20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第96回   大動脈解離
大動脈解離


「なあ、正樹さん、あんた、うちのオフクロさんの命を奪った病気について詳しいようだが、もっと、俺にその大動脈何とかやらを教えてくれないか?」
「大動脈解離ですか。手術の前に病院の先生から説明があったとおもいますが、・・・・・・。」
「あったけれど、あの医者、難しい言葉ばかり使いやがって、俺にはさっぱり分からなかったよ。」
「わかりました。それでは出来るだけ分かりやすく説明してみましょう。」
「ああ、頼むよ。」
「大動脈は心臓から体全体へ血液を送るメインパイプのようなものですよ。胴体の中心を通って両腕や両足まで伸びている太い血管でしてね、ちょっとやそっとでは破れないように三重になっています。だから一番外側の血管の壁は丈夫にできていますよ。真ん中はスポンジのようになっていてクッションの役目をしています。そして一番内側の壁は血液が流れていますからね、直接血液に触れているわけですから、まあ、それなりの特殊な組織でできているわけです。原因はまだよく分かっていませんが、この内側の血管の壁が破れて大動脈のパイプの真ん中のスポンジ部分に血液が染み込んでしまうのが大動脈解離です。血管は大きく膨らんでいきます。もしこの大動脈の外側の壁が破れたら、命はありません。でも、さっきも言いましたが外側の壁は丈夫にできていますからね、徹底的に血圧を管理した内科的治療で乗りきることも出来ます。ただ、恐いのはね、心臓に近い部分にまで解離が進むと、もう手術しかありません。それも救命を最優先する手術でして、時間の余裕などはありません。膨らんだ血管が破れて心臓に血液が流れ込んだら、即、ショック死してしまいますからね。だから、そうならないように心臓に近い部分の大動脈を人工のパイプに取り替えるわけです。同時に脳へ続く血管と心臓の弁も取り替えます。大手術ですよ。大動脈全部を人工のものと交換することは負担が大き過ぎて無理ですから、心臓に近い部分を交換するだけです。ボロボロになった大動脈と人工のパイプをつなぎ合わせるのですからね、この手術はとても難しいですよ。いかに素早く出血を止めるかが勝負となってきます。手術中は脳へは血液を送り続けますがね、心臓も含めて脳以外の身体全体は低温の状態に保ち、しばらくの間、血が流れなくなります。循環停止状態ということです。だから、手術後に完全な元の状態に戻るという保証はありません。あくまでも救命を優先した手術ですからね。」
「心臓はさ、手術中は止まっているのかね?」
「心臓の停止している時間は他の手術と比べると長いですね。それだけ心臓には負担がかかります。心筋梗塞や不整脈が起こる場合もあります。脳も含めて身体中のすべての臓器への血流が悪くなるわけですから、脳梗塞をはじめ、様々な障害が予想されます。でも、心臓の近くまで大動脈解離が進んでしまうと、手術をしなければ、ほぼ確実に死亡してしまいます。手術死亡率は10〜20%で緊急手術としての成績は必ずしもよいとは言えません。手術後の死亡率も高くて、外科医にとっても、この大動脈解離という病気はとても怖い病ですよ。」
「じゃあ、あんたは、お袋が死んだのはあいつらのせいじゃねえと言いたいのか?」
「医者も人間ですよ。現代医学とて完璧ではありませんし、生と死はわれわれの力を超えた神聖なものだとおもいます。大動脈解離が心臓付近まで進んでしまった状況では、他に道はなかった。お母様を担当されたお医者様は見て見ぬふりをしなかったわけで、知りうる限りの救命処置を施した。しかし、人間の限界を超えていた。そう解釈された方があなたのお母様も喜びますよ。そのお医者様を憎んだところで何になるのですか。」
「あんたには分からんよ。おれの気持ちなんか、・・・・・・あまり偉そうなことばかり言うなよ。」
「あまりこんな数字を言うのは好みませんがね、急性の大動脈解離に関してだけ言うと、発症後2週間以内の死亡率は50%〜90%だと言われています。非常に高い数字になっています。お医者様があなたのお母様を殺したのではなくて、大動脈解離という病気があなたのお母様の命を奪ったと考えるべきですよ!」
「何を言いやがる、おまえ、俺に喧嘩をうっているのか?」

「樫村さん、大動脈を人工のものに交換する手術が出来る病院は限られていますからね、その大手術を受けられただけでも幸せだと考える方が正しい。」

 樫村直人は我慢の限界だった。次の瞬間、直人は正樹の横腹に蹴りを入れてしまった。鍛え抜かれた直人の右足は、その一撃でもって正樹を床に沈めてしまった。

「私のことを殴って、それで、あなたの気がすむなら、さあ、どうぞ、もっと殴ればいい!」
そう大声で言ってから、正樹は床から立ち上がった。そして言った。
「あなたが言うように、あなたのお母様を担当された医者が、もし、やる気のない医者だとしたら、手術は短時間で終わったはずですよ。・・・・・・でも、違うでしょう。おそらく10時間以上かかったはずだ。ボロボロになった大動脈の壁と人工の血管の縫い合わせた、その部分、その針穴からの出血すら止まらない状態だったはずです。凝固因子が消費されてしまっていて、出血が止まらない状態になっていますからね。血を止めるだけでも6時間以上かかることもある。この手術は誰にでも出来るという簡単なものではありませんよ。心臓と脳を体から外しての大手術ですからね。」

 樫村直人は頭を抱えて、また、台車の上にだらしなく座り込んでしまった。
「お袋の手術は・・・・・・12時間かかったよ。確かに、・・・・・・。すまん、お前が医者みたいな口のきき方をするから、つい、蹴ってしまった。だがな、・・・何と言われてもな、俺はあの医者が許せないんだ。」

 正樹は自分が医者であることを樫村直人に告げる必要は今はないな、とおもった。

少し間をおいてから、正樹が言った。
「もし、お母様を入れるお墓がないのならば、私たちの共同墓地に入れてはどうですか?とてもきれいな南の島の、それも丘の上にある、それは気持ちの良い、明るいお墓地ですよ。いつ行っても、やわらかい風が吹いていてね、私の一番ほっとする場所ですよ。」
 
しばらく考えてから、樫村直人が言った。
「南の島か、俺の四畳半の汚い部屋よりも、・・・・・・いいかもしれないな。」
「私は来月、島に戻るつもりです。良かったら、一緒に行きませんか?」
「来月か、・・・・・・。」
「ゆっくり考えて下さい。お母様を連れて行く、行かないは別にして、少し、ボラカイ島で休んだらよろしい。きっと気持ちが落ち着きますよ。」
「さっきは、蹴ってしまって、すまなかったな。大丈夫か?」

「大切な人、突然、亡くされたんだ。お気持ちはよくわかりますよ。」
「すまなかったな。その島へ行くのには、いくらくらい、掛かる?」
「むこうで泊まるところと食事は心配いりませんよ。だから、飛行機代だけですね。ディスカウントを使えば、そんなには高くはありませんよ。」
「そうか、それなら、あんたの飛行機代も俺が出すから、俺をその、何とか言う、島へ連れて行ってくれないか?」
「ボラカイ島です。ええ、いいですよ。喜んでお連れしますよ。」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7403