バギオへの道
川平諭が美術の教師としてフィリピンのマニラ日本人学校に着任した、その年の小学部6年生の修学旅行はバギオと決まった。また同時に中学部2年生の修学旅行はセブ島に行くことも職員会議で決定された。子供たちの修学旅行に先立ち、宿泊先の下見も兼ねて、川平諭は吉川みよこ先生と一緒に小学部の旅行スケジュール通りに歩いて回ることになった。もちろん、諭はバギオへ行くのは初めてであった。吉川みよこ先生は昨年もバギオへ子供たちを連れて行っている。その吉川みよこ先生が言った。 「川平先生、今、私たちが走っている、この道ですけれど、昔、日本から労働者がたくさんこちらに移り住んで来て、建設したのをご存知ですか?」 「えー、そうなのですか。知りませんでした。」 マニラからバギオへ向かうバスの中で、吉川みよこ先生は諭に語り始めた。 「バギオはね、アメリカがこの国を占領していた時に、標高が高い場所に、自分たちの住みやすい都市をつくろうとしたわけ。一年の平均気温が20度前後の涼しい高山にワシントンDCを設計したバーンハムを連れて行ってね、わざわざ設計させた計画都市だわ。でもね、工事は難航を極めたそうよ。マニラからバギオへ向かう道路の建設に困ってしまってね、アメリカは勤勉な日本人労働者を利用したのよ。だから、あたしたちが今、走っているこの道は日本人たちがつくったの。」 「何でアメリカはそんな山奥に都市を築いたのですかね。」 「きっと、マニラがとても暑かったからでしょうね。当時はまだエアコンもなかったでしょうからね。少しでも居心地の良い場所で、この国の統治をしたかったのでしょうね。」 「ガイドブックによると、バギオは観光地として有名ですよね。」 「ええ、そうね、日本の軽井沢のような感じかしらね。観光地としても、とても有名ですけれど、今は学園都市でもあるのよ。総合大学や医学の専門学校、それにフィリピンの士官学校など10以上の大学があってね、涼しい環境で多くの学生たちが勉強しているわ。それに観光地でありながら、珍しく遊興的な場所も少なくて、治安もとても良い場所だわ。市民の英語の水準も高くて、高原の避暑地として、富裕層にはとても人気があるわね。」
バスの入り口には兵隊が小銃を肩にかけて立っている。それを見ながら諭が言った。 「みよこ先生、このバスが出発する時にさ、最後にあの兵士が乗り込んで来ましたよね。 地方へ向かうバスには、ああやって、兵隊が必ず乗り込んで来るのですか?」 「ええ、そうよ。バギオは安全な都市だけれど、途中の山道が危ないの。いつゲリラの攻撃があるか分からなでしょう。だから、ああやって私たちを守っていてくれるのよ。」
諭とみよこ先生は無事にバギオ市に到着した。チェックインしたホテルはよく選び抜いた最高級のホテルであった。しかし、このホテルは後に起こった大地震によって、その斬新な吹き抜けロビーのデザインが災いして、もろくも崩れ去り、多くの死傷者を出してしまったホテルだった。もちろん、そんなことは二人には知る由もなかった。明るく最上階まで広がった空間の中で、民族衣装を着たウエイトレスに食事を注文しながら、二人は話をした。 「さっきバスの中で、日本人の労働者がここへ来る道路の建設に携わった話をしましたでしょう。その話には、まだ、続きがあるの。」 「続きが?」 「ええ、とても悲しい話だけれど、子供たちにも、ちゃんと話して聞かさなくてはならないわ。」 「悲しい話?」 「バギオの街はね、昔は日本人で溢れていたそうよ。道路建設が終わっても現地の女性と一緒になった日本人労働者はたくさんいたはずだわ。だけど、第二次世界大戦が起こると、自分が日本人であることを偽ったり、山へ逃げ込んだ人たちも大勢いたの。それがどんな悲惨な状態だったか、誰にでも簡単に想像は出来るわ。」 「えー、そんな悲しい歴史があったのですか。子供たちはそれを知ったら、いったいどうおもうでしょうね。」 「だから、この修学旅行は意味があるの! 遠く日本を離れて、異国の地で勉強をしている子供たちにしか出来ない、貴重な勉強になるでしょうね。京都や奈良の大部屋に泊まり、枕投げをして夜を過ごし、昼間は寺社を不満を言いながら巡り、他校の生徒たちと睨み合いながらすれ違う旅行とは一味も二味も違う修学旅行になるわ。」 「すると、今でも山中に隠れ潜んでいる日本人たちがいるということですね。」 「その通りよ。カトリック教会のシスターたちが一生懸命にそんな人々を捜しているそうだけれど、まだまだこの地では戦争は終わっていないわ。」 「そう、僕も、もう少し勉強をしてから、この修学旅行に臨まなくてはなりませんね。」
しかし、吉川みよこ先生と川平諭は修学旅行の下見が済んでもマニラに戻ることはなかった。帰りの山中でゲリラの襲撃に遭って誘拐されてしまったのだった。
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