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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第54回   電話
電話

 翌朝、ホテルのラウンジに佐藤が先に姿を現した。彼の手には地元の新聞が幾つか握られており、席に着くやいなや、テーブルの上にそれらをひろげて読み始めた。渡辺社長の行方に関係していそうな記事がないか、片っ端から読み始めていた。だいぶ遅れて、田口も部屋から降りて来た。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。どうだ、よく眠れたか?」
「はあー、それが・・・。」
「何だ、まだ、眠そうな顔をしているな!」
「いえ、よく眠れましたよ。」
「まあ、昨日はどこにも連れて行ってあげられなかったから、だいぶ時間を持て余したのとちがうか。」
「いえ、そんなことはありませんよ。十分、南国の夜を楽しみましたから。佐藤さん、何か注文はされたのですか?」
「いや、まだだ。一応、新聞には目を通しておかないといけないとおもってな、すっかり注文をするのを忘れていたよ。私はコーヒーとトーストでいい。君は何でも好きなものを注文したまえ。」
「そうですか、では失礼して、少し栄養のあるものをいただきますよ。何か、新聞に載っていましたか?」
「いや、別に、ないな。」
「会社の方には連絡はされたのですか。」
「まだだ、後でするよ。少し調べてからでないと格好がつかないからな、それに今日は金曜日だし、本社のお偉いさんはゴルフや土日に遊びに行く準備で忙しいだろうからな、まともには話は聞いてくれんよ。別に連絡は月曜の朝一番でも大丈夫だろう。こっちもそれまでに土日を返上して、出来るだけのこと調べておけば格好がつくしな。」
「あの、佐藤さん。また、両替をしたいのですが、金庫のカギをかしてくれませんか。」
「昨日、確か、おまえは相当多く、両替していたはずだが、違ったかな?」
「はい、それが使ってしまったものですから。」
「全部か?呆れたやつだな。まあ、いい、何に使ったのかは聞くまい。ほれ、金庫のカギだ。ちゃんとまた受け取って来いよ。」
田口はカギを受け取ると、セーフティー・ボックスのあるフロントの方へ行ってしまった。
 朝食をとった二人は昨日ホテルにチェックインした時に頼んでおいたレンタカーで出発した。運転手はホテルと契約している者をあらかじめ頼んでおいたから、道に迷わずに大使館へ行くことが出来た。大使館の前に着いてみると建物の周りにはずらりと渡航ビザを申請する人たちの列ができており、その数は数百人規模のものであった。現在では申請箱に必要書類を入れて審査を待つシステムになった為に当時のような行列はなくなったが、佐藤たちが訪ねた時には日本へ出稼ぎに行く為に必要書類を抱えた人々が容赦なく照りつける太陽の下で辛抱強く自分の番を待っていた。おそらくこの列の最後の方の人たちには今日の順場は回ってはこないだろうと佐藤はおもった。この国にはもっと雇用が必要なのだ。辛い思いをして外国に出稼ぎに行かなくてもすむように、家族のそばで働ける場所が必要なのだと佐藤も田口も大使館を何重にもまわっている人の列を見ながらそうおもった。
大使館の入り口にいたガードに事情を説明して、二人は中に入れてもらったが、渡辺社長が現われた形跡はまったく無かった。もし社長が現われた時にはホテルに連絡をくれるようにお願いをして大使館を後にした。
 次に、佐藤は運転手に社長の机から出てきた留学生の名刺のコピーを見せた。運転手は軽くうなずき、車をケソン市へと渋滞を掻き分けるように運んで行った。佐藤と田口はその途中、車の窓に顔を近づけたまま、じっと電信柱の上の方ばかりを見ていた。渡辺電設は電話線のジョイント部品や金具、電信柱にとりつけてある様々な機器を固定する金具を扱っている会社だ。そんなわけで二人の視線はどうしても電信柱の上にいってしまう。
ケソン市のボンボンのアパートに着くと、佐藤は何度も外から声をかけてみたが返事はなかった。網戸を開けて中に入り、佐藤は再び丁寧な英語で声をかけてみた。
「すみません、ボンボンさんはいらっしゃいませんか?」
 奥の洗濯場からお手伝いらしい少女が出て来た。両手には洗剤の泡がついており、佐藤と田口の方に向かって何やら一生懸命に話しかけてきた。二人にはさっぱり分からない言語であった。佐藤は田口に指示して、外にいる運転手に中に入ってもらった。運転手の話では彼女の言葉はビコール地方の言葉だそうで、タガログ語圏で育った運転手にもよく分からない方言だそうだ。それでも何とか、ボンボンはもう長い間、このアパートには戻って来ていないことがわかった。 あいにくこのアパートの住人である三姉妹も正樹も外出していて留守だった。どうやら佐藤たちの捜査はまたしても空振りに終わってしまったようだった。佐藤はポケットから手帳を取り出して、一枚のページを切り離して、もしボンボンが戻って来たら連絡してくれるように、マニラベイホテルの部屋番号と渡辺社長がいなくなってしまった事などを丁寧に書き記した。もちろん自分の名前や会社の連絡先も忘れなかった。
