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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第48回   行方不明
行方不明

 さして広くない部屋に会議用のテーブルが置かれてある。ホワイトボードを背にする席に本来ならば渡辺社長が座るはずなのだが、社長はむろん欠席であった。何故なら、この日の会議のテーマは行方不明の渡辺社長についてであったからだ。京都にある渡辺電設の会議室には会社の役員全員と東南アジア各国の支店長が集まっていた。専務の吉田がこの日の議事進行役となって話を始めた。
「マニラを旅行中の社長から緊急の電話がありました。その電話を受けたのはこの私です。社長は強盗にあって何もかも盗られたと言っておられました。とにかく動きがとれないのでお金を送るように指示がありまして、その日のうちに指定された口座に送金しましたが、その後、社長とはまったく連絡がとれなくなってしまいました。送金が届いたのであれば、届いたとその旨を次の予定とともに連絡してくるはずですし、もし、お金が社長の手元に届かない場合は届かないがどうしたのだと連絡はくるはずです。ところがまったくの音沙汰なしになってしまいました。何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に高いとおもわれまして、今日は皆様にこうしてお集まりいただきました。」
 目をパチクリさせながら専務の吉田は本来ならば渡辺社長がつくべき席に緊張気味に腰を下ろした。渡辺社長は一代でこの渡辺電設を築いたワンマン社長だ。これまで何から何まで社長一人で決断し、好きなようにやってきた。そしてその影で女房役を辛抱強くやってきたのが、この専務の吉田だった。光を放つためには誰かが影にならなければならないのかもしれない。決して二人は仲が悪いわけではなかったが、吉田は仕事以外では社長とのつきあいは出来る限り避けてきた。人生観がまったく違っていたからだ。しかし、この二人のまったく違った性格がうまく調和して渡辺電設という会社を従業員百人、海外の者まで入れると千人を超える京都でも中堅の優良企業に育てあげたのだった。頭髪に白いものが混じる専務の吉田はテーブルに用意されたお茶を一口すすってから、ゆっくりとまた話し始めた。
「社長の居場所を捜す手がかりはほんのわずかです。社長が電話をかけてきた旅行社の電話番号とお金を振り込んだ口座の番号だけです。芳子という名前の口座に送金をしました。もう二週間以上も社長とは連絡がとれないものですから、これ以上、放って置くことは出来ません。警察に届けを出す前に、わが社としては誰かにマニラに飛んでもらって、調査したいとおもいますがどうでしょうか?」
「まずは、現地の日本大使館に問い合わせてみてはいかがでしょうか?パスポートまで盗られているわけですから、当然、大使館には顔を出しているはずですからね。」
 佐藤が真っ黒に日焼けした顔でそう言った。佐藤はタイ国に渡辺電設が初めて海外進出を果たした時の立役者で、現在はその合弁会社の顧問をしている人物だ。そして東南アジア方面の総責任者でもあった。専務の吉田が言った。
「マニラの日本大使館には一週間前にすでに電話をしてみました。その時はまだ、社長からパスポートの紛失届けは出されていませんでした。もしその後で、届けがあれば、大使館の連中にも事情は説明してありますから、こちらに連絡は来ることになっています。残念ながら、今のところ、社長は大使館へは姿を現していないようです。」
「そうですか。・・・・・専務!・・・私でよければ、マニラに行ってみましょうか?」
「佐藤君、そうしてくれるか。君なら、向こうの事情にも詳しいし、言葉にも問題がないからな。そうか、そうお願い出来るかね、有り難う。社長に成り代わってお礼を言います。」
