20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第6回   リンダ
リンダ

 お手伝いのリンダが朝食の支度をしている。正樹はその後ろのテーブルに肘をついて、彼女の後ろ姿をながめていた。昨夜はノウミと飲み過ぎてしまって、少し二日酔い気味であった。ただぼんやりとリンダの料理する後姿をながめていた。
いろいろな事が頭に浮かんできた。正樹は日本を出る前にフィリピンに関する予備知識が必要だとおもい、この国の歴史をざっと調べておいた。すべてはとても思い出せないまでも断片的にその内容がウエンさんやノウミが案内してくれた場所と絡み合って理解することが出来るようになってきていた。フィリピンの国民の大多数はカトリック教徒であり、東南アジアで唯一のカトリックの国だと言われている。ローマ法王もしばしばこの国を訪問するほどのカトリック大国なのだが、驚くことに昔はそうではなかったらしい。十五世紀になってマレー半島やインドネシア、ボルネオなどの近隣諸国からイスラム教がこのフィリピンにも伝わり、十六世紀にはミンダナオだけではなくマニラもイスラムの世界だったらしい。どんなに勉強が嫌いな正樹でもマゼランの名前くらいは知っていた。その世界一周のマゼラン、彼の世界一周の野望を無残にも打ち砕いたのは何を隠そう実はこのフィリピンの昔の人々だったのだ。フェルディナンド・マゼランがスペイン王の名においてセブ島の民族間の争いに介入したのがそもそもの間違いの始まりで、マゼランはその時に首長ラプラプとの戦いで負傷してしまった。その傷がもとで彼は後になって死んでしまうのである。それは千五百年頃のことらしく、その後もスペイン政府はフィリピンという国に特別な興味を持ったようで何度も遠征軍を組織して兵隊を送り込んできた。レガスピ将軍、将軍だったかどうかは確かではないがセブ島にスペインの植民地を建設した。そして次々とフィリピンの島々を占領していった。十五世紀の後半にはマニラをもその支配下に置いてしまった。それ以後、三百年以上もの長い間、スペインはフィリピンの本格的な植民地支配を続けることになった。十八世紀の半ばを過ぎるとスペインでは内乱が起こるようになる。このスペイン本国の混乱と同時にフィリピンでも知的な階級の人々によって自由を獲得しようとする動きが出始めた。十九世紀に入る前の秘密の結社「カティプーナン」の武装蜂起は有名である。その反乱で逮捕されたのが医師のホセ・リサールであった。かれは作家としても有名でサンチャゴ要塞にある彼の記念館に飾られてある肖像画の表情から判断する限り、ホセ・リサールは非常にソフトで穏健的な感じの人物だと正樹にはおもえた。そして彼は大衆への見せしめとしてマニラのルネタ公園で銃殺刑に処せられた。後に彼の遺体は先日ウエンさんが案内してくれたあの外国からの要人が頭を深々と下げて献花をするリサール記念像の下に埋葬されたそうだ。以後、フィリピンの英雄としてどこまでも語り継がれることになる。歴史学者の間では彼を英雄とすることに異論を唱える者もいるが、歴史の解釈は時として人まちまちになるもので、それは今後もそれぞれの学者が勉強していけば良いことだとおもう。リサールの恋人だか奥さんは日本人だったのではないかと正樹は考えている。良く調べていないからハッキリしたことは言えないのだが、サンチャゴ要塞にある彼の記念館には着物を着た日本人女性の絵が何枚かあった。絵の下に書かれてある説明文をしっかりと読んでこなかったので恋人なのか奥さんなのかは分からない。ホセ・リサールは日本にも来ているはずである。東京の日比谷公園にそれらしき碑があったような気が正樹はしている。いずれにしても彼は日本との関わりが非常に深かったことだけは間違いない。スペイン政府はホセ・リサールのように自分たちに逆らう民衆のリーダーたちをどんどん処刑していくのだが、結局、民衆の反スペイン感情を抑えてつけることは出来なかった。フィリピンに詳しい人なら知っているだろうが国軍のベースにアギナルドと名づけられた基地があるが、あのアギナルド基地のエミリオ・アギナルドはアメリカの力を借りてスペイン軍と対決していく、次第に優勢となりフィリピンの独立宣言を一方的に行った。フィリピン共和国を発足させ自らを初代の大統領としたのだが、アメリカは一方ではパリで米西講和会議を開き、その席でメキシコとフィリピンの植民地の支配権をスペインから譲り受けた。まったくふざけた話だがスペインは何とたったの二千万ドルでフィリピンという一つの国をアメリカに売り渡したのである。そして今度はアメリカがスペインにとって代って新しいフィリピンの支配者という訳である。アメリカの近代兵器の前ではフィリピンのアギナルド政権はどうすることも出来なかった。フィリピン国軍は戦いはしたものの強国アメリカとは勝負にはならなかった。