 二人はいったんホテルに戻ることにした。何故なら。次に調べる先はお金を振り込んだ先だったからだ。慎重に調べなくてはならない。佐藤は相手が警戒して何も話さないことを恐れた。だから時間をかけて、それも遠まわしに調べていくことにしたのだった。確かに、会社からお金がその芳子とかいう口座に渡されている。芳子という人物は必ず渡辺社長のことを知っているはずだから、ただその芳子が社長の味方なのか敵なのかが分からない以上、行動は慎重にならざるをえなかった。ホテルに戻ると田口はおもわず溜め息をもらした。暑さと日本とはまったく違った雑踏の為なのか、まるでこの世の終わりでもあるかのようにぐったりとしていた。ソファーにどっかりと座って、押し黙ったまま動こうとしない。佐藤は田口のことをまだまだ若いとおもった。まあ、あまりいっぺんに色々な事を同時にしない方がうまくいくこともある。佐藤は今日のところは行方不明になった渡辺社長の捜査はこの辺で止めることにした。
「田口、今日はもう仕事は終わりだ。明日、また出直しだな。今日はまたのんびりしよう。悪いが今日も外出はひかえてくれるか。」
「ご心配なく、僕はこのホテルがとても気に入りましたから、別に外のゴミゴミした世界に行かなくても大丈夫ですよ。」
 田口はそう言うと、さっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。少しあっけにとられてしまった佐藤だったが、ラウンジのテーブルに一人で座って明日からの計画を慎重に練ることにした。すべてが絵に描いた餅にならないように、十分に注意して、明日からの行動計画をたてることにした。佐藤はまだ独身であり、何も失うものはなかった。だが部下の田口も同じ独身だからといって、彼を危険な目に合わせるわけにはいかない。彼には本社との連絡係を頼んで、明日は自分ひとりで動こうと決めた。佐藤は月曜日の朝に会社には電話をすればいいとおもっていたのだが、何か嫌な胸騒ぎがして、ホテルの電話ボックスに入り、直接、専務の吉田に電話を入れてみた。すると、吉田から興奮した口調でもって言葉が返ってきた。
「佐藤君か、良かった。やっと連絡してきてくれたね。いや、君たちが旅立った直後に身代金を要求する電話が本社に入ったんだ。社長は誘拐されている。それで、どうも日本人が犯人グループにはいるようだ。身代金を要求してきたのは日本人だったからな。ただ、身代金の受け渡し方法を後でまた連絡すると言ってから、その後、何も言ってこんのだよ。それで、今、どこのホテルにいる?」
「マニラベイホテルです。そうですか、やはり社長は誘拐されていたのですか。それでは、今後は専務の指示に従いますのでよろしくお願いします。」
「兎に角、犯人グループからの連絡を待つことにしよう。しばらく、そのホテルから動くな!いいな!」
「分かりました。それでは専務からの連絡をお待ちします。」
 佐藤はホテルの最上階にあるカクテルラウンジに移り、バーボンを注文した。自分の部屋とは反対側にあるラウンジからの景色は大きな公園でガイドブックを開いて調べてみると、その公園はルネタ公園(リサール公園)であることがわかった。実に、大きな公園で上から眺めているだけでも何かホッとする空間で、とても気持ちが落ち着いてくる自分を佐藤は感じていた。そう、公園とはそういうものだ。それでなくてはいけないと佐藤はおもった。
 佐藤は部屋に戻って眠る前に、フロントへ寄って、ボンボンから連絡が入っていないかどうか訊ねてみた。連絡はなかった。フロントのカウンターから振り返り、エレベーターの方へ行こうとした時、フロントの奥にいた別の女の子が佐藤の背中に声をかけた。
「アー、ミスター佐藤、さきほど、あなたにお電話がありました。日本人のようでした。」
佐藤は慌ててフロントへ引き返し言った。
「それは日本からの国際電話でしたか?」
「いいえ、ローカルラインでした。間違いありません。海外からの電話は音が違いますからね、あれは確かに国内の回線でした。」
 現地の日本人か、・・・・・いったい誰だ。何故、俺がここにいることを知っているのだ。
「それで、メッセージは何かありましたか?」
 電話を受けたフロントの子はすまなさそうに答えた。
「それが、また後で電話をすると言って、すぐにお切りになられましたので、メッセージはありませんでした。」
