届けられた丸福金貨と紫芋
放課後、美術担当の川平諭は日本人学校のすぐ横にある石原万作が借りている豪邸に顔を出した。ボラカイ島から正樹と早苗が出てきていると万作から聞いたからである。豪邸の中に入ってみると、菊千代とネトイ、それに千代菊とハイドリッチの姿もあった。他にも日比混血児たちがその家で何人も働いていた。石原万作とリンダが借りているこの家は、二人の家と言うよりはボラカイ島の岬の家のマニラ出張所のようなものでもあった。渡辺電設の佐藤も少し遅れてやって来た。川平諭の父親の太郎が宝探しに出かけたまま連絡が途絶えて、そのまま行方不明になってしまったのは2年前のことであった。諭が広いリビングに入って来ると、まず正樹が諭に声をかけた。 「お久しぶりです。時が経つのは早いものですね。もう、任期がきましたか。来年は日本に帰ってしまうのですね。寂しくなりますよ。」 「ええ、あっという間の3年間でした。」 「お父さんから、その後、連絡はありましたか?」 「いえ、ありません。生きているのか、どうかもまったく分かりません。」 「そうですか。それは何と申し上げたらよいのか、心配ですね。」 渡辺電設の佐藤が二人の話に割って入ってきた。 「先日、香港のオークションに金貨がかけられましたよ。福と漢字で書かれた金貨です。戦時中に日本軍が鋳造した丸福金貨だとおもわれます。枚数は5枚だけでしたが、山下財宝が出たと香港中が大騒ぎになりました。」 石原万作もテレビで見たようで、同じ事を言った。 「それ、私も聞きましたよ。大きな福の字が書かれたコインはこのフィリピンを占領した日本軍のものだそうですよ。そのコインは降伏する間際に将校たちに配られたという説もありますよね。」 佐藤がわが意を得たりと言わんばかりに語り始めた。 「そうなんですよ。山下財宝に関しては様々な話が勝手に一人歩きしていますが、僕は山のような金の延べ棒を埋めたとか言う話よりは、その丸福金貨の方の説を信じますね。敗戦が決定的になって、皆に軍資金を分配してルソン島の山々に立て籠もったという話の方が信憑性があるとはおもいませんか?」 正樹が言った。 「敗戦が決まっていた、当時の状況下で、金貨を渡されてもね。確かに、渡された兵隊たちは心強いかもしれませんよ。食べ物に困ったら買うことが出来ますからね。しかし、逆に、一旦、日本兵は金貨を持っているという噂がひろまれば、今度は発見されれば、即、殺されてしまうことにはなりませんか?」 「確かに、その通りだ。無抵抗だった一般市民も日本兵をその金貨目当てに狙うようになるからね。」 佐藤が感心しながら、そう言った。 川平諭がカバンの中から一枚のコインを取り出して言った。 「二年前になりますか、父がこの金貨と紫芋を私に送ってきました。手紙には金貨よりも、もっとすばらしい物を見つけたとありました。紫芋がそうだと書かれてありましたが、何のことやら、私にはさっぱりです。」 佐藤が諭から金貨を受け取りながら言った。 「これはさっきから話に出ている丸福金貨ではありませんか。すると太郎さんは山下財宝を見つけたわけだ。」 「でも父の手紙には金貨のことよりも、紫芋のことばかりが書かれてありました。」 「紫芋?・・・・・・、あのアイスクリームに入っている紫色をしたウベのことですか?」 「新種の紫芋だそうです。金貨なんかよりも、もっと、ずっと価値があると手紙には、興奮ぎみに書かれてありました。山下財宝を探すのは止めて、紫芋の研究をするからと書き記して手紙は終わっていました。」 「紫芋ね・・・・・・?正樹さん、何か心当たりはありますか?」 「その紫芋の成分と何か関係があるのかもしれませんね。」 黙ってみんなの話を聞いていた早苗が口を開いた。 「お芋でお金儲けをするなら、焼酎しかないと、よく、田舎の父が言っていましたけれど、その紫芋から造られた芋焼酎に諭さんのお父様は惚れ込んでしまったとか・・・・・・?」 正樹がすぐに早苗の意見に反応した。 「それかもしれませんよ。太郎さんは紫芋から生成された焼酎の研究をしているのかもしれませんよ。」
芋焼酎
