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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第81回   クーリー
苦力(クーリー)、海外へ送られた中国人労働者、奴隷のような扱いだった。


 諭は石垣島の公設市場で買い物をして帰ってきた。ゴウヤ、人によっては苦瓜とも言うゴツゴツした野菜と豆腐を揚げたもの、関東地方では厚揚げと呼ばれるものだが、諭が買ってきたものは東京で売っているものよりも形がやや小さかった。それから缶詰、ランチョン・ミートともミート・ローフとも呼ばれるものだが、あるいは商品名でパムと呼ばれることもある塩辛いソーセージのかたまり、諭はそれらを細かく切って炒め始めた。正樹が諭に聞いた。
「この缶詰だけど、フィリピンではよく使われる食材ですよ。東京では食べたことがありませんでしたが、フィリピンでは朝食によく食べますよ。この石垣にもあるのですね。」
「これですか、石垣だけとは限りませんよ。沖縄本島も含めて、沖縄ではよく使われる缶詰ですよ。これは米軍の保存食だと僕はおもいます。フィリピンもこの沖縄も米軍の影響を強く受けていますからね。それでだとおもいますよ。フィリピンと沖縄は同じような境遇にありましたから、他にも似たところがきっとあるでしょうね。」
「そうですか、この缶詰はアメリカ兵たちの食料でしたか。」
「あまりお口に合うかどうか分かりませんが、ゴウヤチャンプルーです。良かったら召し上がって下さい。」
「ありがとう。喜んでいただきますよ。」
 諭は自分では食べずに、やりかけの彫刻にかかってしまった。正樹が缶詰を手に取りながら納得していると、良太が台風が近くまで来ていることを知らせに、離れにやって来た。
「大型の台風が来てるさ。」
 仏像を彫ることに没頭していて、テレビやラジオにまったく興味のない諭にとって、良太のこう言った情報はとても助かった。沖縄は台風の通り道である。台風が来るとなれば、大人も子供も皆、真剣になる。本土と違って、台風への心構えは皆しっかりしている。諭が仏像を彫りながら、正樹に言った。
「正樹先生は苦力(クーリー)、中国人奴隷の話を聞いたことがありますか?」
「クーリー? いえ、知りません。」
「そうですよね。本土の学校ではそんなことは教えませんものね。僕もあまりよく知らないのですが、唐人墓に行くと、その時のことが詳しく書かれてあります。晴れたら、先生をその墓にお連れしますよ。」
「唐人墓ですか。中国の人のお墓ですか?昔あった出来事ですね。」
「昔の話ですよ。黒船来航以前の話です。その黒船が浦賀に現われる何年か前に、この石垣島に来て、大砲をぶっぱなしていったんですよ。」
「いやー、まったく知りませんでしたね、そんな話。」
「それは無理のないことですよ。なにしろ、沖縄は米国の占領下に長い間ありましたからね。」
「で、その苦力(クーリー)と米国の黒船がどんな関係にあったのですか?」
 諭は仏像を彫る手を休めて、正樹の方に向かい合った。そばにあったコーヒー・サイホンにお湯を入れながら、話を続けた。
「先生、僕は人間はわずかながらでも進歩しているとおもいますよ。今、世界中で完全にとは言わないまでも、奴隷制度はなくなりましたからね。奴隷と聞くとアフリカからアメリカへ連れてこられた黒人たちのことが頭に浮かぶでしょう。でも、奴隷は黒人だけではなかったのですよ。苦力(クーリー)と呼ばれる中国人労働者が世界中に送り出されていたのですよ。まあ、この石垣島で起こった事件をきっかけに、中国では大規模な苦力貿易、同胞を他国へ売り渡すことはいけないと気づいたようですがね。」
「何だか、奥深い話ですね。それで、その続きは?」
「まあ、先生、コーヒーを入ましたので、まずは一杯飲んでからにしましょう。」
「中国人の奴隷ですか。」
「ちょうど、今日のように天候が悪かったのかもしれませんね。この島の沖に米国船が座礁したのです。400人くらいの中国人苦力(クリー)がカリフォルニアへ送られる途中だったんですがね、病人を海に投げ捨てたり、あまりの暴行に耐えかねた苦力たちは暴動を起こして船長たちを殺してしまったんですね。そして台湾へ向かう途中で船が座礁してしまった。石垣の人々は彼らに同情して、住む場所を提供したそうです。しかし、逃げのびた米国人船員の通報によって、苦力たちがこの島にいることを知った米国海軍は徹底的な攻撃をしかけてきました。山へ逃げた者もいました。百人以上が銃殺されたそうです。病気になって倒れた者も多かったそうです。」
「その時ですか、黒船が大砲を撃ったのは?」
「そうです。戦艦サラトガが石垣島を砲撃したそうですよ。」
「石垣の人々の立場は複雑だったとおもいますね。山に隠れている苦力たちにこっそり食料を与える一方で、米国の兵隊へも食料を提供したのですからね。」
「それでこの事件の結末は?」
「唐人墓に書かれてある記録によりますと、琉球王国が間に入って交渉をまとめたとありますね。結局、約400人の苦力の生き残りは170人前後だったそうです。中国に無事に送り返して事件の決着をみたそうです。」
「裏で米国と様々な駆け引きがあったと推測ができますね。」
「確かに、難しい外交交渉だったでしょうね。その事件の後、中国では苦力と呼ばれる労働者の海外派遣に反対する動きになったそうです。」


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