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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第77回   川平 諭
川平 諭

 川平 諭(かびら さとし)は学費の高い東京の私立大学に自分の力で入り、見事にバイトと勉強を両立して、何とか卒業することが出来そうだった。そして卒業と同時に、故郷の母校の中学校の教師になることも決まっていた。ただ、いつまでも石垣島にいるつもりはなかった。日本以外のどこでもいいのだ、海外の日本人学校で子供たちに美術を教えたかった。
川平と書いてカビラと読む。彼の故郷は沖縄の、それも台湾に近い離島、石垣島だ。風光明美な観光地、海の色が緑から青へと多彩に変化する川平湾に近い所に実家があった。諭(さとし)の父親は石垣島で酪農を営んでいるが、あの不幸な事故が起こってから、諭は父親とは一言も口をきいていなかった。高校に入ると、諭はすぐに家を出て、働きながら高校時代を島の中心街で過ごした。彼の母親の景子も諭のために家を出て、町で小さな居酒屋を始めた。決して夫婦仲が悪かったからではない。片足になってしまった諭のことが心配だったから、他に三人の子供たちがいるのにもかかわらず、より多くの母親の愛情を諭に注いだ。もちろん家族全員の了解のもとで、諭と一緒に居酒屋の二階で暮らすことにしたのだった。諭は高校時代にバイトで貯めたお金で東京の大学を受験し合格した。何も良いことがなかった島から、一日も早く出たかったのだ。諭の父は彼が東京の学校に入ったと聞いて大いに喜んだ。大切に育ててきた石垣牛を何頭も売って、諭の為に四年間分の学費と東京での生活費を捻出した。しかし、諭はそのお金を一銭も受け取らなかった。ただ黙って、島を出て行ってしまった。父親はあの事故のことでとても苦しんだが、一切、言い訳めいた言葉は吐かなかった。ただ黙って、黙々と牛の世話を続けた。片足になってしまった息子がいじけることがないように、懸命に働く自分の姿を片足の諭に見せることしか、してやれることがなかったのだ。諭が自分の差し出したお金を拒絶した時でさえも、怒ることなく、ただ黙って、その息子の仕打ちにじっと耐えた。
 諭は自分の片足がなくなってしまったのは、父の太郎のせいだとおもっている。まだ諭が小さかった頃、牛舎の中で親子二人で遊んでいた時のことだった。大声を出しながら父親の太郎が諭のことを抱え上げた。その瞬間だった。牛の後ろ足が諭の小さな足を蹴り上げてしまった。その強烈なキックは諭の小さな右足を粉々に砕いてしまったのだった。牛に蹴られただけだと、甘く考えたのがいけなかった。近くの町医者の診察も簡単なもので、精密検査を怠ってしまった。次第に血の気がなくなっていく諭の足に驚き、慌てて病院へ駆け込んだ時には、もう手遅れだった。結局、諭の右足を大腿部から切断することになってしまった。その事故以来、諭は父である太郎とは話をしなくなってしまった。父親の太郎も言い訳一つせずに、ただ黙って働き、諭に出来る限りの愛情を注いだ。
 母親と諭が島の繁華街に移り住むと、他の子供たちも次第に母親のそばに移ってしまった。諭が家を出てから半年も経たないうちに、父の太郎は家で独りぼっちになってしまった。たった一人で牛たちの面倒をみることになってしまった。太郎は家族が家から去っていなくなってしまっても、愚痴一つ溢さず、ただ、もくもくと働いた。仕事が終わって、家の軒先で太郎が奏でるサンシンの音色は酒が入り、悲しみに満ち溢れていた。太郎の喜びも悲しみもすべて全部、サンシンだけが知っていた。その単調な音色は人里離れた石垣島の原野に、毎晩、響き渡っていた。

