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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第58回   恐すぎる偶然
恐すぎる偶然

 正樹がボラカイ島からマニラに戻ると、二人の女性が彼のことを待っていた。マニラ東警察署の裏庭にヘリが到着すると、すぐに一人の警官がヘリに駆け寄って来た。
「ミスター正樹、署長があなたをお待ちです。どうぞ、署長室までお願いします。」
「分かりました。すぐに参ります。署長にそうお伝えください。荷物を降ろしたらすぐに行きますから、少しお待ちください。」
 正樹はその伝言を運んでくれた警官がいなかったとしても、ケソン市のアパートに帰る前には署長室には顔を出そうとおもっていた。署長室のドアは開けられており、三人の訪問者が署長の机の前に神妙に座っているのが、部屋の外からでもよく見えた。一人は以前にも会ったことがあるジャーナリストだ。名前は忘れたが、ヨシオが意識を失って病院に居る時に正樹とヨシオの取材がしたいと言ってきたフリーの新聞記者だ。あとの二人の女性は正樹にはまったく見覚えが無い。どうやら、二人とも日本人のようであった。
 正樹が殺風景な署長室に入ると、署長は机から立ち上がって、手を差し出しながら握手を求めた。いつものように正樹のことをあたたかく迎えてくれた。
「おかえりなさい。お待ちしていましたよ。あなたにお客様です。この新聞記者のマークのことは正樹君も知っていますよね。」
 正樹がうなずくのを見て、署長は続けた。
「こちらの女性たちはわざわざ日本からあなたを訪ねて来られた人たちですよ。では、私からご紹介致しましょう。」
 早苗とナミは椅子から立ち上がって、正樹の方に向き直ると署長室が急に華やいだ。署長が続けた。
「こちらはサナエさん。タガログ語がとてもお上手でいらっしゃる。大学でタガログ語を勉強されてきたそうです。サナエさんは私たちの言葉を正確に理解する数少ない日本人の一人ということになりますな。そして、こちらのお方がナミさん?そうでしたな、すみません、どうも日本人の方の名前は覚えづらくて、でもこのナミさんの英語は実にすばらしい。お二人とも外国語の大学の学生さんで、すばらしい語学の達人でいらっしゃる。学校を卒業されたら、外交省に入られるそうで、私もお二人とこうして知り合いになれて大変光栄です。ここにいるマークが君に内緒でこっそり書いた新聞記事をお読みになって、是非、正樹君とヨシオに会いたいと、わざわざ日本からやって来られたそうです。お二人は新聞社であの記事のことをお調べになって、このマークを捜し出したというわけですな。」
 早苗がびっくりして立っている正樹に向かって丁寧に言った。
「すみません。突然、おしかけて来たりして、でも、自分が勉強してきた言葉がどんな国で話されているのか、外交省に入る前に一度見てみたかったのです。渡航前に、色々と、この国のことを調べていたら、正樹さんとヨシオ君のことが新聞に書いてありました。私、とても感動しましたの、あの記事を読んでから、お二人のことが頭から離れなくて、こちらに来る機会があったら、何とかして正樹さんに会ってお話をしようとおもっていましたの。それからボラカイ島の日比混血児たちの家にも、出来ることなら行ってみたいのですが、駄目でしょうか?」
「もちろん、大歓迎ですよ。島にいる子供たちもきっと喜びますよ。みんな日本語を自分のものにしようと必死になって勉強していますからね。早苗さんがタガログ語を話す日本人だと知れば、おそらく子供たちはあなたのことを師と慕って、引っ張りだこになることは間違いありませんね。そうでしたか、僕たちのことを新聞でお読みになったのですか。ボラカイ島の家のことまでご存知とはね。いやね、僕はいっこうに構わないのですがね、リーダーの茂木さんはそのことを知ったら、あまりいい顔はしないでしょうね。」
「茂木さん・・・・?」
「ええ、そのボラカイ島の家の持ち主ですよ。」
「ごめんなさいね。あたしの知り合いにも同じ名前の人がおりましたので、でも、このマークが書いた記事によりますと、ボラカイ島はとてもきれいなところだと紹介されていましたが、是非、行ってみたいですね。」
「その通りですよ。ボラカイ島はとてもきれいな島ですよ。行けば必ずその美しさに感動します。それにとても不思議な島でもあります。魔法を使うのですよ。憎しみとか恨みを抱えて島に来た人々の心を変えてしまいます。いかに、それがくだらないことなのかと、澄んだ景色でもって気づかせてくれるのですよ。それから精根尽き果て、疲れ切ってしまった人々には安らぎと再び生きる勇気を与えてくれます。島を出るときには、完全に癒されて帰って行きますからね。そして、必ずまた、みんな島に戻って来ますよ。本当に不思議に満ちた島ですよ。僕はボラカイ島に行く度に奇跡を目にしますよ。今回もそうでした。この広い世界で、遠く離れた京都の小さな居酒屋の客同士が偶然にも島で出会うなんて、そんな偶然は考えられませんよ。やはり島が魔法を使ったとしか、言い様がありません。きっと島が二人を引き合わせたのでしょうね。人々をボラカイ島はうまい具合にちゃんと結びつけているのです。ひょっとすると、早苗さんもボラカイ島で奇跡というものを体験されるかもしれませんよ。」