こうして十九世紀の初めからアメリカが本格的にフィリピンの支配を始めることになった。アメリカは圧倒的なその軍事力でもって何もかも抑え込んだ。スペインはカトリック教会の布教を植民地政策の柱とし、民衆の心を何とかつかもうと努力したが、アメリカは教育を特に重要視したようでフィリピン全島に小学校を建設した。教育システムもアメリカと同じカリキュラムをそのまま取り入れ、小学校から大学まで一貫して英語で授業を行った。現在では若者たちは英語は下手くそだが、フィリピン人のお年寄りほど英語が上手に話せるのはそんな理由からだ。やがて世界的な恐慌がやってきてアメリカは自分の本国のことだけで手一杯になってくる。するとアメリカ国内にはフィリピンの独立を望む声が次第に高まってくるようになった。不況になると戦争が起きる。これはいつの時代も同じで何度も繰り返される悲しい人類の歴史だ。1941年に日本軍がフィリピンに上陸する。その侵略の速度はとても早く、半月後にはマニラを完全に占領し日本軍のフィリピン支配が始まった。「アイ・シャル・リターン」の言葉を残してマッカーサー元帥だけがフィリピンからこっそり逃げてしまった。そして日本軍が降伏するまでの間、残された米軍兵士や多くのフィリピンの人たちに癒しがたい傷を残してしまうことになった。戦況は一変して、オーストラリアに逃げていたマッカーサーは反撃に転じた。必ず戻って来ると言った彼の約束を果たした。コレヒドール島に立てこもっていた日本軍は玉砕し、マニラを警備していた日本海軍も激しい市街戦の後、ビルの地下室などで自決した。市街戦を避け北部山間部に部隊を移した山下将軍も降伏してフィリピンはやっと日本軍から解放された。そして1946年に待望の独立を成し遂げる。正樹が生まれるほんの九年前の出来事であった。しかし依然としてフィリピンはアメリカの経済の支配下に置かれたままで、アメリカ主導型の政権が続くことになる。1964年に自由党のマルコスが大統領になると、自由党独裁、マルコス独裁の時代となる。しかし次第にマルコスのやり方を見るに見かねた人々の間で反体制運動が活発化してくることとなり、マルコス大統領は危機感を感じて戒厳令を施行せざるをえなくなった。
フィリピンで英語がよく通じるのはアメリカ統治時代の影響が今も残っているからである。ちなみに英語を話す人口はアメリカ、イギリスに次いで世界三番目の多さだとする説もある。確かにフィリピンでは年寄りになればなるほどうまく英語を話すことが出来る。しかし現在では母国語を大切にしようとする傾向があり、テレビやラジオの英語の占める割合が半分以下にまで下がってきてしまった。スペイン語や日本語の単語も非常に多く、生活の中にしっかりと根付いている。数多くの島々から成り立っているフィリピンは地方ごとに言葉も違う。おまけに他国からの侵略を何度も受けて、さまざまな言語がごちゃ混ぜになってしまった。公用語は英語とスペイン語が用いられ、親しいフィリピン人同士の会話はそれぞれの地方の自分たちの言語が使われる。北ルソンはイロカノ語、南ルソンではビコール語、ビサヤ諸島はビサヤ語といったぐあいに英語やスペイン語の他にもたくさんの言語がこの国には存在している。政府はマニラを中心とした言語であるタガログ語を新しい公用語として何とか国民の国家意識を高めようとしている。だんだんとタガログ語を理解する人々の数は増えてきている。テレビでもタガログ語が使われ、自国の言葉を重視する動きが起きており、学校でも授業でタガログ語を使う先生が増えてきている。アメリカ統治時代の英語教育を受けたお年寄りよりも、若い人ほど英語の力が弱くなってきている。英語が苦手な正樹からすれば英語を軽視する傾向は何とももったいないことだとおもう。
お手伝いのリンダは英語が下手である。家が貧しくて学校へは行けなかったからだ。勉強する時間があったら働けと親から言われ続けて育った。リンダに限らず学校に行けない子供はまだまだ沢山いる。リンダの後姿を見ながら正樹はフィリピンの近代史のことを考えていた。コーヒーを飲みながら何気なくリンダを見ていた正樹だったが、リンダにしてみればキッチンで調理をしている自分の姿を頭のてっぺんからつま先までしげしげと見つめられているわけで、正樹の視線を感じないわけにはいかなかった。リンダはちっとも正樹の視線を嫌だとはおもわなかった。初めて会った時から正樹のことが好きだったからだ。正樹にとってお手伝いさんとは小学校の頃に読んだ童話の中に登場する存在でしかなかったから、いつもいじめられているかわいそうな少女だと頭の中にインプットされていた。だから正樹がリンダと接する時は自然とやさしくなってしまう。またそのことがリンダにとっては大きな勘違いの原因となってしまっていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7234