20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第51回   呼び寄された大切な人
呼び寄せられた大切な人

 どうすることも出来ない状況や、失意のどん底にあった者がこのボラカイ島のやさしさに触れると、誰でも皆、ボラカイ島の虜になってしまう。それはそうなった者にしか感じることが出来ない不思議な現象だ。魔法といった方が正しいのかもしれない。高瀬青年もボラカイ島へ来て救われたのだった。マニラへ来てから彼に次から次へと降り掛かってきた災難、その不幸の連続からやっと解き放たれたのは、ボラカイ島に来て心の安らぎを得た時だった。もし正樹にあの時、出会わなければ、そしてボラカイ島のことを知らなければ、まだ地獄をさ迷い歩いていただろう。ボラカイ島は島に来るすべての人々に安らぎと休息を与えるだけでなく、生きている喜びや、強く生き抜く力を与えてくれる。傷つけられたり、迫害されたりして、誰かを恨む事でずっと生き続けてきた人々や、復讐、報復、仕返しを絶えず繰り返してきた人々にも、それらすべてがいかにちっぽけな行為であり、取るに足らない事であるかをこのボラカイ島は圧倒的な美しさでもって教えてくれるのである。そして時として、ボラカイ島は奇跡を起こしてまで、島にとって大切な人を呼び寄せることもあるのだ。
高瀬は日比混血児たちと生活を共にするうちに、日本で自分の為だけに生きてきた時のあの空しさが、この島の生活にはないことに気づき始めていた。そして全財産を奪って消えてしまった渡辺社長へ対する憎しみも次第にくだらないことだとおもうようになってきていた。自分の敵を許すことが出来ない者には天国の扉は開かれないと正樹が話してくれた。何も天国へ行くことが目的ではない。今をどう生きるか、どうやったら幸せになれるのかを天国を引き合いに出して話してくれただけだ。この美しいボラカイ島の中で親からも社会からも見捨てられた子供たちが生き生きと生活している様子を見ていて、子供たちひとりひとりの生きる力の強さを感じることが出来るようになった。

 大型客船が沈没したという知らせはボラカイ島の役場にも入った。海難事故の現場の潮の流れから、もしかするとボラカイ島にも漂流者が流れ着くかもしれないと連絡があり、島中のバランガイ・キャプテン(町内会のリーダー)たちが集められ説明があった。海岸線の巡回が強化され、緊急の特別救急体制がとられた。
 天候は強風が続いており、どのヤシの木も大きく揺らいでいた。今にも雨が降りそうな空が、この二三日続いていた。こんな悪天候では海は波も高いし、海に投げ出された人達は誰も助かりはしないというのが大方の見解だった。
 豪邸の娯楽室では外の天気などまったく気にもせずに茂木、ボンボン、高瀬、菊千代、そしてマニラから新しく日比混血児を連れて来ていた正樹の五人が雀卓を順番に囲んでいた。船の事故の事など、その時はまったく知らないままゲームに夢中になっていた。こちらの中国人街で手に入る麻雀牌は日本の牌よりもふた回りほど大きい。豪邸ではやたらとポンをする中国式の遊び方はせず、日本式の知的な麻雀ゲームを楽しんでいた。本の見開き二ページを丸暗記してしまうボンボンがトップを走っていた。やはり天才なのである。どこに何があるのかを一目で覚えてしまっているから強い。日本人の意地を見せようと茂木がそれに続いた。高瀬はまったく良いところがなかったが、彼も実に楽しそうにゲームをしていた。菊千代は大好きな茂木のことを殴った正樹のことが今でも嫌いらしく、明らかに正樹を狙い撃ちにしていた。皆、勝手なことで大声で叫び、ささいなことを大袈裟に喜び、隣近所にも気兼ねをする必要のない豪邸の麻雀を心から楽しんでいた。仲間と過ごす夜は本当に短い。窓から見えるボラカイの空は曇ってはいたが、それでも次第に明るくなりかかってきており、豪邸の裏庭で飼われている軍鶏たちも朝の刻を告げ始めていた。
