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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第56回   逮捕
逮捕

 現在ではもうなくなってしまったかもしれないが、当時のマニラには共同電話というものがあった。パーティー・ラインと呼ばれていたとおもう。隣近所の何軒かで一つの電話線を使用する共同電話で料金が安かった。しかし、これがとてもやっかいな電話で大切な話をしている最中に切れてしまうのが一番困った。受話器を取ると誰かが大きな声で話をしていたり、話をしていると横から隣の親父が割り込んできたりする。パーティー・ラインには個人のプライバシーなどまったくなかった。盗聴したくなくても盗聴が出来てしまうのが、この共同電話だった。ボンボンのケソン市のアパートの電話も以前はそのパーティー・ラインだった。
 正樹が学校から帰ると、テーブルの上に一枚の紙切れがあった。風で飛ばされないように、端っこに灰皿がちょこんと置かれてあった。英語で用件を書き、その手帳の一ページを破ったらしく、名刺も丁寧に添えてあった。ボンボン宛ではあったが、正樹はその名刺を手にとってみると日本人のものであった。そこには渡辺電設株式会社の佐藤と記されてあった。メモには英語でこう書かれてあった。
「ボンボン様、私は渡辺電設の佐藤と申します。失礼とはおもいましたが、突然の訪問をお許し下さい。連絡がとれなくなってしまった私どもの社長を捜しにこちらに参りましたが、あいにく誰もおいでにはなりませんでした。もし何か、渡辺社長に関する情報がございましたら、どうか、ご一報下さい。社長と連絡が取れずにたいへん困っております。私たちは現在マニラベイホテルの707号室に滞在しております。お手数とはおもいますが、どんなことでもけっこうですから、連絡をいただければ幸いです。
      渡辺電設   佐藤」
 正樹はメモを読み終えると、すぐに受話器を取った。すると、受話器から大きな笑い声が吹き出してきた。いつものように隣の娘が彼氏といちゃついていた。正樹はさっと受話器を耳から離して、そっと元のところに置いた。パーティー・ラインには先客がいた。昔は基本料金だけでよかった電話制度がこの国の人々に長電話の習慣を植え付けてしまったのかもしれない。あまり良い習慣とはいえないと正樹はおもった。
 一度目に正樹が電話に成功した時は、ホテルの部屋には佐藤はいなかった。そして、次に正樹に電話の順番がまわってきたのは深夜の23時過ぎだった。ホテルのオペレーターはすぐに佐藤の部屋にその電話をつないだ。
「佐藤様の部屋につなぎました。はいどうぞ。」
とオペレーターが言ったので、正樹が話し始めた。
「もしもし、佐藤さんですか。」
 正樹がぶっきらぼうに日本語でそう言うと、相手からも日本語で淡々と返事が返ってきた。
「はい、佐藤ですが。」
「佐藤さん、渡辺社長をお捜しだそうで。」
「ええ、その通りです。でもどうして、それをご存知なのですか?失礼ですが、あなたはいったい誰ですか。」
 正樹は電話の向こうにいる佐藤という人物が警戒していることをすぐ感じ取っていた。もう前置きは後にして、話の本題から入ることにした。
「もしもし、佐藤さん、私はあなたが捜している渡辺社長の居場所を知っていますよ。」
 明らかに佐藤は次の正樹の出方をうかがっている様子だった。佐藤は返事をしなかった。続けて正樹が言った。
「佐藤さん、社長はマニラにはいませんよ。私たちがあずかっています。社長のお金は・・・・・・・・・。」
 そこで、突然、電話が切れてしまった。またパーティー・ラインのトラブルであった。慌てて正樹は電話器を叩いたが、もう、つながらなかった。誰かに電話をまた奪われてしまった。
「まいったな、どうするかな。」