 東京での諭の生活は昼間は学校に通って、夜は様々な仕事をした。義足をはめているので、大概の仕事は出来たが、それでも障害者ということで、断られる仕事も多かった。卒業を控えて、就職も決まり、卒論も完成していた。諭は友人から借りていたお金を卒業前に返そうと必死だった。その夜もコンビニの床清掃の仕事が3店舗入っていた。2人か3人でチームを組んで、コンビニの床に薬品を撒いて汚れを取り、乾いたらワックスを塗る仕事だ。ワックスが乾く間に窓などを拭いたりもする。だいたい1店舗が3時間ぐらいで終了する夜勤の仕事だ。この床掃除は何と言ってもチーム・ワークが重要で、息の合わない者同士だと、時間内に終了することは不可能となる。一店舗が2万円として計算すると少なくとも5チームが一晩に三店舗は清掃しないと、経営が苦しくなってしまう。だから、よく動きの遅い者を清掃チームのリーダーが叱りつけているのを見かける。兎に角、機敏な動きが要求される夜の仕事だ。片足の川平諭はどんなに叱られても挫けなかった。
「おい、何度言ったら分かるんだよ!バフをかける時は後ろにさがりながらやるんだよ。前に向かって行ったら、掃除したところを自分の足で汚して歩いているようなもんだろうが、おまえ、分かってんのかよ!やはり、片足じゃあ、この仕事は無理なんだよな。何で、うちの社長はお前みたいな片足野郎を雇ったんだ。わけ分かんねえよな。」
「すみません。」
「すみませんじゃあねえよ。もう一度、そこの床はやり直しだ。いいな!バカ野郎が。」
 諭はどんなに罵倒されても、じっと耐えた。
「窓もきれいに拭いておけよ!だいたい、三脚にその足で乗れるのかよ。まったくムカつく野郎だぜ。他の仕事を探せよ!この給料泥棒が!」
「分かりました。窓もきちんとふいておきますから。」
「もう、俺たちは次の店に行くからな。おまえ一人でこの店はやっておけよ!いいな!」
 清掃チームは川平諭を一人残して、次の清掃契約をしているコンビニへ行ってしまった。その様子を一部始終見ていたコンビニのクルーがいた。正樹だった。日本に出稼ぎに来ていた正樹だった。正樹が諭(さとし)に声をかけた。
「学生さんですか?」
「はい、バイトなんです。」
「お宅の社長さんって、あの背の高い、メガネの人でしょう?」
「ええ、そうです。とても親切な人ですよ。」
「分かりますよ。時々、ここにも皆さんと一緒に掃除に来ますからね。」
「失礼ですが、沖縄の出身ですか?」
 正樹は自分の毛深い腕を見ながら笑顔で答えた。
「ああ、これね。みんなからそう言われますよ。眉毛も濃いでしょう。だから、北海道のアイヌの人たちや、沖縄の人間かと、よく聞かれますよ。僕は、ほら、あの寅さんで有名な東京の柴又の、隣町の高砂ですよ。」
「そうですか。東京でしたか。自分は石垣から来たものですから、つい、余計なことを聞いてしまいました。」
「いや、でも、あなたの勘は鋭いですよ。僕は今は、南の島で暮らしていますからね。」
「どちらですか?」
「石垣島よりもっと南です。」
「ええ、そんな。石垣のもっと南と言いますと日本最南端の波照間しかありませんよ。」
「波照間よりも、もっともっと、南です。ボラカイと言う島に住んでいるのですよ。」
 川平諭は不思議そうに正樹に聞いた。
「ボラカイ島って、どこの国ですか?」
「フィリピンの、そうね、ど真ん中かな。」
「フィリピンですか。ええ、そこに住んでいるんですか?」
「ええ、妻をそこに残して、こうして一人で出稼ぎに来ています。」
「僕は石垣島に帰って、中学校の美術の教師になりますが、将来は海外に出て、日本人学校で教えたいと思っています。」
「そう、それは楽しみですね。どうか、頑張って立派な教師になってくださいよ。」
「ありがとうございます。」

 諭と正樹はその夜はそれで別れたが、翌月、再び会うことになった。コンビニの床清掃は本部からの指示で毎月一回はやることになっていたからだ。清掃会社には他にもたくさんメンバーがいるのだろうが、その夜も床清掃をしにやって来た諭をコンビニの夜勤をしていた正樹が迎えた。正樹から諭に声をかけた。
「いやー、また会いましたね。」
「あー、どうも。今夜も、よろしくお願いします。」
「いえ、こちらこそ、お願いします。」
 諭は今回は清掃会社の社長さんと組んで床掃除にやって来た。それもたった二人でやって来た。大きな扇風機やバケツやモップなどを手際良く店内に運び入れた後、諭はバックルームの床に置かれた荷物を移動し始めた。それを見ていた正樹は慌てて言った。
「手伝いましょう。」
「いえ、大丈夫ですから。私一人で出来ますので、どうぞ、あちらで座っていて下さい。」
「今日は社長さんとお二人ですか?」
「ええ、みんな片足の僕と組むのを嫌がりましてね、社長は僕を雇ってしまった責任をとって、渋々、僕と組んでいるのですよ。でも、もし、今度、僕が何か失敗したら解雇されるでしょうね。」
 深夜の1時に始まった床清掃は通常よりも長くかかってしまった。4時に終わる予定が明け方近くになっても、まだ続いていた。そして、まだワックスが乾いていない店内に運悪く酔っ払いが入って来てしまった。その時、社長は不幸にもトイレに入っていて、酔っ払いの侵入を阻止することが出来なかった。トイレからで出来た社長は汚い足跡だらけの床を見るなり怒鳴った。
「何だよ、これは?足跡だらけじゃないか。おい、諭、何だよ、これは?」
「すみません。酔ったお客様が入って来られて・・・・・・。」
「何で、止めなかった。」
「それが、・・・・・・。」
「もう、いいよ。お前は首だ!」
 社長は電話をして他のグループを呼んで、ワックスを塗り直した。川平 諭は部屋の隅で、ただ茫然とその様子を見つめていた。正樹がそっと彼に声をかけた。
「どうだろう。僕とここで夜勤をやってみる気はありませんか?」
「ええ、そんなことが出来るんですか?片足の僕にコンビニの夜勤が勤まりますか?」
「今、ちょうど、カキ氷に加えて、おでん、それに中華まんも始まってしまって、一人では大変なんだ。お客様の長い行列が出来てしまって、いつ苦情がきてもおかしくない状態なんでね、君が手伝ってくれるとありがたいな。」
「僕は構いませんけれど、お店のオーナーさんが・・・・・・。」
「オーナーの方には、僕から言っておくから心配するな。どうだ、一緒にやってみないか?」
「ええ、僕の方は喜んで、でも、あなたに迷惑はかかりませんか?あなたも南の島から出稼ぎに来ている身なんでしょう?」
「迷惑なんかかからんよ。大助かりだ。じゃあ、話は決まったな。明日からでも来れるかな?」
「ええ、いいですよ。大丈夫です。」
「よし、じゃあ、そういうことで、今日は帰って休みなさい。必ず、明日、来て下さいよ。」
「ええ、分かりました。・・・・・・あの、失礼ですが、僕は川平諭(かびら さとし)と申しますが、あなたは?」
「私は正樹です。名字はありません。てゆうか、名字は名のりません。正樹だけで結構です。」
「正樹さんですね。ありがとうございました。どうぞ、よろしくお願いします。」
「ああ、こちらこそ、よろしく。お互いに元気出して、頑張っていきましょう。」
「はい、ありがとうございました。」
 川平 諭は大喜びで帰って行った。


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