 お手伝いのリンダはすでに朝食の準備にとりかかっていた。コーヒーを入れるためのお湯を沸かそうとしていた、その時である、リンダは犬たちが激しく吠え始めたのに気がついた。エプロンをつけたままの格好で、彼女は犬小屋の方へ走って行った。海への階段の途中に移された犬小屋から、リンダは恐る恐る下の浜を見てみた。砂浜に浮き輪と人が打ち上げられているのが目に飛び込んで来た。彼女は浜には降りずに、すぐ豪邸に引き返して、そのことを娯楽ルームにいた人々に伝えた。
 リンダの知らせで麻雀はもちろん中断された。その知らせは、そこにいた人々の眠気を一瞬で吹き飛ばしてしまった。一同、顔を見合わせてから、そろって外へ出た。夜はすでに明けており、強い雨が降り始めていた。そして足早に階段をおり、浜に出てみて、皆、びっくりしてしまった。茂木以外の誰もがよく知っている渡辺社長がそこに仰向けになって倒れていたからだ。これは正にボラカイ島の魔法以外の何ものでもなかった。ボラカイ島は奇跡を使って渡辺社長の巨体を浜に打ち上げさせたのだった。でもどうして渡辺社長がここにいるのだ?誰一人として、今起こっていることを説明できる者はいなかった。不思議な力が働かなければ、こんな偶然は有り得ないはずだ。そして、もう一つの魔力は社長にあんなにひどい目にあわされた高瀬にかかっていた。目の前に倒れている渡辺社長への憎しみがすでに心の中から完全に消えてなくなってしまっていた。正樹も浜に倒れている社長の顔を見て、ディーンにちょっかいを出し、ヨシオをあんなに痛めつけた社長への憎悪が自分の中から、もうすっかりなくなっていることに気がついた。騒ぎを聞きつけて駆け寄って来たヨシオもボラカイ島の暮らしが彼をすっかり変えてしまっていた。ヨシオは自分のことを殺そうとした渡辺社長への恨みをすでにボラカイの海に捨ててしまっていたようだ。それどころか、砂浜に倒れている社長に近寄り、社長の胸にヨシオは自分の耳を押し当てて、社長の心臓の鼓動を確かめた。次の瞬間、ヨシオは満面の笑顔で正樹に向かって叫んだ。
「兄貴、まだ生きていますよ!」
「そうか、それは良かった!兎に角、上へ運ばなければならないな。」
そこにいた男ども全員で渡辺社長の巨体を豪邸まで何とか運んだ。誰もが素直に社長が意識を取り戻すことを願ったのだった。ただ菊千代と千代菊の二人だけは、出来ればこのまま社長が眠り続けてくれれば良いのにとおもった。京都にいた時のことが、過ぎ去った過去が今の二人の幸せを壊すことを恐れたからだった。
浜に人が打ち上げられたという知らせを聞いて、バランガイのキャプテンが豪邸にすっ飛んできた。
「まだ、生きているそうですね。」
「ええ、渡辺社長は生きていますよ。外傷はないようですが、骨が折れている可能性はありますね。まあ、息はしっかりしているようですから、彼が気がついてみないことには何とも言えませんね。浮き輪に体を縛り付けてありましたよ。それで助かったみたいですね」
「そうですか。その方は日本人なんですね。それに渡辺?とかおっしゃいましたよね。何でその人の名前がお分かりなのですか?」
「偶然にも、彼は私たちの知り合いでした。それで、みんなで、とても驚いていたところなんです。」
「奇跡ですね。この悪天候の中を何日も漂流して助かることなんか考えられない!しかも、あなたたちの知り合いだったとは、奇跡としか言いようがない。驚きました。隣の島にも何人か打ち上げられましたが、みな、息はなかったそうですよ。日本人の女性も打ち上げられたそうですよ。」
「そうですか。日本人の女の人がね。その人の身元は分かるのでしょうかね?」
「さあ、私には何とも言えませんが。役所に行って聞いてみましょうか?」
「お願いします。渡辺社長と関係のある人かもしれませんからね。」
「しかし、何度も言うようだが、流れ着いた人が、あなたたちのお知り合いだったとはね、本当に驚きました。きっと、その渡辺さんとかいうお方は、将来、あなたたちにとって、うまく言えませんが、何か、とても重要な役割を担っているのに違いありませんよ!これは正にボラカイ島の奇跡ですよ。神様がそのお方をお助けになったのは、彼の役目がまだ終わっていないからで、過去にあなたたちと、どんなつながりがあったか知りませんが、ボラカイ島が奇跡を起こして、彼を呼び寄せたことは確かですね。」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7391