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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第57回   ひょうたん島
ひょうたん島

 学校に入ると正樹は急に多忙になってしまった。今まではディーンと一緒に過ごす時間が何よりも愛しく大切なものであり、そして正樹の生活のほとんどを占めていたのだったが、学校に入ると友人もたくさんできたし、週末には日比混血児たちを連れてボラカイ島へ飛ぶ回数も増えてしまった。正樹は次第にボラカイ島の子供たちへの愛情が自分の中で大きくなっていくのも感じていた。その分、ディーンへの感情がだいぶ後回しになってしまっていたことには正樹は気がついてはいなかった。
 正樹は渡辺電設の佐藤と田口、そして新しく保護された混血児三人を連れて、警察のヘリでボラカイ島へ向かっていた。よく使い込んだヘリコプターはとにかく音がうるさい。大声で話さなければ相手に自分の言葉がちゃんと届かない。佐藤は自分の両手を耳にあてがいながら、正樹に向かって怒鳴った。
「このヘリコプターはいつもこうして島に飛ぶのですか?」
 正樹も怒鳴り返した。
「ええ、毎週、土曜日の午前中に島を往復します。このヘリの定期便は島にいる者にとってはとても大助かりですよ。必要なものをマニラで買い揃えて、持って帰れますからね。でもこのヘリの一番の目的は島の子供たちがいつでもマニラに帰れるようにすることなのですよ。もし子供たちが島の生活が嫌になってしまったら、すぐに帰れるようにする為のものです。島の家は強制収容所ではないので、島に残るのも、離れるのもすべて子供たちが自分で決めます。でも、これまでのところ、誰一人としてマニラに帰りたいと言った子供はいませんがね。」
「そうですか。きっとボラカイ島は素晴らしいところなのでしょうね。渡辺社長と電話で話しましたが、兎に角、島へ早く来てくれの一点張りで、まったく自分たちが滞在している最高級のマニラベイホテルには来るつもりはないみたいですよ。ボラカイ島からどうしても離れたくはないみたいですね。こんなに心配してやって来たのに、まったくあきれましたね。本社の重役たちは口には出しませんが、相当、怒っていますよ。」
「渡辺社長はボラカイ島に来て変わったとボンボンが言っていましたよ。ああそうか、佐藤さんはボンボンのことをご存知なかったですね。ボンボンは東京の教育の大学の留学生です。フィリピン商工会議所のパーティーでボンボンは渡辺社長と知り合ったと言っていました。ボンボンの言葉ですがね、ボラカイ島に今いる渡辺社長はマニラで散々遊び歩いていた社長とは別人だそうですよ。社長はこのフィリピンにも投資していただけるそうで、ぼくらとしては島にいる子供たちが大きくなった時のことを考えますと、渡辺社長のような人が一人でも二人でも多くいてくれた方がありがたいのですよ。」
「そうですか。渡辺社長がそう言っていましたか。すると、僕もタイからこちらに移動になるかもしれませんね。ところで、正樹さん、あなたはどうしてこちらに来る気になったのですか。日本に居た方が楽でしょうに、またどうして、魑魅魍魎が蠢いている、混沌とした世界に来る気になったのですか?」
「恋ですよ。恋が僕のすべてを変えてしまいました。考えてみれば、僕にとっての日本はそんなには素晴らしいところではなかったのかもしれませんね。いや違いますね、それは間違いですね。どこに居たって同じですか、どう生きるかが大事であって、心の持ち方によって、その場所が天国にもなるし地獄にもなりますからね。そうだ、僕がこの国に来る決心をした直接の原因は渡辺社長ですよ。社長がディーンの学費を出すと言い出したものだから、僕は頭に血がのぼってしまって、渡辺社長をぶん殴ってやろうとおもってやって来たのでした。」
「ディーンさんというのはあなたの恋人ですね。社長がその子の学費をね、それはいかにも社長らしい。渡辺社長らしい発想ですね。そうですか、そんなことがあったのですか。それで、社長を殴りにこの国に来られたのですね。人と人の巡り合わせとは真に不思議ですね。実に神秘的ではありませんか。」
