粛に!田代君、今の発言を取り消すことを君に望むが」 「議長、申し訳ありません。今の発言を取り消します」
着席と同時に春は手を挙げた。少佐が冷静さを取り戻す前にたたみ掛けるのだ。 「本題に戻りたいと思います。10月2日に私がアスカ資料を借りに行くと、近くのキタキツネの資料がないと騒ぎになっていました。国防省の方が棚番号を間違えたのですが、妙な話です。国防省の方とは統合情報部の方ではないでしょうか。おそらく、この会議にも出席されている優秀な方です。その優秀な方が棚番号を間違えたのです」 春菜は話しながら統合情報部を見る。少佐への侮辱に対して全員が怒っている。その怒りは少佐への同情ではない、組織の名誉を汚された怒りだ。そう感じた春菜は少佐の弱点に気付いた。 「おそらく、この事件は統合情報部長のあずかり知れぬ所で、将校たちが勝手に起こしたものです。しかし、個人の起こした事件ではなく、統合情報部が組織として起こした事件ではないかと私は思います」
統合情報部がざわついた。八幡少佐の目つきが変わったのを見て取ると、春菜は視線を転じた。外務省情報部、内務省、内閣調査府を見回しながら説得するようにゆっくりと話し出した。 「資料を借りる時は、当然ながら資料名で借ります。そして、資料室で効率良く見つける為に棚番号も覚えていきます。棚番号を間違えて別の資料を借りた?あり得ないことです。主客転倒と言いましょうか。資料を借りるという目的、その為の手段である棚番号、それを間違えるとは分別ある大人とは思えません。あるいは統合情報部は小学生にお使いを頼んだのでしょうか」 会議室に小さな笑い声が起きた。春菜は統合情報部を見た。全員が引きつった顔をしている。
春菜は八幡少佐を見据えると、詰問するような厳しい口調で言った。 「いいえ、間違えたのではありません。キタキツネの資料箱が必要だったのです。統合情報部は何のために箱が必要だった・・」 春菜の発言中に八幡少佐が叫んだ。 「単なる推測だ。想像で統合情報部を陥れるような事は許されない。彼女の発言を中止させるべきだ」 「八幡少佐、君に二つの忠告をしよう。まず、許可なく発言しないこと。次に無許可で発言すれば退席を命じる。もう一つは、科学省の封印に関する君の発言も推測でしかなかった。自分と他人とは公平に扱いたまえ。田代君、先を続けなさい」
「あなた方は間違えたのではありません。かといってキタキツネが必要だったのでもありません。統合情報部が必要だったのはスペースです」 八幡少佐の苛立ちを見てとると、春菜はゆっくりと話しだした。 「十日前に私がアスカ資料を開けると三年前にはあったはずの青い小箱がありませんでした。それなのにメモリーの数は三十一で合っている。その中の二つには卑猥な動画が入っていました。それは最初から紛れ込んでいたもので、青い小箱は私の記憶違いかと思いました。しかし、そうではなかったのです。何者かが青い小箱ごとメモリーを盗み、数合わせに二つのメモリーを入れたのです。
この事件には偶然が作用していました。私は9月末日で退職し10月2日からアドバイザーになった、つまり10月1日は科学省にいなかったのです。この日にアスカから最後のメールが届きましたが、科学省は資料を開封しなかった。 翌日に統合情報部が資料室に行くと意外にも未開封だった。資料を見るには担当部署の開封許可が必要ですが、それは科学省に先に見てという事です。ヒューズ説で恥をかいた統合情報部にとって科学省を出し抜くチャンスです。 犯人は三十年も経った封印なら上手く剥がして貼り直せると思った。実際には三年前の封印ですが、彼はそれに成功しました。そして局長専用の箱に二つのメモリーがあると知った。さて、ここで彼は迷いました」
静まりかえった会議室で全員が次の言葉を待っている。春菜は呼吸を整えると一気にたたみかけた。 「卑猥なメモリーは局長専用の箱に入れるのは不自然だ。紛れ込んだと思わせるには箱は無いほうがよい。しかし、箱は大きくてポケットには入らない。そこで手近にあったキタキツネの箱に入れたのです。 国を守るべき国防省の統合情報部が守ろうとしたのは自分達の名誉ですか?いいえ、ただの見栄です。名誉を重んじるべき軍人が姑息な手段を取ったのです。窃盗と言うよりはコソ泥と呼んだ方が」 「統合情報部を侮辱するのか!」 少佐が怒鳴った。春菜はすかさず議長を見る。八幡少佐の二回目の無許可発言だ。
ところが、議長は発言者を見ずに下を向いている。 「静粛に、許可なく発言・・・・あったぞ、封印に動物の毛が付いている。統合情報部長、これを分析に回す必要を認めますか?」 統合情報部長は黙って振り向いた。少佐も振り向く。二人の視線の先にいた若い男が立ち上がると頭を下げた。 「申し訳ありません。田代さんの言った通りです」 「瀬島君すまん。この通りだ」。統合情報部長が両手をテーブルに付いて頭を下げた。 「黒川君、頭を上げたまえ。そして彼を責めるな。優秀な若者だ。僕は君が羨ましいよ。罪を犯してでも君に尽くそうという部下を持っている。僕にはそんな部下はいない」 「そうでもないようですが、科学省長官」
議長はそう言うと手に持ったメモを春菜に向けた。 「ナスカの土器片は三年前には外部に貸し出されていた。それが科学省資料室に戻ったのは二年前だ。資料室の栗平氏が退職した後になる。君の話は捏造かね?」 「はい、申し訳ありません。その部分は嘘です」 「その部分とは、三年前にアスカ資料を間違えて開封した事ですか?」 「はい、そうです」 「それでは、いつこの箱を見たのかね?」 「見ていません」 「証拠品に関する情報をどうやって入手したのかね?」 「申し訳ありませんが、それは言えません」 「そうなると、田代君は偽証したと認定せざるを得ないが」 「はい」 「ここは法廷ではないから偽証罪は成立しない。しかし、偽証によって得た証言は、その記録を抹消することが出来る。統合情報部長に聞くが、君の部下の発言を抹消しますか?抹消すれば彼の自白は無効となる」 「議長、これ以上恥をかかせんで下さい。田代さんは少しは嘘をついたかもしれん。だが、肝心なところは全て事実だった。どうやって調べたのか、箱の底まで知っていたのには驚いた。僕に権利があるなら、彼女が偽証したという部分を抹消したいが」 「それは権利の拡大解釈です、が・・・特例として認めましょう。今日の会議で記録されるのは統合情報部の新資料と徳寺治精神疾患説、及びそれに対する質疑応答だけとします」
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