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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第88回   人質解放交渉
人質解放交渉

 海外で大きな事故や災害があると、日本ではよくこんな報道のされ方をする。
「・・・で列車の衝突事故が起こりました。500人の死者が出た模様です。現地の日本大使館が確認したところ、日本人の犠牲者はいないようです。」
何かおかしな報道の仕方だ。日本人が事故に巻き込まれていなければ、それでいいのかということになってしまう。テレビを見ている方も、日本人が災難に遭っていないと分かると、チャンネルを変えてしまう。何かが違うような気がする。

 バギオからマニラへ向かう途中のバスがゲリラによって襲撃されたというニュースはボラカイ島の正樹のところへもすぐに届いた。そして、川平諭の実家のある石垣島にも、そのニュースは配信された。日本人学校の教師が二人、事件に巻き込まれたと大々的に報道され、諭とみよこ先生の顔写真がテレビのブラウンカンに映し出された。バスの乗客のほとんどが解放されたが、外国人はゲリラによって連れ去られてしまった。

 ボラカイ島の正樹のところにマニラ東警察の署長から連絡が入った。
「正樹君か、ニュースを聞いたかね。どうやら、今回のバス襲撃事件の首謀者はジャネットらしいぞ。それから人質になってしまった学校の先生は君の知り合いのようだね。もしかすると、君に間に入ってもらって、交渉することになるかもしれない。こちらへ来てもらいたいのだが、お願い出来るかね。」
「ええ、もちろんですよ。すぐにまいります。」
 正樹は署長が用意してくれたヘリコプターで早苗と一緒にマニラへ飛んだ。

一方、その事件のことを聞いた石垣島の諭の父親は迷うことなく田畑や牛たちを担保に入れて、お金を借りまくっていた。息子がゲリラに拉致されたと聞き、大金が必要だと考えたからだ。諭の父親である太郎は隣の良太と一緒に緊急時の渡航手続きを済ませて、二日後にはマニラへ向かうことが出来た。やはり、太郎の頼るところは正樹だったが、連絡がとれず、まずマニラにある大使館へ行って状況を確かめることにした。
 早苗と正樹は日本人学校のすぐ横のレビタウンの家で署長からの指示を待っていた。その広い庭はヘリコプターの離発着も可能であった。いつでもゲリラたちとの交渉が出来るように正樹は待機していた。もちろん、すぐ隣の日本人学校の校庭でもヘリの離発着は可能であったが、日本人学校の中は治外法権、警察のヘリが入ると色々と問題が複雑になってくるので、石原万作が借りている大きな家の庭を署長は利用することにしたのだった。大使館との連絡は万作が引っ切り無しにとっていた。もし、日本人学校に何らかの要求があれば、すぐに連絡が入ることになっていた。
事件が起こって二日が経過した。諭の父親である太郎と良太が大使館に到着したとの連絡が入った。万作はすぐに車をとばして、二人をレビタウンの家に案内した。その二人を正樹は玄関先で迎えた。
「何と申し上げたらいいのか、・・・・・・今、警察も軍も全力で諭君を救出するために動いていますから、・・・・・・、」
「正樹先生、諭の為に、色々ご尽力いただきましてありがとうございます。」
「いえ、私など何も出来ませんが、・・・・・・さあ、どうぞ、中へ、疲れたでしょう。良太君もどうぞ。まだ、犯人グループからは何の連絡も要求もありません。警察や大使館、それから日本人学校にゲリラたちからコンタクトがあれば、すぐに、ここに知らせがくることになっていますから、この家で待つことにしましょう。」
「ありがとうございます。皆さんに感謝いたします。それから、正樹先生、ちょっと、よろしいですか。」
 そう言うと、太郎は他の者には聞こえないように、正樹の耳元で小さな声で言った。
「少ないですけれど、諭の為に3千万円を用意してきました。正直、これが私の精一杯です。交渉の際は、どうぞ、使って下さい。」
「承知しました。」

 さらに二日が経過したが、ゲリラたちからの連絡はなかった。

早苗がキッチンでゲストのためにコーヒーを入れていた。その後ろで正樹が言った。
「諭君の片足、実は、子供の頃に、諭君とあのお父さんが遊んでいる時に事故でなくなったんだよ。だから、諭君は自分の足がなくなったのはお父さんのせいだとおもっている。」
「そうだったんだ。」
「片足になってから、諭君はお父さんとは口をきかなくなってしまったんだよ。お父さんも弁解めいたことは何一つ言わずに、ただ、じっと耐えてきたんだ。」
「そうなの、それはお父さんも辛いわね。二人ともかわいそう。」
「署長が言っていたけれど、ゲリラの首謀者は、どうやら、あのジャネットらしいよ。だから、彼女に会ってさ、何とか二人を解放してもらうように頼んでみる。」
「その役目は、・・・正樹さんじゃなくては駄目なの? 他に適任者はいないのかしら。」
「ジャネットは僕のことをよく知っているし、それから、彼女のお母さんが日本の茂木さんのおかあさんと一緒に暮らしていることも伝えたいからね、僕がこの交渉を引き受けた。」
「でも、あたし、心配だわ。」
「ジャネットだって、好きでゲリラになったわけではないよ。成り行きで仕方なくこうなってしまっただけさ。」
「でも、人を殺すことを何ともおもわない人たちよ。誰か、もっと、人質解放の専門家にお願いした方がいいわ。」
「いや、僕がやるよ。諭君にお父さんが心配して来ていることを知らせたいからね。」

