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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第79回   石垣島にて
石垣島にて

 飛行機の機種にもよるのだろが、正樹は羽田空港から二時間くらいで石垣島に到着した。石垣島は台湾のすぐ近くに位置し、八重山の島々の中心的な役割をはたしている。役所もあり、大病院もある。離島で緊急を要する患者が出た時は、ヘリコプターでこの石垣島に運ばれてくる。第二次世界大戦のときには、この島の人々は樹木がうっそうと茂る西表島の方に波照間島の人々とともに疎開したらしい。そして悲劇的にも多くの人々がマラリアにかかり命を落としたと聞いたことがある。「戦争マラリア」とか言われていたように記憶するが、遠い昔に伝え聞いただけで、あまり確かではない。

 正樹が空港到着ロビーから出ると、片足の川平 諭青年が車の横で待っていた。
「いらっしゃい。お待ちしていました。石垣島へようこそ。」
「ありがとう。とうとう来てしまいましたね。」
「ご予定は?」
「うん、一週間です。よろしくお願いします。」
「何だ、一週間だけですか、残念だな。」
「いや、なかなか休みがとれなくてね、また、深夜のバイトを辞めた時に来ますから、その時はもっと、長くいられるとおもいますよ。」
「是非、そうして下さい。さあ、どうぞ、車に乗って下さい。僕の家は小さいので、友人の家にご案内しますね。」
「ありがとう。」

 10分もしないうちに、車は市街地を抜けてしまったようだった。対向車もほとんどなく、すれ違う人もいない。道の脇には街灯もないから、夜は車のヘッドライトだけが頼りだなと正樹はおもいながら車の外を見ていた。時折、牛の糞尿の臭いが車内に流れ込んできた。この島には結構多くの牛が放牧されているようだ。道ですれ違う人の数より、はるかに放牧されている牛たちの方が多かった。しかし、何で、川平青年は自分の家ではなく、友人の家に連れて行くのかが不思議だった。東京で一緒に仕事をしている間も、一切、家族の話をしなかったし、学費から生活費もすべて自分でバイトをして稼いでいたようだった。余計なことだが、正樹は少し川平青年の家族に興味を持ってしまった。
 案内されたのは農家だった。川平青年の高校時代の親友で、良太と言う若者が玄関先で快く迎えてくれた。正樹が頭を下げると。良太は大きな声で言った。
「東京からですか? それはそれは、僕はこの島からまだ一度も出たことがないのですよ。後で、色々、話を聞かせて下さいね。うまい泡盛もありますから。」
「ご厄介になります。私、正樹と申します。どうぞよろしくお願いします。」
「挨拶はいいがな、さあ、中に入って一杯やりませんか?」
 川平青年が良太に言った。
「まだ、早いよ! 今、着いたばかりだろうが、飲むのは夜になってからだ!」
 笑いながら正樹が言った。
「いやいや、長旅で少し疲れましたので、もう、今日はどこへも動きたくありませんから、いいですね、これから飲めるのならば最高ですよ。良太君、石垣流の飲み方を私に教えて下さい。」

