20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第92回   ブラウニーとホワイティー
ブラウニーとホワイティー

 早苗が買い物をするために市場に行くと茶色と白の二匹の野良犬が現われるようになった。まだ二匹とも子犬で早苗のことを見ると嬉しそうにそばに寄って来るのだ。二匹とも雄だが、いつも一緒に歩き回っている。雨の日も風の日も、早苗がパレンケ(市場)へ行くと、必ずどこからか現われて、早苗の近くに来るようになっていた。早苗は市場の人たちに聞いてみたが、その茶色と白の雑種の子犬には飼い主はいないという答えが何度も返ってきた。
 浜辺の家に帰った早苗は正樹にその子犬たちの話をした。
「あの子たち、あたしのことが分かるみたいね。小さなしっぽを振りながら近寄って来るのよ。かわいくって、かわいくって、・・・。ねえ、正樹さん、あの子たちをこの家で飼ってはだめかしら?」
「野良犬か・・・、それは、その犬たちが決めることだよ。もし、その子犬たちがこの家を気に入れば、僕は反対しないよ。飼ってもいいよ。」
「よかった。じゃあ、今度、連れて来るからね。」
「でも、あのパレンケの人ごみの中で、よく生き抜いてきたよね。感心するよ。飼い主は本当にいないのかな?」
「市場の人に何度も聞いたけれど、野良犬らしいわ。」
「そう、それならいいけれど。まあ、この家に連れて来ても、その犬たちを鎖で縛り付けるのはやめようよ。今まで通り、自由な野良犬のままでいいんじゃないかな。」
「そうね、都会と違って、ここなら近所に迷惑をかける心配もないしね。放し飼いでいいわね。」

 翌日、早苗はさっそく市場へ出かけた。五分もしないうちに、子犬たちは早苗に駆け寄って来た。早苗はいつものように、跪いて二匹の頭をやさしくなでながら話しかけた。そして、立ち上がり子犬たちに大きな声で言った。
「さあ、おいで、一緒について来なさい。」
 トライシクルを使わずに、早苗は歩いて浜辺の家まで帰るつもりだった。この二匹の子犬たちは、はたして浜辺の家まで一緒について来てくれるのだろうか、早苗にはそんな自信はまったくなかった。
「さあ、おいで、行くわよ。」
 子犬たちは早苗の後ろにぴったりとついて来た。市場の人ごみを抜けて、メイン・ロードに出ても、まだ早苗から5mと離れずに、その小さな足でもって、懸命に歩いて来た。
早苗は時々立ち止まり、二匹の頭をやさしくなでた。
「しっかりとついて来るのよ。後でおいしいものをたくさん食べさせてあげるからね。」
 時間は少しかかったが、早苗と一緒に白と茶色の子犬は正樹が待つ浜辺の家に到着した。

「名前はブラウニーとホワイティーだな。茶色い方がブラウニーで、白い方がホワイティーだ。それでいいよね、早苗ちゃん。」
「ええ、それでいいわ。」
 二匹の子犬は浜辺の家の特等席、海が見えるベランダに腰を下ろした。少し疲れてしまった様子だった。正樹が犬たちに近寄って挨拶をすると、座ったままの格好でしっぽだけを振って、それに答えた。早苗がキッチンから残飯に干し魚を混ぜて持ってくると、犬たちはしっかりと立ち上がって、早苗に向かって前足を上げて、喜びのポーズをとった。早苗が餌の入ったボールを差し出すと、二匹は向かい合うようにしてボールの中に顔を突っ込んで食べ始めた。初めのうちは仲良く食べていたのだが、残りが少なくなってくると、ブラウニーは牙をむき出してホワイティーを威嚇し始めた。どうやら、ブラウニーの方が気性は荒く、ホワイティーはやさしい性格のようであった。それを見ていた早苗はジャーキーと呼ばれる干し肉を自分の口で柔らかくなるまで噛んでから、それをホワイティーに与えた。それを見ていた正樹が言った。
「ホワイティーは雑種にしては、どことなく気品があるね。成長すると、どのくらいの大きさになるのかな?楽しみだね。・・・・・・だけど、明日になったら、この家からいなくなっているかもしれないよ。野良犬は自由だからね。」