 ルソン島北部には、まだ文明の灯が届かない地域が多い。首狩り族と呼ばれる人たちもつい最近まで存在していたくらいだ。山間の洞窟にはミイラが眠り、ジャングルには人の血を何の痛みも感じさせずに吸ってしまうヒルが生息している。途中でむしり取ると、なかなか出血が止まらない。だからヒルがたっぷり血を吸い満足して肌から離れるまで待った方が痛みもなく出血もしなくてすむ。確かに、目の前でどんどん血を吸って膨らんでくるヒルを見ていると腹が立ってくるものだ、そんな時はそのヒルを食べてしまえば元が取り返せるというものだ。しかし、それが出来る人間は数が限られている。
 吉川みよこ先生と川平諭はそんなジャングルの中にいた。名前も知らない虫たちが容赦なく二人の身体に群がっていた。それに加えて、二人は激しい痛みを伴う下痢が続いていた。与えられた水が悪かったのだろう。二人の体力は限界に近づいていた。
「諭君、ごめんね。こんなことになるとは、・・・・・・。」
「みよこ先生が悪いわけではありませんよ。そんなこと言わないで下さい。」
「でも・・・・・。」
「それより、何か食べないと、二人とも衰弱死してしまいますよ。僕、あのゲリラの女ボスに頼んでみますよ。」
「あの人、日本人じゃないかしら、日本語は喋れないけれど、あたし、そんな気がするわ。」
「僕もそうおもった。」

 諭は銃弾の並んだベルトを両肩にかけた見張りのゲリラに食べ物を頼んでみた。すると、半時ほど経って、小さなモンキー・バナナが届けられた。食欲のない二人だったが我慢してそれを口に入れた。その時だった、吉川みよこ先生が悲鳴を上げたのは、諭はみよこ先生のそばに駆け寄った。みよこ先生は自分の腕を指差しながら震えていた。
「何、これ?」
 みよこ先生の白い腕には幾つも山ヒルがへばり付いていた。
「ヒルのようですね。先生の血を吸ってやがる。」
「やだ!早くとって!」
 諭はそのヒルを素早く払い除けた。すると、みよこ先生の腕は幾つもの血の流れができ、すぐに真っ赤に染まってしまった。取り除いたヒルは諭が足で踏み潰した。諭の足も血だらけになってしまった。

 諭たちの他にも二人のアメリカ人男性と一人の韓国人女性が人質になっていた。同じバスに乗り合わせて拉致されてしまった。ゲリラの目的は政治的なものではないのか、金が目的のように諭にはおもわれた。バスから降ろされる時に、パスポートをゲリラによって取り上げられてしまったから、日本大使館へはすでに連絡がいっているはずである。
「みよこ先生、変な事を聞いていいですか。もしですよ、日本政府が僕らの為に身代金を出したとしますよね、そのお金は後で僕らが返済するのでしょうかね?」
「さあ、分かりませんね。それより、あたしたち生きて帰れるのかしら? いつまでここにいるのかしらね。 あと、二日もしないうちに、あたしは駄目みたい。もし、諭先生だけ助かったら、岡山の姉のところに連絡して下さい。」
「みよこ先生のご両親は?」
「いないわ、あたしと姉は施設で育てられたの。両親はあたしたちを捨てて、どこかにいなくなったみたいだから。」
「ごめんなさいね。余計なことを聞いてしまって。」
「いいのよ。もう平気だから。姉は結婚して岡山にいるわ。住所は学校に行けば分かるから。」
「駄目ですよ!しっかりして下さいよ。一緒に帰りますからね。いいですね。」
「諭先生、あたし、少し眠たくなりました。また、ヒルがついたら払い除けてくださいね。」
「分かりました。」

 翌日、韓国人の女性の姿が見えなくなった。諭たちが拘束されているキャンプからいなくなっていた。その次の日、アメリカ人の二人も消えていた。吉川みよこ先生はもう寝たきりになり、口数も少なく、ただじっと目を閉じたまま横になっていた。諭は英語で吉川先生の身体の具合が悪いので、彼女だけ解放してくれるようにゲリラたちに申し出た。何の返答もないまま、その翌日、朝、諭が目覚めてみると、吉川先生はいなくなっていた。どうしたのかと聞いても誰も答えてくれなかった。こんな恐怖はもちろん生まれて初めてのことだった。

 更に三日が経過した。諭の体力も本当に限界に近づいていた。昼近くになって、二人のゲリラ兵士によって両腕を抱えられるようにして、女ボスのいるキャンプに連れて行かれた。そこには諭がよく知る二人の人物がいた。ひとりは 正樹だった。そしてもう一人は諭の父親の太郎だった。
「父さん。」
 子供の頃に、諭が片足を失ってから、やっと、太郎のことを父さんと呼んだ瞬間だった。
「諭、よく頑張ったな。もう大丈夫だ。」
「みよこ先生は?」
「無事だ。病院にいる。正樹先生が助けて下さったよ。」
「よかった。」
 それだけ言うと、諭の張り詰めていた緊張はプツリと切れてしまった。身体全身の力が抜け落ちてしまった。



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