「でもね、佐藤さん。あれだけ嫌いだった渡辺社長のことを、何故か、僕はもう許しているのですよ。佐藤さんも、きっと、いまに分かりますよ。それがボラカイ島の魔法なのです。人間社会の些細でちっぽけなことは、ボラカイ島の圧倒的なまでの美しさの前では、何の意味も持ちません。まったく不思議ですよ。恨みや憎しみがボラカイ島の美しい自然に飲み込まれてしまうようですよ。」
「正樹さんの話を聞いていると、今から行くボラカイ島は私たち人間にとっての心の病院みたいに聞こえますよ。」
「その通りです。佐藤さんはうまいことを言いますね。心の病院ですか、まったくその通りですよ。ボラカイ島は心の病院ですよ。」
 田口は佐藤と正樹の話を聞いているうちに眠ってしまったようで、口をだらしなく開けたまま、椅子に沈んでしまっていた。こんなにうるさいヘリコプターの中でも眠ることが出来る田口の神経はきっと太いのだろうと正樹はおもった。しかし、田口の気持ち良さそうな眠りもそう長くは続かなかった。すぐにひょうたんの形をしたボラカイ島が見え始めたからだ。
「佐藤さん、あれですよ。あの島がボラカイ島です。」
「いやー、白い浜が島の周りに幾つもありますね。驚いたな、こんな空の上からでも、砂浜が白いことがよく分かりますね。真っ白じゃないですか。」
「あの長い砂浜がホワイトサンドビーチですよ。4キロぐらいはありますかね。どうです、佐藤さん、きれいな浜でしょう。どうぞ、佐藤さんたちも渡辺社長同様に島でゆっくりしていって下さいね。ほら、あそこに岬があるでしょう。分かりますか?あそこの出っ張ったところにこのヘリは着陸します。私たちの家の庭にはヘリポートもあるのですよ。小さいですけれど、燃料タンクもちゃんとあります。」
 佐藤は田口のことを揺り起こした。
「おい、起きろ!田口、起きろ!もう着いたぞ。」
 田口はゆっくりと目を開けて、佐藤の方を見た。
「田口、ボラカイ島だ。下を見てみろ。ひょうたんの形をしている島がそうだ。まるで、あれは、ひょっこりひょうたん島だな。島にはドンガバチョもいるかもしれないぞ。」
「懐かしいですね。佐藤さんもあの番組が好きでしたか。私は毎日のようにみていましたよ。確か、一日に二度、放送されていましたよね。私は二度ともみていましたよ。でも、あの人形劇のひょうたん島は海の中を動いて世界中を旅していましたよね。」
「ああ、そうだ。動いていた。うちは家族全員でみていた記憶があるな。毎日、楽しみでな、あの人形劇は日本中の人々を惹きつけていたな。いい番組だった。」
「そうですね、あまり娯楽の無かった時代でしたから、本当に番組の始まるのが待ち遠しかったですよ。ひょうたん島のテーマソングは、きっと誰でも、今でも歌うことが出来るのではないでしょうか。何度も何度も番組が始まる前に、繰り返し聞かされましたからね。」
 田口はヘリの下の方を指差しながら、続けて言った。
「あれがボラカイ島ですか?本当だ!ひょうたんの形をしていますね。こうして、上空から見てみると長細いひょうたん形をしているのがよく分かりますね。何か、とても神秘的ですね。」
 佐藤が肯きながら言った。
「あの人形劇のようにボラカイ島にもたくさんのドラマがあるのでしょうね。」
正樹が答えた。
「そうですよ。僕はもう、この島で何度もすばらしい奇跡を経験しましたからね。不思議な島ですよ。佐藤さんや田口さんにも、きっと、何か起きますよ!」
 ヘリコプターが急降下を始めた。機体はすでに着陸体勢に入っており、どんどん島が大きくなり始めていた。豪邸の庭で手を振って迎えてくれている子供たちの姿がまず三人の目に飛び込んで来た。そして正樹が声を出した。
「佐藤さん、あそこに渡辺社長がいますよ。ほら、見えますか。プールのすぐ横です。」
「ああ、いたいた!社長だ!行方不明の社長がプールサイドで昼寝なんかしている。」
 軽い衝撃の後、ヘリコプターはプロペラの回転を止めた。まず、すっかり成長したヨシオが機内に乗り込んで来た。挨拶は簡単に目でして、正樹に向かって言った。
「兄貴、荷物は?」
「ああ、少しある。後ろだ。」