「そう、ありがとう。もしまたかかってきたら、部屋につないで下さい。今日はもう部屋にずっといますから、深夜遅くでもかまいませんから。お願いします。」
 部屋に戻った佐藤はその電話の主が誰なのかを考え続けていた。大使館からの電話はこの時間では不自然であり、たとえ、そうだとしても、もっと偉そうにコメントを残すはずである。ボンボンとか言う留学生が連絡してきた可能性が一番高いような気がした。しかし日本人だとフロントの子は言っていた。他にはいっこうに佐藤には思い当たるふしはなかった。後は専務の吉田が言っていたが、誘拐犯人グループの中に日本人がいるらしい、でも、どうしてこのホテルに自分がいることを知っているのだ。不思議だ。
ベッドに備え付けてあるデジタルアラーム時計の数字はすでに深夜の23時を回っていた。もう今夜は電話はかかってこないだろうと佐藤がおもったその瞬間、チリチリチリと壊れかけの目覚まし時計ように電話器がなった。佐藤は慌てて受話器を取ると、フロントからだった。電話が入っているがどうするかと聞いてきた。もちろん答えはイェスである。
「つないでくれ。」
 ちょっと間が空いてから、今までに聞いたことのない日本人の声が返ってきた。
「もしもし、佐藤さんですか。」
 何故だ、どうして自分の名前を知っているのだ?佐藤は警戒をしながら日本語で返事を返した。
「はい、佐藤ですが。」
「佐藤さん、渡辺社長をお捜しだそうで。」
「ええ、その通りです。でもどうして、それをご存知なのですか?失礼ですが、あなたはいったい誰ですか。」
 佐藤は間違いなく渡辺社長を誘拐した犯人だとおもった。しばらく重たい空気が流れた。電話の主はさっそく本題を切り出してきた。
「もしもし、佐藤さん、私はあなたが捜している渡辺社長の居場所を知っていますよ。」
 佐藤は黙ったまま、次の言葉を待った。
「佐藤さん、社長はマニラにはいませんよ。私たちがあずかっています。社長のお金は・・・・・・・・・。」
「もしもし、もしもし。」
 そこで、突然、電話は切れてしまった。
 佐藤は電話が切れると、すぐにフロントへ連絡した。
「ああ、フロントですか。佐藤ですが、警察にすぐに連絡をお願いします。間違いない。これは誘拐事件です。犯人からまた連絡が入る前に逆探知の準備をした方がいいとおもいます。兎に角、大至急だ。誘拐されたのは私どもの社長で渡辺と申します。今、身代金のことをにおわす電話が入ったと警察に連絡して下さい。それから、この電話から日本にかけることができますか?そう、ではいったん切りますから。すぐに日本につないで下さい。」
 佐藤は専務の吉田に犯人らしき日本人からホテルに電話があったことを伝えた。そしてこちらの警察に届けを出したことも伝えた。受話器を置くと、自分の部屋を出て、隣の田口の部屋のドアを荒々しくノックした。なかなか出てこないのでもう一度叩いた。
「おい、田口。起きろ、俺だ、佐藤だ。早くここを開けろ!」
 田口には気の毒だが、緊急事態だから仕方がない。佐藤はドアをノックし続けた。しばらくすると、怪訝そうな顔で田口がドアを少しだけ開けた。チェーンは付いたままであった。佐藤は瞬時に田口が一人ではないことを見抜いていた。しかし、そのことにはふれずに言った。
「社長はやはり誘拐されていたよ。今しがた犯人とおもわれる人物から電話があった。本社の方にも身代金を要求する電話が入ったそうだ。我々はこれからマニラの警察に社長の救出を依頼する。もうまもなくすると警察がやって来るから、着替えて俺の部屋に来てくれ。いいな。」
「はい、分かりました。すぐに参ります。」
 田口はドアを閉めて、ロックをかけた。しょうがない奴だなと佐藤はおもったが、今はそれどころではなかった。佐藤も自分の部屋に戻って静かに警察の到着を待つことにした。

 連絡を受けたマニラ東警察署では、また日本人がらみの事件が起きたことに衝撃が走った。日本人の大手商社マン誘拐事件、マニラ湾保険金目当て殺人事件と、このところ、立て続けに日本人が関係した事件が起こっていたから、警察署の誰もが嫌な気分になった。そして渡辺社長の捜索願も正樹と高瀬青年によって出されていたから、この誘拐事件は署長が自ら陣頭指揮にあたることになった。昨日から調書の整理をしていて署に残っていた署長は大声で宿直の警察官たちに指示を出した。
「おい、逆探知の装置一式を車にのせるのを忘れるなよ!犯人に気づかれないように、制服はやめて、私服で行くからな。」
 署長は自分も着替えながらおもった。
やれやれ、また日本人か、まったくいい加減にしてくれないかな。本当に嫌になるぜ。それでなくとも忙しいのに、まったく幾つ体があっても足りないぜ。もう、日本人がらみの事件はうんざりだよ。


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