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作品名:セカンド・プラネッツ 作者:織田 久

第26回   第9話 赤森の谷
五日の間、絶え間なく耳に入っていたせせらぎの音が絶え、赤森の谷は不気味な静けさに包まれていた。翌朝、谷が明るくなってから先に進んだ。御山の麓にある細長い沼が赤森の谷だ。沼の中央に樹齢千年は越えたような巨木が生えている。
「ダブ、ニーナ、あれが赤ん坊の木じゃ」
二人は、その話を知らない。ただ黙って頷くだけだ。中央の巨木を囲むように何本もの木が生えているのは、すでにご先祖様の姿になった老人なのだろうか。

やがてお婆が降ろせと言った。地面に座ったお婆はダブとニーナを正面に座らせた。お婆が赤ん坊の木を指差すと話し出した。治は離れた場所で見ていた。やがてダブは怒ったように拳を握り、ニーナはしくしくと泣き出した。最後にお婆が何か言うと、二人はうなずいた。おそらくは他言無用という事だろう。本当は花が咲いてから聞く話のはずだ。神話の場所まで送り届けた二人だけが特別にここで聞かされるのだろう。

 ダブが手を挙げて治を呼んだ。近づくとお婆が言った。
「いよいよ、その時がきたわい、ワシは疲れた。早ようご先祖様の元に行きたい。おぬし、あの赤ん坊の木の近くまで抱いて行ってくれぬか」
「お婆様の望むままに」
治はお婆を抱いて沼へ入った。
「おう、雲が流れて御山が顔を出した。ご先祖様を燃やした御山も、今はワシを見守ってくださる。ワシがご先祖様の元へまいるのを見守ってくださる」
独り言のように喋っていたお婆が、治の耳元でささやいた。

「あれは大雨の時じゃった。雷が御山に落ちたのじゃ。そして遠くへ去って行った。ワシはご先祖様の霊がわしらを守ってくださったのだと思うたわい。ところが、二回目の雷は雨でもないのに落ちたんじゃ。遠くから来て御山に当たったのじゃ」
治は驚いて立ち止まった。
「お婆様、最初の雷のすぐ後に、二回目の雷は落ちたのですか?」
「いいや。そうじゃのう、二日は経っていたのう」
最初に落ちたのは、事故で飛び散ったアスカの破片だ。それがあの道を作ったのだ。
「おぬしが来たのは、どっちじゃ?」
「俺は二回目です」
「ふむ、そうか。二回目か。おぬし、御山から来たか。おぬしが御山に当たった時にニライ様の霊が乗り移ったのじゃ。種族は違うがニライ様じゃ。オニ族のニライ様じゃ」
二号機は海に落ちて爆発したのだ。それが山に当たった音に聞こえたのだろう。

「見てみぃ、御山におぬしの当たった跡がついておる。ワシが八十年前に来た時は、あのような筋は無かったわい」
確かに山には一本の筋が付いていた。あれはアスカの破片の跡だ。一度山に当たり角度が変わって道が出来たのだ。普通に落下すれば地面に激突して道は出来ないはずだ。
治がこの島を出て、むこうに渡る目的がはっきりした。あの道をたどろう。その先にはアスカの破片がある。そこに仲間の墓を作ろう。それが一人生き残った者の使命だ。岩を運び十五名の名前をそこに彫るのだ。十年でも二十年でもかけて仲間の名を刻むのだ。それが俺の生きがいになるだろう。

「ここで良い、ここに降ろしてくれ」
お婆をそっと降ろすと、足が沼に触れる瞬間、お婆はビクッと全身を震わせた。
「ご先祖様の元に行くのは怖くはないわ、木になるのはワシの望みじゃ、しかしな、ここに一人で立っているのは寂しいのう」
「お婆様、俺も一緒に居ます」
旅の途中、ほとんど口を開かなかったお婆が、赤森の谷では喋り通しだ。だが、その声に力はなかった。今、沼に立った姿も頼りなく、治が手を放せば倒れそうだった。
「おぬしに会えて良かった。最後におぬしと共に過ごした日々は楽しかったわい。のう、オサム」
「えっ」
「この旅の最初の夜、ダブがそう呼んでおった」
「お婆様、お婆様の名前は何というのですか?」
「ワシの名か、ここ四十年は耳にも入らず、口にも出さずじゃ。はて、何だったじゃろう」

それを思い出そうとでもするように、お婆は目を閉じた。しばらくするとお婆は寝息をたてはじめた。立ったまま眠っている。治はお婆を抱くように支えた。
「私の名はカリンよ」
治は驚いてお婆を見た。お婆は眠っているように見えた。
「良い名前ですね」
お婆は治には答えなかった。   
「駄目よ、バルン。私たちの赤ちゃんよ」
お婆は若い頃の夢を見ているようだ。お婆の目から涙があふれだした。
「知っているわ。覚えているわよ。むごい掟だわ」
お婆は眠りながら、すすり泣いている。
「可哀想な赤ちゃん。今度生まれてくる時は、赤い色で生まれてくるのよ」
やがて泣き止むと、甘えるような声を出した。
「バルン、見て。御山よ。きれいだわ、こんな近くに見えるのね」
しばらくすると、お婆は微笑んだ。
「うん、あたちカリンよ。いい名前でちょ」

お婆の呼吸がゆっくりになってきた。やがて大きく息を吐くと、それは止まった。治はお婆をそっと抱きしめた。
「カリン、良い名だよ。俺の愛した人の名に似ているよ」
静かに手を離すとお婆は一人で立っていた。根が生えたのだろう。岸に戻ると、ダブとニーナは手を握りあって泣いていた。
「お婆様は、微笑んで、やすらかに、木になられた」
それを聞くと、二人は握り合っていた手を離し、両手で顔を覆って泣き出した。治は山を見上げた。
「ダブ、ニーナ。俺は御山に行く。二人だけで帰れるな」
二人は泣きながら頷いた。

 その先に道はない。治は真っ直ぐに登っていった。木が無くなり岩だらけの荒れ地になる。さらに登って、ようやく筋の下に着いた。疲れて座り込むと直線と扇形に挟まれた海が見えた。ここは海から山が突き出した丸い島なのだ。対岸に光るものがある。アスカの破片が光ったのか?目を凝らすと、それは池のようだった。そこからの川だろうか河口が見える。雲で山が見えなければ、河口の手前で上陸すれば良い。

海の向こうにも鬼族は住んでいるのだろうか。赤族と青族が無益な争いを続けているのだろうか。治は苦笑した。もう鬼はたくさんだ。ダブやニーナも良い若者だ。だが二人は今日、大人への道を歩み始めた。さて、と立ち上がり風がないのに気付いた。東風に変わったのだ。治は山を下り始めた。村に着く前にダブとニーナに追いつくだろう。


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