治は花音に、毎晩少しずつ体験を話した。ある夜、アスカの核分裂炉が落下して、放射能汚染された話になった。それに対して花音は言った。 「春菜が言っていた。船のコンピュータにはね、ヒューマン・エラー・リカバリー・システムがあるって。治が手動で軌道修正を選んで何もしないと、コンピュータが自分でコースを変えるはずよ」 「でも、船の床に大穴が開いていた。何百本ものケーブルが千切れていた。コンピュータが指令を出してもエンジンが動かなかったはずだ。現に循環システム室はコンピュータから分断された」 「飛行機は離着陸を繰り返すでしょ。だから天井側にメイン・ケーブルがあって床下にサブ・ケーブルがあるの」 「ケーブルが二本あるのか」 「アスカが着陸するのは一回きり。その代わり翼の上を調査機が離着陸するでしょ、だから上下が逆なの。アスカはメイン・ケーブルが切れたけどサブ・ケーブルは生きているわ。サブは緊急用だから操縦だけ、循環システム室は対象外なのよ。だけど、どうして治は船を落下させようと思ったの?」
治が冷凍受精卵を破壊しようと思った話になると、花音が治の手を取って自分の腹に当てた。 「科学がいくら進歩しても人工子宮は出来ないわ、人間の子はここでしか育たないのよ。女には判るの」 「どうして?」 「ここにね、赤ちゃんがいるわ」 「本当か!」。治は花音の腹に手を添えて言葉を続けた。「花音、子供をいっぱい作ろう」 「うん。私いっぱい生むわ」 笑っていた治がふと考え込むと学者の顔になって言った。 「俺たちだけだ。惑星移住計画は失敗だな」 「それは判らないわ。私ね、ここの人にすごく親しみを感じるの。違う星の元に生まれた二人、と言うじゃない」 「それはメロドラマだな。違う運命を言い換えただけだろ」 「そうよ、判っているわ。だけど、そんな気がするの。春菜や翼は親戚の子供のように感じるわ。混血の子供が出来るような気がする」
そう言うと花音は遠くを見て黙り込んだ。ふと、目を戻すと治に言った。 「子供のために畑を作らないの?」 「そうしたいが種は置いてきた」。治が答えながら空を指差した。 「お米も小麦も元は雑草だったんでしょ。植物学者なら、ここの雑草から何か作れるんじゃないの?」 「米も麦も栽培されるまでは何百年もかけて品種改良されたんだ」 花音がため息をついた。 「それに俺の専門は品種改良じゃなくて生物農法なんだ」 「何それ?」 「ここで手に入る物を使って農薬の代わりにする。希少糖や植物ホルモンの中には除草剤や殺虫剤になるものがあるんだ」 「えっ?ちょっと待って」。そう言って花音は考えた。「それは地球の話でしょ。この星にその何とかがある保証はないでしょう?」 「太陽系の進化は宇宙では普遍的だと考えられているんだ。太陽に近い場所は岩石惑星、遠くに水素惑星が出来る。地球と同じ距離にある惑星なら同じ材料で出来ている。だから同じような炭素型生命が生まれる。 生物の外見は違っていても、たんぱく質の違いは少ない。そして基本構造であるアミノ酸はほとんど同じはずだ。その通りだっただろう。俺達はこの星の食い物で生きている。同じだから消化吸収出来たんだ」 「そうか!」
「だけど分析装置もここには無い」 「分析装置?」 「希少糖やホルモンの構造分析器さ」 「希少糖って何?」 「簡単に言えば砂糖の仲間で珍しい物、だから希少糖」 「砂糖が農薬になるの?」 「砂糖の主成分はショ糖だ。それはブドウ糖と果糖が結合した物だ。だからショ糖を二糖類、ブドウ糖や果糖を単糖類と言うんだ。単糖類は約五十種類ある。その中で滅多にないのが希少糖だ。農薬になる希少糖を見つけるのは難しい。だけど、作ることが出来るんだ。単糖類の分子構造と生成酵素の関連性を体系化したイズモリングを使うんだ」 「専門的な話は判らないけど、何故イズモなの?」 治が地面に「何森」。と書いた。 「イズモリングの考案者だ。何て読むと思う?」 「なにもり?」 「いずもり」 「あっ、そうか」
「船長にもこの話をしたんだ。船長が面白がってさ、惑星に着いたらイズモリングで作物を育てる。ならばイズモリングの星だな、と言うんだ」 「随分入れ込んだのね」 「それは大袈裟ですよ、と言ったんだけど船長は妙に気に入ってたな」 「何か不自然ね。船長は治を監視していたのよ。知っていたでしょう?」 治は声をたてずに笑うと肯いた。花音が言葉を続ける。 「樹里が言ったの、理由は治の論文じゃないって」 「えっ!」 治は驚いた。樹里は母の気が狂ったことも皆に言ったのだろうか?
「叔父さんが原因だって。だけど、身内に犯罪者がいても治本人には無関係よ」 「叔父は犯罪者ではない。東京で漁師をしていただけだ」 「東京は悪の巣窟よ。海から突き出した高層ビルの廃墟の中で麻薬、違法カジノ、売春。そんな所にいたの?」 「東京は良い漁場だったのさ。崩れたビルや車などが漁礁になり、そのせいで網も使えない。釣り上げた巨大魚には高値がついた」 「私は・・・東京の魚は食べたくないわ」 「東京水没から七十年以上だ、遺体は骨になってる。気にすることはないさ、どのみち庶民は食えないけど」
「強制捜査の時も漁師をしていたの?」 「そうだ。だが、逮捕はされなかったはずだ」 「どうして?」 「叔父は信濃大学から財務省入りしたエリートだった。それが月面刑務所で強制労働なら、マスコミが面白がって書きたてたはずだ」 「無罪なら逮捕されないでしょ?」 「強制捜査の目的はアスカの建造費と作業者集めだ。マフィアの金を没収し、東京に居た者は無差別に逮捕して月に送ったんだ」 「そうだったの、酷い話ね。ところで叔父さんはエリートだったのに、どうして東京で漁師になったの?」 「俺が赤ん坊の頃だから判らない。叔父のことは皆も知っていたのか?」 「樹里は職業上の秘密は守るわ。私が相談したから特別に話してくれたの」 「相談?」 「治が心配だったのよ」 そう言うと花音は治の目を見つめた。治は花音に肯きながら思った。確かに樹里は秘密を守った。だが、母さんは狂ってはいない、悲しみのあまり気が動転しただけだ。
鬼族の話が終わった頃、花音のお腹は大きくなっていた。花音は治に自分のお腹を触らせた。中から赤ん坊がお腹を蹴っている。 「元気だから、きっと男の子よ」 「ああ、きっとそうだよ」 「この子の名前ね、健太にしたいの。お祖父ちゃんの名前よ」 「片瀬大佐の名前か、自慢できる名前だ」
花音は、もっともっと、たくさんの子供を産むだろう。治は墓石を作ってクルー名を刻むのを止めた。他にやることが、たくさんあるからだ。それ以上の生きがいが出来たからだ。そして、名を刻むのは花音がすでに始めていたからだ。 春菜も翼もたくさんの言葉を覚えた。彩華と悠太は生まれたばかりだ。あと十人は、これから生まれてくる。そして十六人で新たな旅が始まるのだ。
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