 今までにも、しばしば渡辺社長は行方不明になったことがあったが、しかし、それは気のあった芸妓たちと一緒にどこかの温泉にしけ込んでしまったような、たわいのないものだった。今回の事態はちょっと深刻で、社長の失踪地が保険金目当ての殺人がつい先日起きたばかりの場所だったからだ。渡辺社長の道楽がどんなに過ぎても、こんなに長い間、会社に連絡を入れなかったことは今までに一度もなかった。社長の秘書的な立場にあった伊藤麻衣子が恐る恐る話し出した。
「先日、社長の部屋を整理していましたら、机の上の名刺入れから、フィリピンからの留学生だとおもわれる方の名刺をみつけましたが、今回の件と関係がありますでしょうか?」
 専務の吉田が伊藤麻衣子のことを見ながらこう言った。
「他にはフィリピン関係のものはなかったかね?社長はフィリピン商工会議所のメンバーだったはずだ。他にもまだフィリピン人の名刺はあるはずだが、調べてみたかね?」
 申し訳なさそうに伊藤麻衣子が答えた。
「それが、その、ボールペンでボンボンと走り書きがされた留学生の名刺が一枚出てきただけで、他には何も見つかりませんでした。」
「それで、その名刺の住所はどうなっている?日本の住所だけかね?」
「いえ、表と裏に印刷されていまして、表には東京の留学生会館の住所が、裏にはどうやらフィリピンの自宅の住所が書いてあるようですね。」
「伊藤君、その名刺をコピーして佐藤君に渡してくれたまえ。」
「ではさっそく、コピーしてまいります。」
「いや、後でも構わん、会議が終わってからでもいいから、間違いなく佐藤君に渡すように。いいね。」
「はい、承知しました。」
 会議室の正面には渡辺社長の大きな写真が掛けられていて、写真の社長は澄ました表情で部屋中を見回していた。専務の吉田はその写真にちらりと視線を向けた後、再び、佐藤に向かって話し出した。
「マニラに行ったら、すまんがその名刺の留学生の所にも行ってみてくれんか。この際、社長とつながりのありそうな場所は全部あたることにしよう。他に、諸君の中で社長からフィリピンのことで何か聞いたことがあったら、遠慮せずに言ったくれたまえ。何か社長は言ってなかったかね。」
 何で社長の遊びの後始末を自分たちがしなくてはならないのか、というのが皆の率直な感想だったが、誰もその事には触れなかった。佐藤が再び立ち上がって話し始めた。佐藤の知的な顔は表情が豊かで、とても魅力的だ。細やかな感情の持ち主で思いやりのある目も彼をなかなかの人物に押し上げていた。佐藤が発言した。
「大使館やイミグレーションへも行ってみますが、現地の警察へは、最後の最後に、何も社長の消息がつかめなかった場合に行くことにします。本社との連絡は頻繁に行なうつもりです。もちろん自分の連絡先はいつでも分かるようにしたいとおもいます。それから、今回の件ですが、私はどうも何かの犯罪の臭いがしてなりません。もしお許しをいただけるのならば、部下の田口を同行させたいのですが、専務、いかがでしょうか?」
「もちろん、独りでは危険が伴う仕事だ。田口を連れて行ってくれたまえ。」
「有り難うございます。それでは出来るだけ早くマニラへ出発したいとおもいます。」
「そうしてくれ、頼んだぞ!すぐに伊藤君に座席の手配とか費用の準備をさせるから、会議の後、しばらく待っていてくれたまえ。」
 佐藤の献身的な決断のおかげで会議は予定よりも早く終わった。マニラへ渡辺社長を捜しに行くことが決まった佐藤は会社からの帰り道、京都の百万遍の近くの居酒屋「河原町」
に自然と足が向いてしまった。佐藤はこの店の常連客で、特にこの店の板さんとはとても馬があった。佐藤が「河原町」と書かれたのれんをくぐると、いつものようにカウンターの中で板さんが忙しく接客から調理まで独りで器用にこなしていた。佐藤は一年のうち半分をタイで過ごすが、残りの半分は本社のある京都で仕事をする。京都に居る時は勤めを終えると、決まって、この「河原町」に来て人生の潤滑油をたっぷりと注すのが彼の唯一の楽しみだった。
「いらっしゃい。今日はお一人で?」