「何だか、話を聞いていると、わくわくしてきますね。正樹さん、是非、ボラカイ島へ案内してくれませんか。本当に勝手なお願いで恐縮なのですが、駄目でしょうか?」
「誰が、お二人のようなおきれいな人たちの頼みを断れるというのですか。喜んで案内しますよ。」
 この時、正樹は今日という日がディーンの誕生日であることをすっかり忘れてしまっていた。日本からのきれいなゲストに完全に気をとられてしまっていた。
「それで、お二人のご予定ですが、どうなっていますか?僕の方はお二人に合わせますから、いつでもいいですよ。」
「そうですか、ありがとうございます。実はあたし、人を捜しておりますの。まず、その人のアパートを訪ねてから、ボラカイ島へ行きたいのですが、よろしいでしょうか。あたしね、そのアパートには何度も電話をしたのですよ。でも、どこかの地方の言葉が返ってくるだけで、話が通じませんの、きっと、そこへ行っても何も手がかりはつかめないとはおもいますが、やるだけのことはやって日本に帰りたいとおもいまして。」
「そうですか、それで、そのアパートというのはマニラ市内ですか?」
「いいえ、ケソン市です。」
「ケソン市なら、僕と一緒だ。もし僕でよかったら、ご一緒しますけれど。」
「あら、何から何まですみません。お願いしてよろしいのですか?」
「さっきも言ったように、きれいな女性の頼みは断れませんからね。」
「すみません。本当に有り難うございます。それでは正樹さんのご親切に甘えさせていただきますわ。」
 署長は自分の分からない日本語の会話が弾んでいたので、机に座って、独り寂しそうに葉巻を吹かしていた。署長と正樹の関係はヨシオのことがあってからは特別なものになっていた。それは警察官と民間人という枠を超えて、人間としての信頼関係の上に立っていた。署長は街で保護した両親のいない日比混血児たちを正樹に安心して任せていたし、正樹も見知らぬ国に来て不安だらけの生活のなかで、署長をまるで自分の父親のように慕っていた。最近では些細なことでも、まず、署長に相談することが多くなってきていた。
「署長、ケソン市方面に行く車はないでしょうか?この方たちを案内してケソン市にある彼女の知り合いのアパートまで行きたいのですが、出来れば車に同乗させてくれませんか。」
「正樹くん、車なら心配しなくても、いくらでもすぐに用意させますよ。どうしてそこへ?」
「この早苗さんが知り合いを捜しているようなので。」
「正樹君、人捜しは警察の仕事だろうが、特に、こんなにきれいな人たちの人捜しは、わしの出番ではないのかな?わしに任せろ!」
 署長はナミの均整のとれた体に目を奪われてしまったらしく、しきりにナミのことばかりを見ていた。そのすらりと延びた脚、小さな顔、そして身のこなし方が実にゆったりとしていて自信に満ちていた。街を歩けば、誰もが振り返るスーパーモデルがこのナミだった。おまけに外国語の大学の超秀才ときている。卒業後は外交省の官僚の席も用意されていて、その溢れ出るオーラでもって世界中を外交官として飛び回れば、どんなに難しい外交問題も解決してしまうように正樹にはおもえた。きっと、署長も正樹のその意見に同感のはずである。完全に署長はナミにノックアウトされてしまっていた。早苗が一枚の名刺をバックの中から取り出した。その向きを直して正樹に渡した。
「ここなんですよ。この住所に行きたいのですが、お願いできますか?」
 正樹は受け取った名刺を見た瞬間、凍り付いてしまった。そこに書かれてある住所は自分が住んでいる住所だったからだ。それはボンボンの名刺だった。驚きのあまりに正樹は言葉がすぐには出てこなかった。何てことだ。この女性たちはボンボンを捜している。これはまだボラカイ島の魔法の続きなのだろうか?早苗とボンボンはいったい、どんな関係なのだろうか。早苗が正樹の顔を見ながら言った。
「どうしたのですか?そんなに恐い顔をなさって、ご存知なのですか、ボンボンを?」
 正樹が一呼吸置いてから答えた。
「ええ、よく知っていますよ。実は僕はここに書かれてある住所に住んでいるのですよ。」
 ナミが大きな目をして初めて口を開いた。
「それは本当ですか。」

 不思議な沈黙が署長室に流れた。正樹は早苗から見せられた名刺を署長に手渡した。署長の目がまん丸になった。
「これは君のところではありませんか。ボラカイ島にいるボンボンを早苗さんは捜しているのですか。これは何という偶然なのだ!きっと神様が導いているのに違いないな!正樹君、ヘリコプターを使ってもいいぞ。すぐに用意させるが、どうする?」
 正樹は早苗の目を見ながらゆっくりと言った。
「早苗さん、ボンボンは、今、マニラにはいません。ボラカイ島にいます。どうしますか?行きますか。さっき僕が乗ってきたヘリコプターを使えば一時間もあれば、島に行けますが、どうしましょう。」
「ええ、お願いします。」
 恐すぎる偶然が何度も続いたと正樹はおもった。早苗にとっては、これから奇跡の始まる、ほんの序曲に過ぎなかった。


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