 しかし、ブラウニーとホワイティーは二日経っても、一週間が過ぎても、浜辺の家から去らなかった。二匹の子犬は早苗と正樹が住む浜辺の家が気に入ったようだった。

 犬たちが浜辺の家に来て一年が過ぎた。予想したよりも犬たちは大きくなった。一匹二匹と呼ぶよりも、一頭二頭と呼んだ方が正しかった。手足を延ばせば、早苗の身長と同じくらいのサイズにまで成長していた。4km続くホワイトサンド・ビーチを早苗と正樹が散歩する時にはブラウニーとホワイティーが二人の両脇に並ぶようにしてついてきた。二頭とも堂々としていて、滅多なことでは吠えたりはしなかった。早苗と正樹のことを守るようにしてどこへ行くにもついて来た。島で唯一の交通手段であるトライシクルの後部座席にも乗れるようになっていた。犬たちは早苗と正樹に全幅の信頼を寄せていた。ブラウニーは大人になっても欲張りで気性が荒く、自分に与えられた餌がなくなるとホワイティーの餌を横取りした。そんな時は決まって、早苗が自分の口でビーフジャーキーを噛み砕いてホワイティーに与えていた。ブラウニーはそれを横目で見て羨ましそうな表情をするのだった。正樹もよくブラウニーのことは叱りつけた。手加減をしながら叩くこともあったが、ホワイティーのことを叩いたことは一度もなかった。
 出逢ったものは、いつかは別れなくてはならない。だから、一緒に過ごせる時間を大切にしなくてはならないと正樹はおもっている。それは人でも犬でも物でも同じである。
 犬たちが浜辺の家に住みついて3年が経った。白いホワイティーの体が段々と黄色くなってしまった。と同時に、ホワイティーは食欲もなくなり、ベランダで寝たきりの状態になってしまった。
「早苗ちゃん、ホワイティーはヘパだよ。もう、時間の問題だな。」
「えっ・・・、ヘパ・・・・・・。」
「ネズミから感染したのかもしれないね。」
「何とかならないの? 」
「残念ながら、無理だな。」
「でも、ブラウニーはとても元気よ。」
「ウイルスが入っても、必ずしも発病するとはかぎらないんだ。ウイルスの潜伏期間はまちまちで、ブラウニーは今は元気でも、しばらく経ってから発病することだって考えられるし、天命を全うするまで発病しないことだってある。」

 正樹はホワイティーを隣の島の獣医のところへ運ぶことにした。ホワイティーの大きな体を抱き上げて、呼び寄せたトライシクルの後部座席に乗せた。そして正樹もホワイティーのすぐ横に腰掛けた。早苗とブラウニーがホワイティーとの最後の別れの時をむかえた。もちろんブラウニーは何で友と別れるのかが理解出来ない。一緒にトライシクルに飛び乗ろうとするブラウニーのことを早苗が懸命に押さえつけた。正樹はドライバーに発車を命じた。おそらく、獣医はホワイティーの安楽死を選択するに違いなかった。その方がホワイティーは苦しまなくてすむからだ。やさしいホワイティーはもうしっぽを振る力もなかった。ホワイティーの目だけが早苗とブラウニーのことをいつまでも見つめていた。
 ボート・ステーションに着いた。病気の犬と一緒では島の人たちが嫌がるとおもい、正樹は共同の定期船は避けてバンカー・ボートをチャーターした。ホワイティーと二人だけの最後の船旅だ。ゆっくりとホワイティーのことを抱えあげてボートに乗船した。しっかりと抱き上げたホワイティーの体からは今にも絶えてしまいそうな温もりが正樹に伝わってきた。船に乗っている間中、正樹はホワイティーから離れなかった。悲しげなホワイティーの目が正樹のことを見上げていた。船はカティクランに到着した。船着場から知り合いの獣医の家までは近かった。正樹はホイワイティーを抱きかかえながら歩いた。ホワイティーの体重は30kg以上はあった。でも、正樹はちっとも苦痛ではなかった。汗と涙が自然に吹き出ていた。何か新しい治療法が見つかっているかもしれない。正樹はそのことばかりを願い続けた。10分ほどで犬と猫が描かれた看板のあるアニマル・クリニックにたどり着いた。
 診察室の大きな台の上にホワイティーを置いた。獣医のスコットとは何度もボラカイ島で会ったことがある。正樹はこの動物診療所にも何度か足を運んだことがあった。まさか、こんなことで、スコットと再び話をすることになるとは夢にもおもわなかった。
「スコット、何か新しい治療法はあるかね?」
「正樹先生、お気の毒ですが、まだ見つかってはいません。」
「そうか。・・・・・・手遅れだったか。」
「突然、発病するのがこの病気の特徴で・・・・・・。」
「分かっているよ。」
「名前は?」
「ホワイティーだよ。」
 スコットは優しくホワイティーの頭をなでた。それから、しばらくの間、重苦しい沈黙が続いた。二人は何も言葉は交わさなかったが、お互いの気持ちは完璧に理解出来た。
「正樹先生、ホワイティーは私が・・・・・・?」
「いや、島に連れて帰りたい。」
「分かりました。それでは、しばらく待合室でお待ち下さい。」
 正樹は軽く頷くと、診療室から出て行った。
30分ほどだったか、1時間だったか確かではない。正樹にとってはとても長い時間が過ぎたような気がした。ホワイティーとの楽しい思い出が走馬灯のように甦っては消えた時間だった。
スコットがホワイティーの入った大きな米袋を台車に乗せて、待合室に入って来た。もう、二人は言葉を交わさなかった。正樹は頭を下げて、その米袋を抱きかかえた。まだ、ホワイティーのぬくもりが残っていた。涙がまた、不覚にも流れてしまった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7388