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作品名:セカンド・プラネッツ 作者:織田 久

第103回                第10話 冥土
星を見る男が言った。
「お婆様、冥土とは何だ?」
「死んだら行くところじゃ」
「人は死んだらあの世に行くと聞いた」
「それは北の者の考えじゃ、わし等が行くのは冥土じゃ」
「冥土とは何だ?お婆様、教えてくれ」
お婆様は湯呑みを両手で抱えたまま言った。
「お前は海に湧く霧を見たことがあるか?」
星を見る男が肯いて答えた。
「その霧は陸に上がって雨になる」
「その雨によって畑の作物は命を与えられる。畑だけではない、草原も山もじゃ。草も木もいずれは枯れる。水は草や木から離れて川に入る。そして海に戻る。ワシ等も同じじゃ。冥土とは大いなる命の源じゃ。人はそこから生まれ、死ねばそこに戻る」
「死んで冥土に行けば、死んだ親やご先祖様に会えるのか?」

お婆様が首を振って湯呑みの中に指を入れると、一滴の水を手のひらに落とした。
「この一雫を川に入れたらどうなる?」
「川の水と一緒に流れていく」
「川の中から、この一雫を選んですくえるか?」
「それは出来ない」
「ワシ等の命も同じじゃ。お前の親もご先祖様も、大いなる命と一体になっておる」
「その後で別の人間として生まれ変わるのか?」
「大いなる命は人間だけのものではない。あらゆる生き物の命の源じゃ」
「それでは、生まれ変わって牛になるかもしれないのか?」
「虫かもしれん。草か木かもしれん」

星を見る男が黙り込んで考えている。お婆様はもう一人に目を向けた。蛇を踏んだ女が困ったように言った。
「申し訳ありません。私はそういう事を考えたことはありません」
「若い娘はそういう事は考えないもんじゃ。だが、お前には何か感じるものがある。お前の思う事を何でも良い、言うてみい」
「私は幼い頃から親を恨み、他人を羨んでいました。その心を恥じ、心を閉ざし、心に思う事と逆に振舞おうと努めました。いつしか私は気立ての良い、良く気が付く娘と言われ、ちょう・・・蝶々様の世話人に選ばれました。
本当は、私は一番ふさわしくないのです。その私が選ばれたことで、私は人を信じる事の危うさを知りました。人は一人で生きるものだと思ったのです。
ある時、私は吊るし首と言われました。もうすぐ死ぬ、そう思った時に、突然、私は一人では生きられないと知ったのです。私の心には二つの強い気持ちが湧き上がりました。死ぬ怖さと、共に死ねる喜びです」
「よいか、モノに惑わされるでない。お前は賢い。じゃが、知恵もまたモノでしかない。大事なのは、感じるコトじゃ。冥土はその近くにある」
それきりお婆様は口をつぐみ固く目を閉じた。二人は礼を言い、深く頭を下げた。

外に出ると農婦がイモを持って追いかけて来た。
「これを持って行きなされ」
蛇を踏んだ女が礼を言って受け取った。星を見る男が農婦に聞いた。
「この畑は大前様の物か?」
「そうでございます」
「畑の上を飛ぶ鳥も、大前様の物か?」
農婦が笑って答えた。
「いいえ。空を飛ぶ鳥は誰の物でもありません」
星を見る男が肯くと、チラッと上を見た。二人も空を見上げた。鳥の群れがこちらに飛んでくる。
「二人共、下を向いてろ。鳥は賢い。いつもと様子が違えば怪しんで高く飛ぶ」
星を見る男はそのまま動かない。鳥の群れが頭上を通り過ぎるや否や、弓を引いた。一羽の鳥が落ちてきた。星を見る男が駆け寄って鳥を拾うと農婦に差し出した。
「お婆様に渡してくれ」
「まあ、肉を食うのは何十年振りかね。お婆も喜ぶよ」

森に入ると蛇を踏んだ女が言った。
「死んで木になるのも悪くはないわ。何百年も風の音を聞きながら立ち続けるの。そして、いつかまた人間になるのよ」
「俺は鳥になって大空を飛びたい」
「そしたら誰かさんに射られて食われるわよ」
星を見る男は笑って目を転じた。リスがせわしなく動き回ってドングリを頬張っている。
「木の実も食われているぞ」
「地面に落ちれば熊や猪が食う。それで良いのよ、実が全部木になったら大変よ」
 星を見る男が森の中を見渡した。
「草もたくさん実がなる。虫も数え切れぬほどの卵を産む。年毎に百倍、千倍に増えるはずだが、そうはならない」
「虫や鳥に食われるからよ」
「生まれてじきに食われる。生まれ変わってまた食われる。それがずっと続くのだ。人に生まれ変わるのは億万に一つ以下だ。冥土はむごい所だ。俺は行きたくない」
「望んで行く人はいないわ」
「冥土は本当にあるのか?」
「まさか、お婆様の言葉が嘘とは思えません」
「死んで星になる話はレンゲの言葉にはなかった。冥土も同じだ」
「冥土が無ければ、私たちはどこから生まれどこへ行くの?」

「俺達は母親から生まれた・・・」
「母親には戻れないわ」
「俺の母は十年前に死んだ」
「違うわ、四百十二年前よ」
星を見る男が苦笑して答えた。
「忘れてた。四百年も過ぎれば骨も残っていない」
「土に返ったのね」
星を見る男が立ち止まった。額に手を当て何か考えている。蛇を踏んだ女も立ち止まった。見上げた西の空が赤い。
「夕食はイモよ。薪を拾いながら行きましょう」
そう声をかけて歩き出す。振り返ると星を見る男はまだ立っている。
「急いで!暗くなる前に川まで行くのよ」
星を見る男は我に返ると、蛇を踏んだ女を追って駆け出した。


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