 予想はしていたが、良太も諭も酒がめっぽう強かった。正樹は彼らのペースについていくのがかなりきつかった。島の他の青年たちも、時間が経つにつれて、良太の家に集まって来ていた。少し前から回し飲みが始まっていた。それが滑稽なことに、飲む前に立ち上がってそれぞれが好き勝手なことを話し出すのだ。これが彼らの飲み方なのか、話し上手にはなるだろうが、これではぶっ倒れるまで飲むことになる。正樹は驚いてしまった。さすがにこの回し飲みの輪には正樹は入ることは出来なかった。外に出てみた。夜風がとても心地良かった。農家の夜は静かだった。気味の悪いくらいに静まり返っていた。しばらく、正樹が一人で夜空を見つめていると、良太も外に出て来た。
「諭から聞きましたよ。正樹さんはお医者様だそうですね。お医者様なのに、コンビニの夜勤をやっているとか、何だかよく分からんのですが、頭の悪い僕に分かるように説明してはくれませんか?」
「医者と言っても、僕は日本では医師の資格は持っていません。ボラカイ島という小さな島で診療所をやっていますが、なかなかどうして、やっていくのは大変でね。日本に、時折、こうして帰って来ては小金を稼いで、またボラカイ島に戻るという訳ですよ。ところで、良太君、あの音は何ですか?かすかに、さっきから聞こえ出した、あの音は何ですか?」
「あー、あれは諭のとうちゃんが弾いているサンシンですよ。」
「諭君の家は隣なんですか?」
「ええ、そうですよ。でも、諭の奴、島に帰って来ても、あの家には帰らんのですよ。」
 正樹は、この時、諭の複雑な家族関係を知った。
「しかし、あのサンシンの響きは、どう言うのか、実に悲しい音色ですね。」
「諭がいけないのですよ。おやじさんと話をしないから、あれは事故だったんですよ。諭の足がなくなってしまったのは事故だったんですよ。だけど、諭は今でも、おやじさんのせいだとおもっている。」
「おやじさんは何も言わないのですか?」
「ええ、弁解めいたことは一言もいいません。ただじっと、ああやってサンシンを弾くだけで、すべてを耐えているだけです。見ているこっちの方が苦しくなってきますぜ。正樹先生、何とかなりませんかね? 諭は諭で、うちの離れを借りて木彫りの仏像ばかりを彫っていますよ。神仏に祈ってばかりいる。」
「木彫りの仏像?」
「ええ、諭は人間が嫌いなんです。神仏を彫ることで救われようとしています。仏像と向かい合ってばかりで、人間と話そうとしません。でも、どうやら、正樹先生は諭にとっては特別の人のようですね。彼があんな笑顔でこの島に人を招待するなんて、初めてのことですよ。」
 正樹は諭と彼の父親が冷たい関係にあることを知って、とても悲しんだ。夜風に乗って聞こえてくるサンシンの音色がよりいっそう正樹の心を曇らせた。

 翌朝、正樹が目覚めてみると、諭は良太が言っていた通り、離れの小屋で仏像を彫っていた。正樹はゆっくりと近づき、諭が彫っている菩薩を見ながら言った。
「手先が器用なんですね。見事ですね。実に穏やかなお顔だ。見ているだけで、おもわず手を合わせたくなります。」
「ありがとうございます。そうだ、これ、出来上がったら、先生に差し上げましょう。」
 正樹は何と答えてよいのか、言葉に困ってしまった。正樹は神仏を敬いこそすれ、自分の為に祈ったり、救いを求めたりすることはなかったからだ。
「いや、僕にはもったいないですよ。それより、諭君、今度、ボラカイ島に来てもらって、海の中に立ってボラカイ島を見守っている、僕らの島の守り神であるマリア像も彫ってみてはくれませんか?」
「正樹先生はカトリック教徒なんですか?」
「いいえ、僕は宗教を軽んじたりはしませんが、特定の宗教に入信することはありません。」
「でも、先生、人間って、とっても弱くて、その上、欲がもの凄く深い生き物でしょう。そんな人間、嫌になってきませんか。僕は人と話をするのがとても苦痛ですよ。」
「確かに、そうですね。果てしない欲望を持った、我が儘な生き物が私たち人間ですよ。でも、私はそんな人間が大好きですよ。そんな不完全な人間の命を守ることを仕事にしている医者ですからね。」
「僕は人間が嫌いです。神仏に祈っている方が、心が休まりますからね。」
「その気持ち、よく分かりますよ。でも、諭君、人間は一人では生きていけないものですよ。いつも誰かに助けてもらって命をつないでいます。私はこれまでに幾度も困難に遭いましたが、その度に、神仏ではなくて、醜い人間によって助けられてきました。欲深い人によって救われてきました。」
「正樹先生は神仏に祈ることをどうおもいますか。」
「以前、ヨシオと言う子供が生死をさ迷っていた時、心の底から神に祈ったことがあります。でもそれは、自分の為ではなくてヨシオの為に祈りました。私は決して、救いを求めて、自分の為には祈ったりはしません。」
「そのヨシオと言う子供はどうなったのですか?」
「ヨシオは助かりました。医者になって、今は僕の片腕となって、ボラカイ島の診療所を手伝ってくれています。」
「そうですか。」
「諭君、そのヨシオに会いにボラカイ島に来てみませんか?」
「そうですね。是非、そうさせてもらいますよ。でも、その前に、今日は僕がこの石垣島を案内しますから。」
「ありがとう。」


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