川平太郎はルソン島北部の山中を歩き回り、山下財宝を探しているうちに、ほんのり甘い、口当たりのとても良い焼酎に出合った。偶然に知り合った村人から勧められた、その芋焼酎は紫芋から造られていた。その不思議な紫芋に惚れ込んでしまった太郎は宝探しをするのも忘れて、紫芋の栽培に没頭していた。日本では見たこともないその新種の紫芋は焼酎にするとまったく臭みもなく、ほのかな甘みがあり、それでいてしっかりとした味わいが楽しめた。太郎がこれまでに飲んだ、どんな高価な酒よりも美味かった。太郎は更に品種改良を重ねて、ルソン島の山中にあった芋で誰もが納得する美酒を造り上げた。サツマイモの一種なのだろうが、芯の芯までとことん紫色をした芋で川平太郎は極めてソフトな味わいの芋焼酎を完成させた。 その芋焼酎はたちまち評判となり、太郎が世話になっていた村は次第に裕福になっていった。近隣の村々でもまねをして、その芋焼酎を造り始めた。太郎はその村々へも出かけて行って、その製造を手伝った。貧困のどん底にあった村々が太郎のお蔭で甦った。これらの芋焼酎は「TAROU」と呼ばれて、首都圏からもその評判を聞きつけて、買い付けに来るデーラーも現われた。「TAROU」は造っても造っても足りなかった。村々では家族総出で、その新種の紫芋の作付け面積を増やしたが圧倒的に「TAROU」の原料となる紫芋は不足状態だった。また、それが人気に火をつけてしまった。幻の酒として、全国に知れ渡り、入手が困難な美酒として奪い合いになった。「TAROU」の偽物まで現われたが、飲めばハッキリと味が違う本物の「TAROU」には丸に福の刻印が押されるようになった。いつまで経っても、その人気は衰えることはなかった。村々では共同で大規模な製造工場を造り、「TAROU」のファンの要望に応えようとしたが、いっこうに、需要と供給のバランスはとれなかった。
遠く離れたボラカイ島でも美酒「TAROU」のことは話題になっていた。早苗が正樹に朝食のおかゆを渡しながら言った。 「きっと太郎さんよ。だからお酒の名前がTAROUなんだわ。」 正樹がおかゆにコショーをたっぷりとふりかけながら答えた。 「そのお酒はすごい評判になっているよ。なかなか手に入らないらしいよ。」 「すごいわ、太郎さん!大成功じゃない。莫大な宝を探し当てたも同然じゃない。」 「確かにその通りだよ。人生とは分からないものだ。太郎さんは息子の諭さんが誘拐されて、ゲリラによって全財産を奪い盗られた。無一文、いや借金地獄のどん底から見事に這い上がって来たのだからね。もし、これが、山下財宝をみつけていたら、太郎さんの命はなかったかもしれない。人々はその宝を狙ったかもしれないからね。」 「あたしも、そうおもうな。」 「でも、太郎さんのお蔭で村全体が裕福になった。芋を栽培したり、焼酎を造ることでみんなが現金収入を得るようになったのだからね。言ってみれば、太郎さんは村の英雄となったわけだ。村人たちは太郎さんのことを、きっと尊敬しているに違いないよ。」 「諭さんは此の事、知っているのかしら?」 「知っているよ。このボラカイ島でも、この騒ぎなんだから、ましてやマニラにいる諭君の耳に、このニュースが届かないはずがない。」 「また、二人で島に来てくれると、いいわね。」 「それは今は無理かな、太郎さんはきっとまだ、芋の品種改良に明け暮れているよ。以前、諭君から聞いたことがあるよ。太郎さんは石垣牛の飼育をやる前は農協で農作物の品種改良が専門だったそうだよ。だから、よりうまい焼酎を造る為に、村人に保護されながら紫芋の研究に没頭しているのに違いないよ。」 「焼酎が飛ぶように売れて、太郎さんがいる村全体がリッチになっているのでしょう。そこが凄いわよね。太郎さんだけが一人で儲けているわけではないのだから、人々の反感をかうこともないし、財宝を見つけた時のようにビクビクするようなこともないわよね。そこの村人たちは太郎さんに恩を感じて、彼のことをとても大切にするわ。」 「貧困と戦っていた村人たちにとっては太郎さんは救世主と同じだよ。白米を食べたくても、それを買うお金がなくて、しかたなく芋ばかりを食べていた人々だ。だけど、皮肉なものだね、その芋が村人を救ったんだからね。」 「太郎さんが造ったお酒、そんなにおいしいのかしらね?あたしも一度、試してみたいな。」 「だけど、それがなかなか手に入らない。発売と同時に完売してしまうそうだよ。予約も一切受け付けないそうだよ。出来るだけ多くの人に渡るように、一人一本しか買うことが出来ないのだとか。」 「すごい人気ね。」
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