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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第55回   単位
単位

 マグサイサイ・ハイスクールの敷地内にあるNCEE事務局で正樹は大学入学の為の国家試験の結果を受け取った。その得点は国立のフィリピン大学以外の私大学ならば、どこにでも入ることが可能な得点であった。一緒に同行していたディーンは正樹の得点が以前に自分が取った得点よりも高かったことに驚きと嫉妬を覚えてしまったくらいだった。
「正樹、おめでとう。これで学校に入れるわよ。どこの大学でも入れるけれど、もちろん、あたしの学校にするわよね?」
「ありがとう。決まっているじゃないか、ディーンと同じ学校に入る為に頑張ってきたんだから、他の学校なんかありえない!考えられないよ!でも、きっと、試験官は日本人には点を加算するように上から指示されているのだよ。だってこんなに点が取れるはずがないもの。日本人はお金持ちで、円をたくさん持っているからね。円という外貨をこの国に落としてくれた方が良いに決まっているからね。日本からの留学生、いや、ひょっとすると石油が出るイランからの留学生もどんなに頭が悪くても大歓迎なのかもしれないよ。」
「そんなことないわよ。やはり、正樹の実力だわ。あたしとこうして話が出来るじゃないの。でも、本当に良かったわ。合格おめでとう。これで正樹と一緒に学校に行けるわね。」
 当時は日本からの留学生は大学院の聴講生はかなりいたが、一般の留学生は本当に少なかった。それでも、この頃から次第に沖縄からの留学生がマニラでも見かけるようになってきていた。学費の高い日本本土で勉強するよりも英語で勉強が出来るフィリピンを選択する学生たちが増え始めていたのだ。留学を斡旋するフィリピンのブローカーが沖縄に進出していたせいもあるかもしれないが、沖縄の若者たちがフィリピンに来て勉強するようになってきていた。そんな沖縄からの学生たちのなかには日本人の母親が米軍基地で働いていたフィリピン人の父親と知り合って結婚したケースもあり、本人の国籍はフィリピンであったり、兄弟がアメリカ国籍であったり、複雑な家族構成になっていたりもする。多国籍家族になってしまうと、どこで勉強してどこで就職するかが問題になってくる。学費の安いフィリピンで勉強してアメリカで就職することを選択するのは自然な流れだ。
正樹の入ったイースト大学はマニラの下町にあり、朝早くから、夜遅くまで自由に受講が出来るマンモス大学だった。マンモス大学だからと言って、授業も大きな講堂で教授がマイクを片手に何百人もの学生に向かって講義をするのかというと、そうではない。この職のない国では先生の数が多いので、先生たちは自分の講義に特色をもたせて学生の奪い合いとなり、授業は少人数制となる。一クラスの学生の数が少ないということは、それだけ授業中に当てられる回数が増えるということだ。ましてや、そこにいるだけでも目立つ留学生の正樹はよく何度も当てられた。その度に答えに困ってしまう正樹であった。やはり、英語というものは日本で生まれて育った者には限界があると何度も思い知らされた。日常会話とは違って、英語での講義は極めて難解だった。親切な先生は学生たちがよく分かるようにタガログ語を頻繁に使う。それが反って正樹にとっては混乱してしまうのである。そして、フィリピンの若者には兵役の義務があり、特別な理由がない限り、学生たちは卒業までに定められた期間、頭を刈って、お揃いの軍服姿で軍事訓練をする。外国人である留学生の正樹は、当然、兵役は免除されたが、体操のPEの時間に、教官は正樹が日本人だと知ると、兵役が免除されているのだから、その代わりに日本の武道、剣道や柔道などの指導をしろと要求してきた。仕方なくマットを敷き詰めて畳みの代わりにして柔道のまねごとを教えたこともあった。
正樹がこの国に来て、一番心配していたことは反日感情だった。戦時中に日本軍が犯した戦争犯罪、成り上がり日本人のセックス買春ツアー、この国の学生たちはいったい日本から来た珍しい留学生に対してどんな風にして接してくるのかが、とても心配だった。そんな正樹の心配とは裏腹にこの国の人々は大らかな気質を持ち、カトリック教への信仰からなのか、日本人が犯した過去のあやまちをすでに許していた。そして正樹も学校では皆から暖かく迎えられた。留学生は女子学生にもよくもてた。競い合うようにそばに近寄って来てくれた。こんな経験は初めてであった。男子学生もとても親切で、学校が終わるとよく近くのファーストフード店で歓談してくれた。もちろん支払いはすべて正樹の財布からだった。しかし友達は多ければ多いほど良かった。どうしても単位を取得するためには友人たちの助けが必要だったからだ。多少の食事代や飲み代は単位獲得の為には覚悟しなければならない必要不可欠なものであった。それでも、どうしても分からない教科はあった。試験を何度やっても赤点しか取れない教科は出てきた。単位を取るのが大学である以上、正樹はどうにかしなければならなかった。そして最終的に考えついたことは、先生と仲良くなることしかなかった。どんなに嫌いな先生でも親しくなるように普段から努めた。正樹は講義を聴いていて、これは無理だなと判断すると、その先生に特別に個人授業を申し込んだ。二十人の学生たちを教えるよりも、金持ち大国、日本から来た留学生を一人だけ教える方がはるかに楽であるから、どの先生も快く引き受けてくれた。後は簡単だった。
講義に出席さえしていれば、授業中、当てられて恥をかくこともなく、おまけにどんなに試験の成績が悪くても単位は取れた。職員室の片隅には板で仕切った秘密の場所がある。そこはまるで教会の懺悔をするあの個室のようにも見えた。中には机を挟んで椅子が置かれてあり、個人レッスンが誰にも邪魔されずに集中して出来るようになっていた。まあ、隙間だらけの空間だから、妖しいレッスンには利用出来ないようにはなっていたが、ただ、個人授業を重ねていくうちに、先生たちに共通することが幾つかあった。先生方にはお子様がたくさんいて、それに加えて面倒をみなくてはならない親戚も大勢いた。おまけにその何人かは病気を患っていて、入院もしている。つまり、お金がいるのだ。単位はやるが高いぞ!と遠回しに言っていることに正樹が気がついたのはだいぶ後になってからのことだった。しかし、正樹にとって、単位を取り続ける為には先生方の手助けがどうしても必要だったのだ。突然、先生の親類が倒れれば、正樹も知らんぷりは出来なかった。


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