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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第93回   劇症肝炎
劇症肝炎


 正樹が浜辺の家に帰ると早苗とブラウニーは留守だった。メモが置かれてあり、岬の豪邸にいると記してあった。それは好都合だった。正樹はすぐに、裏庭にブラウニーの足では掘り返すことが出来ないくらいの深い穴を掘り、ホワイティーをその袋のまま埋めた。穴を掘りながら振り返ってみた。ホワイティーの症状は黄疸に加えて、何度も吐いていたし、熱もあった。鼻や歯肉からの出血もみられ、呼吸や鼓動も荒く激しかった。だんだん表情もなくなり意識もなくなってしまった。そして抱き上げて獣医のところへ運ぶ時には、もう完全にこん睡状態だった。消化管出血と脳にも炎症が起きていた。急性の肝炎の中でも数パーセントの確率で起こる劇症肝炎だったことは明白だった。もちろん犬と人間との場合では判断はまったく違う。それでも正樹は神でもない自分がホワイティーに安楽死を与えてしまったことを苦しんでいた。ホワイティーの埋葬が済んだ。正樹はしばらく盛り上がった土の前で手を合わせた。それからゆっくりと立ち上がり、岬の家に向かって歩き出した。途中、何度か海に入り汗まみれの体を洗った。

 早苗とブラウニーはネトイの書斎にいた。早苗の足元でブラウニーは静かに座っていたが、正樹が部屋に入って来るのを見ると、サッと立ち上がりしっぽを振りながら正樹のそばに寄って来た。正樹は軽くブラウニーの頭をなでで早苗の隣に座った。菊千代もネトイの後ろに立っていた。大きな部屋は静まり返っていた。その場にいた者はみな正樹の言葉を待っていた。
「ホワイティーは助からなかったよ。今、庭に埋めてきたところだ。」
 ネトイが口を開いた。
「そうか、それは残念なことをしたな。やさしい犬だったのにな。」
 菊千代が正樹に聞いた。
「ホワイティーは肝炎だったの?」
「ええ、肝炎と言ってもいろいろあるけれど、その中でもホワイティーの場合は最悪のケースでした。まあ、急性の肝炎に罹っても、たいていの場合は、安静にしていれば自然に治ってしまいます。そして一度かかれば免疫ができて再感染することはないのだけれど、・・・・・・ホワイティーの場合は様々な合併症が起きてしまった。残念だよ。
きっと、この岬の家のほとんどの子供たちは過去に肝炎を患ったことがあるとおもいますよ。あの不衛生な環境で生き抜いてきた子供たちばかりですからね。」
 菊千代は肝炎について、まったく知らなかった。
「どうして、ホワイティーは肝炎になってしまったのかしら?」
 正樹が彼女のために分かりやすく説明を始めた。
「肝炎とは肝臓に炎症が起こった状態のことをさします。肝臓の肝と炎症の炎をくっつければ肝炎という言葉になりますよね。その原因は様々で、アルコールや薬物、アレルギー性のものもありますが、ほとんどの場合はウイルスが体に侵入して来て発病します。ウイルスが肝細胞を破壊するのではなくて、外から入ってきたウイルスを体がやっつけようとして、免疫作用によって一緒に肝細胞も壊してしまうわけなんです。肝臓とは辛抱強い臓器でしてね、少しぐらいのダメージなら痛がらないんだ。だから逆に病気になっていることに気がつかないで病気がどんどん進行してしまう。気がついた時には、もう手遅れになることが多いのですよ。」
 菊千代がまた質問した。
「さっき、正樹先生はここの混血児たちがみんな肝炎にかかったことがあると言いましたよね。でも、みんな元気ですよ。」
 正樹が続けた。
「それではもっと詳しく説明しましょうか。急性肝炎になると、まず風邪のような症状、例えば、倦怠感が出て食欲もなくなります。発熱があり頭痛や関節なども痛み始めます。それに続いて、右脇腹痛、そして黄疸の症状がみられるようになります。安静にしていれば、数ヶ月で症状は治まります。完全に治れば、体内に免疫ができて、もう二度と感染することはなくなりますが、治りきらないと慢性の肝炎へと進むケースもあります。大概の場合は抗体が体内にできて二度と発病しないでしょう。裏通りの汚い水や腐った生魚を食べてきた子供たち、親からも社会からも捨てられた、ここの子供たちは少なからずA型肝炎の洗礼を受けているはずですよ。」
「日本ではB型肝炎のこともよく聞きますけれど、今、正樹さんが言ったものとは別なのですか?」
 今度は早苗がそう質問してきた。
「今、僕が言ったのはA型の肝炎の一部のケースです。A型とかB型とか言うのはウイルスの名前ですよ。発見された順番にA、B、・・・・・とウイルスに名前をつけていきます。A型のウイルスは感染力が強くて、水や生魚など口に入れたものから簡単に感染していきます。おしっこがビールより濃い色になったら白目をみる。皮膚や白目が黄色くなったら、すぐに検査を受けた方がよろしいでしょう。早苗ちゃんが言ったB型肝炎ウイルスは経口感染や空気感染することはなくて、血液によって感染していきます。母子感染や注射針、そして輸血による感染が考えられます。不衛生なピアスの穴開けも問題ですね。」
「輸血ですか、それじゃあ、大きな手術をした人は気の毒ですね。」
「でも血液の検査体制の進歩で輸血による感染は次第になくなる方向にあるとおもいます。A型肝炎、B型肝炎にしても、そして将来発見されるだろうC型肝炎にしても一過性の感染と持続性の感染が考えられます。感染してもすべての人が危険な状態になるわけではありません。一過性の感染の場合は症状がまったくでない人や軽く済んでしまうケースが約九割で残りの一割の人が急性肝炎になってしまいますが、命の危険のある劇症肝炎に進むのは、さらにその中の数パーセントぐらいでしょうか。持続感染の場合も約九割の人が自覚症状はないか、あるいはあっても軽く済んでしまいます。ただ、ウイルスは排除されず体内に保有したままのキャリアとして生涯を暮らすことになります。約一割の人が慢性肝炎へと進んで肝硬変や肝がんになる可能性があります。これもその一割の人すべてが命の危険にさらされるわけではありません。一部の人だけが肝硬変や肝がんへ進む可能性があります。」
「それじゃあ、知らないうちにキャリアになってしまっていることもあるのですね。」
「そうですね。でも自分がキャリアだからといって、暗くなってはいけませんよ。規則正しい生活をして、バランスのとれた食生活をすること。そして、気持ちを明るく、ストレスを抱え込まないことです。ストレスは肝臓の一番の大敵ですからね。」


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