 正樹はそう独り言を呟いてから、ソファーにどっかりと座った。深夜だというのに、パーティー・ラインの長電話は終わりそうになかった。そうだ、久しぶりにサムスダイナーに行ってみるか。あそこの電話を使えばいいのだ。なんで、そんなことに今まで気がつかなかったのか、ディーンはもう寝てしまっていたので正樹一人で近くのレストランに向かって行った。近くのサリサリストアーの電話にも長い列ができていた。どうやら電話好きなのも国民性なのかもしれないと正樹は苦笑いをした。サムスダイナーに入ると、正樹は電話のところに直行した。二台ある電話の片方は店の客が身をよじらせながら占領していた。もう一方には誰もいなかった。顔見知りのウエイトレスに手を上げてから、正樹はマニラベイホテルの番号をダイアルした。
 マニラベイホテルの佐藤の部屋は逆探知器のコードが散乱していた。警察署長はヘッドホーンをかけて、佐藤のすぐ隣にいた。署長の合図で佐藤が電話をとった。
「はい、佐藤ですが。」
「もしもし、ああ、良かった。さっきはすみませんでした。共同電話からかけていたものですから、混線しちゃって、申し訳ありませんでした。」
「ああ、さっきの方ですね。あなたはいったい誰なんですか?渡辺社長は無事なのでしょうか?社長はどこにいるのでしょうか?まず、それからお聞きしたい!」
「渡辺さんは島にいますよ。天国に一番近い島にね。」
「何を言っているのか、さっぱり分かりませんな。失礼ですが、あなたはいったい誰ですか?」
「そうですね。失礼しました。申し遅れましたが、私は正樹と申します。」
 それを聴いていた警察署長の緊張していた顔が急にほぐれた。正樹と佐藤が話していた日本語は理解出来なくても、「マサキ」という名前の響きが署長を安心させたのだった。佐藤が話を続けた。
「社長は無事なんですか?」
「元気ですよ。渡辺社長は日本から送金されたお金のことを心配していました。そのお金のことをさっき佐藤さんに聞こうとしたら、電話が切れてしまったのです。でも良かった。こうして会社の人が来られて、なにしろ渡辺社長は災難続きでしたからね。」
「正樹さん、あなたと社長とはどういう関係なのですか?ていうか、どういうお知り合いなのでしょうか。話がよく私にはつかめません。詳しく話してもらえませんか。」
「そうですよね、佐藤さんのおっしゃる通りです。初めから話さないと分かりませんよね。大変失礼しました。」
 その時、逆探知成功のサインと警察の車がサムスダイナーに向かったと書かれた紙が署長に手渡された。正樹が話を続ける。
「渡辺社長は映画館で誘拐されて、ミンダナオ島へ向かう船に乗せられました。その途中で海難事故に遭い、不幸中の幸いと言いますか、犯人たちから解放されました。しかし、海に放り出されて、何日も漂流した後、奇跡的に私たちが住むボラカイ島に流れ着いたというわけです。」
 警察署長は正樹が言った「ボラカイ」ということばを聴き、慌てて佐藤から受話器を取り上げて、自分で話し始めた。
「ヘロー、正樹、コムスタカ(元気ですか)。」
 びっくりしたのは正樹であった。
「ヘロー、署長でしょう?その声は!」
「今、正樹君はサムスダイナーから電話をしていますよね。違いますか?」
「はい、そうですよ。どうしてそれをご存知なのですか?だいたい、何で、署長がそこにいるのですか?」
「逆探知です。我々は誘拐犯人と話をしているところです。」
「僕がですか?違いますよ!」
「分かっていますよ。でも、正樹君、もう間もなく、あなたは逮捕されますよ。近くにいる警官たちがそちらに向かっていますからね。抵抗すると撃たれますよ。だから、おとなしく連行されて来てくださいね。いいですか。詳しい話はまた後で、両手を上げて、動かないように!いいですね。」
 五分もしないうちにサムスダイナーは異様な雰囲気に包まれてしまった。銃を構えて、雪崩れ込んで来た警官たちを見て、他の客や店の者たちは皆、脅えてしまった。正樹は受話器を置いて静かに両手を上げた。銃口が幾つも自分の方に向けられている。まったく生きた心地がしなかった。すぐにパトカーに押し込められて、署長の命令でマニラベイホテルへ連行されてしまった。ホテルの玄関には署長が迎えに出てきており、正樹がパトカーから降ろされると、笑顔で正樹の肩を抱きすくめた。正樹のことを連行してきた警官たちも途中で署長から無線で説明があったようで、ニコニコしていた。正樹一人だけが何も分からずに腹を立てていた。


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