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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第68回   恩赦
恩赦

 ボラカイ島のゲリラのリーダー、自分から名乗りもしなければ、正樹も尋ねもしなかったから、その老人の名前は分からない。彼と正樹はまだルホ山の展望台にいた。
「なあ、先生。このきれいな空を昔は戦闘機が飛び交っていたんだ。第二次世界大戦はとっくの昔に終わってしまったがな、わしらの戦いはまだ続いているんだ。」
 正樹はゲリラが何を目的として、何故、現在も戦い続けているのかが、よく理解で出来なかった。ただ、この老人の話すこと、過去に日本軍が犯した過ちはしっかりと心に刻み込まなければならないとおもった。後でこの老人の話が事実かどうか調べて、もしそれが悲しい史実ならば、そのことを一人でも多くの人々に語り継がなくてはならないと考えていた。それはその悲劇をきいてしまった者の責任だとさえおもえた。老人の重い話がまた始まった。
「先生よ、わしの妻も子供たちもすべて、あの時に、日本軍の奴らに刺されてルンバンの川に投げ込まれたんだ。大切な家族を失った悲しみが、切り刻まれるような悲しみが、先生には分かりますかな。」
 正樹は何も言えずに、海から吹き上がって来る風に身をなびかせていた。反論などあるはずがなかった。下手な同情も相手には届かないとおもった。しかし、憎悪の連鎖はどこかで誰かが断ち切らなければならないともおもう。そんなことを理由もなく家族を殺された老人に言って何になるのか。深い悲しみの中にいる者には理解出来ることではないだろう。でも正樹は勇気を出して言ってみた。
「キリノ大統領も日本軍によって妻と三人の子供を、それから五人の親族もあの大戦で殺されたと聞きました。そのキリノ大統領は戦争が終わり、フィリピンで戦犯として服役していた日本兵たちに恩赦を出して、日本に送り還したと、以前、聞いたことがあります。私はその恩赦はキリノ大統領やそれを支持した信心深いフィリピンの人々がいかに崇高な考え方を有していたかを知らされたようにおもいます。」
 老人は正樹の話を聞いていても、表情一つ変えずに、ただ黙って眼下に広がる海を見つめていた。
 第二次世界大戦が終わって、モンテンルパやピリピッド刑務所に日本人の戦犯が約百数名服役していた。そのうちの約五十名が死刑囚だったが、その者たちに恩赦を与えて日本に送り還したキリノ大統領の英断は日本ではあまり知られていない。後に、病気療養中であったキリノ大統領は記者のインタビューに次のように答えている。
「私は妻と子供たちを日本人たちによって殺されました。だから最後の最後まで彼らを許すことは出来ませんでした。しかし、もし、この個人的な怨みをいつまでも持ち続けるならば、私たちの子孫もまた永遠にその怨みを持って生きることになるでしょう。フィリピンと日本は隣国であり、将来、共に手を取り合って歩まなくてはならない関係にあります。両国の為に、ここで、私が私恨を断ち切らなければならないと考えました。」

 やっと、老人が口を開いた。
「正樹先生よ、先生はわしにキリノのようになれと言いたいのかね?」
「いえ、そんなつもりで言ったのではありません。ただ、憎しみはまた新たな憎悪を生み出しますし、憎み続けていてはその悲しみをいつまでたっても忘れることは出来ないとおもいます。キリノ大統領の恩赦とそれを支持した当時の崇高なフィリピン国民に私は本当に感謝しているのです。」

 片足の老人は見晴台の階段を降り始めた。手摺りにつかまりながら、ピョンピョンと器用に片足で降りて行った。正樹もその後に続いた。老人は振り返りもせずに言った。
「なあ、先生よ。この国はまだ貧しさの中にあるんだ。ほんの一部の者だけしか良い暮らしをしておらん。わしらの戦いはまだ続いているのだよ。」
 正樹は老人の言うことも理解出来ないわけではなかった。しかし、武力では何も問題は解決しないと信じていた。老人の話はまた過去にさかのぼってしまった。
「日本軍が侵攻してきた時、アメリカ軍はあっけなく降参し、残されたわしらは散々だった。わしは抗日フク軍団に入り、ゲリラとなって山下将軍が率いる40万の日本軍と戦った。米軍が日本軍を破り、再びこのフィリピンを占領して、フィリピン政府軍を強化させた。わしらフク軍団は武装解除を強いられた。まあ、ソビエトのスターリンも議会制民主主義に路線を変更していたから、わしらも候補者を立てて議会に何名か送り込んだが、いつの間にか議会から追放されてしまった。中国でも毛沢東が革命に勝利して、一旦はわしらも活気付いた。半年もたたないうちに今度はベトナム戦争が起き、わしらはベトナム派兵に反対する闘争をしたよ。この国には4年一期限りという大統領制度があったが、それを破って、マルコスが汚い選挙でアキノに勝利してから政治はマルコスの独裁となってしまった。戒厳令が敷かれ、わしらはイスラム教徒の民族解放戦線との共闘も組んだし、ルソン島だけに留まらずに我々は南下してミンダナオ島にも行ったよ。でも、いつの時代も常に貧困との戦いだった。」
 老人は彼の歩んできた戦いの歴史を正樹に語って聞かせている。しかし、正直に言って正樹には共感するところはなかった。そんなことには構わず老人は話を続けた。
「貧困層は拡大するばかりだったよ。本当に貧しい者にはな、先生、銃しかないんだよ。銃を持って戦うしか道はないんだ。他に何も頼るものがないからな。」
 四人はさっきの老人のアジトに戻り食事をした。強烈な臭いの干し魚だけの粗末な食事だった。正樹も皆と同じ様に手で干し魚をちぎって、それをご飯に混ぜて食べた。老人はそんな正樹のことをじっと見ていた。
 別れ際に、老人は仲間の治療を丁寧に正樹に依頼した。


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