空が暗くなると雨が降りだした。ダブは木の下に逃げた。そして雨が上がると、濡れた地面を慎重に避けて歩き出した。 「ダブは雨が嫌いかい」 「雨が好きな人はいないよ」 「ダブ、川だ。ちょっと水浴びしよう」 「水を浴びるって、水に入ることかい」 「もちろん、そうさ」 「駄目だよ、僕たちは水に入れないんだ」
治は船内スーツを脱ぐと川に入った。下着も脱いでそれをジャブジャブ洗いながら話を続けた。 「だけど海じゃないよ、川だぜ」 「オサムの角がぶらぶら揺れてるよ」そう言ってダブが笑った。 「そうさ、俺は角ぶら族さ」 「つ、角ぶら族、あはは」 「俺の種族には帽子という物もある、これだ」 そう言うと、治はパンツを頭にかぶった。
ダブは腹を抱えて笑い出した。 「だ、だけど、あはは、つ、角は隠すものではないよ。見せるものだよ。僕はもう立派な若者になりましたって、皆に認めてもらうのが角だよ。どうしてオサムの種族は角を隠すのさ?」 「どうしてかな、俺にも判らない。昔からだ。ところで、さっきの質問だけど、川にも入らないのか?君たちは」 「僕たちは水を飲むけど、そう、飲むのは大好きさ。だけど足を濡らすのは駄目だよ。だって根が出てきたら大変だもの」 「根が出ると、どうなるんだい?」 「歩けなくなって、人ではいられなくなる。あぁ、口にしただけで怖いよ。赤森の谷は恐ろしい場所だよ」 「赤森の谷?」 「百歳になった老人は、そこで・・・木になる。それが僕たちの種族の掟だ」 「百歳の老人というと」 「お婆だよ。赤ん坊の実を畑に植えたら、お婆は赤森の谷に行く。本当ならムシの祭りで花が咲くけど、オサムの、いやニライ様のおかげでもう咲いたからね」 「その花が実になるのかい?」 「そうだよ。実が熟したら畑に植えるんだ。生まれるまでの十月十日の間に赤森の谷に行くんだ。いつ行くかはお婆が自分で決める」 「なあ、ダブ。俺のせいでお婆は早く、その赤森の谷に行かねばならなくなったのか」 「うん、そういうことになるけど、そうでもないよ。じきにムシの祭りだもの」 「そのムシの祭りとは、なんだい?」 「みんなで腹いっぱいムシを食うのさ、美味しいよ。そしたら花が咲く。だけど今年はもう花が咲いたからな、どうなるんだろう?」 「十年に一度だったね」 「うん、そうさ。十年に一度のお祭りだよ」
鬼族のことを知れば知るほど謎が深まる。赤森の谷、ムシの祭り、畑に植える。だが、今日は一つの謎が解けた。身体の大きさが三種類の不自然な年齢構成、それは十年ごとに繁殖するという鬼族の生態を表していたのだ。
翌朝、治は村はずれに行くと何か飛んでいるものに気付いた。「羽虫だ!」。この星で初めてみる動物だ。羽虫を目で追って治は驚いた。木に白い花が咲いている。急いでその木の下へ行く。間違いない、治が三日前に用を足した所だ。 治は急いで別の木の下に穴を掘った。せっぱつまってきたからだ。そして、すっきりすると穴を埋め戻した。この木にも三日後には花が咲く。実が生るのはいつだろう。俺が毎日用を足す。毎日花が咲き、毎日実が生る。これで食料問題は解決だ。 治は浮きうきしてきた。これはアスカの循環システムと同じではないか。宇宙ではクルーの排泄物も立派な資源だった。 「俺はこの星でも同じことをしているのか。俺に出来るのはこれだけか」 治は自分自身を笑ったが、それは明るい笑いだった。
治は浮わついた気分のまま、お婆を訪れた。 「お婆様おはよう」 「おぬしが来るのは判っておった。して何を聞きたいのじゃ?」 治は先制パンチを食らった気分だった。お婆の眼光に射すくめられたように、用意してきた言葉を忘れ、いきなり本題に入ってしまった。 「お婆を赤森の谷に行かせたくないのです」 「余計な世話じゃ、ワシは行くことを望んでおる」 「赤森の谷とは、どういう所なのでしょう?」 「それも知らずに、余計な世話をやくとはのう。おぬし何者じゃ、ニライでないことは判っておるぞ」 「俺は、お婆様たちとは別の種族です」 「そんなことは判っとるわい。どこから来た?」
治は返答に困った。言っても信じてはもらえないだろう。だが、お婆の目を見て治は決心がついた。治は黙って上を指差した。 「ふむ、やはりな。一人で来たのか?」 お婆の言葉に治は驚いた。 「何故、判ったのですか?」 「おぬしが来る前に雷が鳴ったわい。ワシは百年生きてきたが、あんな雷を聞いたのは初めてじゃった。おぬしはあの雷と共に空から来たのじゃな」 「はい、そのとおりです。一人で来ました」 「雷は二回鳴ったぞい」 「雷が何故二回鳴ったのかは判りません。来たのは俺一人です。仲間は皆死んでしまいました」 「なんで死んだんじゃ?」 「隕石という石のせいです」 「我らのご先祖様も燃える石のせいで大勢死んだ。しかし二人の若者が生き残った。それが我らの始祖じゃ。おぬし一人では子孫は残せぬぞ」 「はい、仕方ありません」 「おぬし、オニであろう」 「えっ?」 「オニとは角がなく、我らに災いをもたらす種族じゃ。我らの言い伝えでは雷と共に空から降りてくる種族じゃ」
治は腰を抜かさんばかりに驚いた。いったいこれは、どういう事だ。 「おぬしが一人と聞いて心が安らいだ。おぬしがオニだとしても、悪いオニではないと判ったしの」 「俺はオニではありません」 「この言い伝えを知っているのは、今ではワシだけになってしまった。ワシは赤森の谷に行く前に、この言い伝えを村人に残さねばならぬ。そこへ、おぬしが現れたでな、伝えるのを迷っておった。すると、おぬしはニライ様という事になってのう、ワシは驚いたわ」
「お婆様、この村は食べ物も少なく村人は難儀しております。俺は木の実を生らせる事ができると思います。俺はそうした方が良いと思っています。この考えは間違っているでしょうか?」 「雲固でか?」 「はい」 「やりたければ、やるが良い。ただし長老が死んだように雲固の力は強すぎるのじゃ、我ら赤族にも、緑の木々にもな。雲固の力を過信するでないぞ」 「判りました」 「今日はここまでじゃ。また日を改めて来るがよい」
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