 慣れた手つきで、ヨシオはヘリの後部座席から荷物を素早く降ろした。ヨシオは新しい三人の混血児たちにもちゃんと気配りを忘れなかった。随分と立派になったものだと正樹は感心してしまった。「その調子だ。」と心の中でヨシオに正樹は声援を送った。ヨシオは子供たちを連れて建物の中へ、正樹は佐藤と田口を連れてプールサイドへと向かって歩いて行った。渡辺社長が長椅子の上で昼寝をしているのを確認していたから、三人は挨拶をするためにプールの方へ急いだ。渡辺社長は地響きがするヘリコプターの到着にもまったく気づいていないようで、よく眠っていた。佐藤が何度も社長に声をかけた。
「社長、今、着きました。社長、起きてください。」
 やっと目を開いて、渡辺社長が長椅子の上に体をおこした。
「おお、佐藤か、ご苦労さん。あれ、田口も一緒か。おまえはホテルで留守番かとおもっていたよ。そうか、一緒に来てくれたのか。」
「もちろんですとも、社長のことが心配で、ちゃんと遣って参りましたよ。社長、ご無事で何よりでした。」
「そうだ、佐藤。着いてすぐで、何なんだが、マニラをどうおもう?おまえのことだから、もう、見てきたのだろう。この国は商売になるとおもうか?電信柱の上はボロボロだっただろう。台風で壊れたままだ。佐藤、どうおもう。」
「確かに、おっしゃる通りで、修理から入れば、大きな取引も可能かもしれません。誰か、政府と太いパイプがある人間がいれば、やりやすくなりますがね。」
「そうだな。」
正樹が社長に聞いた。
「社長、ボンボンたちは?」
「役所に行っているはずだが、ところで、今、何時になる?」
「もうすぐで、午前11時になります。」
「そう、もう、そんな時間か。ボンボンたちはもう帰って来ているかもしれんな。誰がどこにいるのかも分からないほど大きくてな、見ての通り、この家はでかいのでな。」
 リンダが嬉しそうに正樹のところにやって来た。佐藤と田口にウエルカムドリンクを持って来たのだった。
「佐藤さん、田口さん。どうぞ、これは百パーセントの果物ですから、安心して飲んで下さい。冷蔵庫で冷やしてあるだけで、氷は入れていませんから。ここの庭で採れたマンゴーを絞ったジュースです。結構、いけますよ!」
 ドリンクを二人に渡してから、正樹はリンダにたずねた。
「ボンボンたちはどこにいる?」
「二人とも書斎にいますよ。」
 正樹は佐藤の方へさっと向き直って言った。
「では、ここの豪邸の主を紹介しますので、中に入りませんか。」
 豪邸と言われて、確かにそうだと佐藤もおもった。いったいこんな豪邸の主はどんな人間なのだろうかと、佐藤はさっきから想像力を働かせていた。
「正樹さん、大きなお屋敷ですね。びっくりしましたよ。これ程だとはおもいませんでした。ここの敷地の面積もかなりなものですね。」
「そうでしょう。ここは以前、華僑のお金持ちの別荘だったんですよ。それを茂木さんが買いとったんですよ。」
「でもこの国では、土地は日本人には買えないでしょう。確か、そのように聞いた記憶があります。違いますか?」
「ええ、その通りですよ。名義はボンボンになっていますが、お金を出したのは茂木さんです。」
「茂木?茂木・・・・・さんね。」
 佐藤の頭の中では何度も茂木という名前が空回りを始めていた。

 渡辺社長はまったく動く気配はなく、また、長椅子の上に体を気持ち良さそうに伸ばしてしまった。豪邸の時間はゆっくりと流れていた。正樹が言った。
「社長、すみませんが、このお二人を茂木さんとボンボンに紹介してきますね。」
「ああ、そうしてくれ。わしはまだここで寝ているからな。」
 佐藤と田口が後ろ向きになってしまった社長の背中に向かって言った。
「では社長、失礼して、中に入って挨拶をしてまいります。」
「ああ、わかった。ああ、佐藤、わしはしばらくここから動かんからな!」

 そして、豪邸の最上階にある茂木の書斎に正樹に案内されて入った時に、佐藤にとっては生まれて初めての奇跡を体験することになった。

 大きな部屋の窓際に置いてある机から立ち上がり、振り返り、近づいて来る茂木の姿を見て、佐藤はおもわず声をあげてしまった。
「あなたは、京都の・・・・・居酒屋の茂木さんではないでしょうか?」


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