「ああ、一人だ。明日からまたマニラへ出張だよ。しばらく、来れなくなるよ。」
「あれ?タイじゃなくて、今度はマニラですか?」
「ああ、そうだ。うちのバカ社長を捜しに行くんだよ。行方不明になっちまった。」
「マニラと言えば、テレビでやっていましたけれど、保険金殺人があったところですか?」
「ああそうだよ。うちの助平社長はそのマニラで行方知れずになっちまった。」
「身代金か何か、要求されてはいませんか?」
「ああ、今のところは何も連絡はないが、その可能性もあるね。まったく、つまらん仕事だよ。あきれて何も言えないよ。板さん、コップでいいから冷でいっぱい頼むよ。」
 席に着いた佐藤はメガネを外して、お絞りで顔を拭いてから言った。
「なあ、最近、おかみさんの姿をあまり見かけないけれど、具合でも悪いの?」
 換気扇の下でタバコに火をつけて一息入れようとしていた板さんが答えた。
「いや、そんなことはありませんよ。佐藤さんが帰られた後に来ることが多くなりましたが、体の方は健康そのものですよ。」
「そう、それなら良いけれどね。いやね、私にはさ、おかみさん、何か心配事でもあって、少し元気がないように見えたからね、前々から一度聞こうとおもっていたんだ。それとも誰かいい人でもできたのかな?ま、余計なことだな。」
「いえ、そんな人はおりませんよ。」
「そうそう、それからさ、そこの電話のところにいつも座るお客さん、以前は私がここに来ると、必ずやって来て、その電話のところに座って一人で飲んでいたお客さん、最近はとんと姿を見せないけれど、引越しでもしちゃったのかな?」
「ああ、茂木さんのことですか。そうなんですよ。佐藤さんも気づいていましたか、茂木さんは昔からのおなじみさんで、京都に居る時は佐藤さんと同じで、毎晩のようにいらっしゃってましたからね。それが突然、何の連絡もなく、バッタリですからね。おかみさんも茂木さんのことは随分と心配していますよ。前は長野の戸隠の方へはよく旅行をされていたようですが、でもその時は、いつもそう言ってから出かけて行きましたからね、今回は何も言わずにですからね。そうか、・・・・・そう言われてみると、・・・・・・おかみさん、茂木さんが顔を見せなくなってから、急に元気がなくなってしまったような気もするな。まあ、あっしの気のせいかもしれませんがね。」
「その茂木さんはおかみさんにとっては、何か、特別なお人なんじゃないの?僕はまだ彼とは話をしたことはありませんがね、ただ、昼間に彼と街ですれ違う時は軽く会釈ぐらいはしますよ。何と言いますかね、同じ店の常連客同士ですからね。いくらなんでも、知らん振りをして通り過ぎることは出来ないでしょう。」
 板さんは大皿におでんを大盛りに見繕って佐藤の前に出した。
「佐藤さんにそう言われてみると、茂木さんが来なくなってから、確かに、おかみさんの様子も変わったような気がするな。いつもそばにいると気がつかないこともありますからね。ああ、確かに、おかみさんは口数が少なくなったような気もする。」
「その茂木さんとか言う人、彼がそこの電話の横でじっと黙って酒を飲む姿がとてもいいんだな!男の哀愁がにじみ出ていてさ、大酒飲みの僕が言うのもおかしいがね、黙ってカウンターの片隅で飲むその姿に少し憧れていたんだな。分かるよね、板さんなら、色々な客を見てきているんだから。寂しいね、彼がそこにいないとさ。本当にどうしたんだろうね。・・・・・・・・彼も行方不明か、どうも行方不明が、この頃、やたらと多いな!」
「茂木さんはすぐそこの大学の学者さんですよ。」
「そう、学校の先生か。」
「いいえ、違いますよ。先生ではなくて、まだ学生さんですよ。」
「おいおい、随分と老けた学生さんだな!」
「何度も浪人してお入りになりましたから、それに度々、休学もされていましたからね。まだ大学院の学生さんだそうですよ。」
「彼の専攻は何かね?何を勉強しているのかな?」
「哲学だそうですよ。」
「そう、哲学ね。僕にはさっぱり分からない世界だな。でも、彼はさ、この店の一部のような気がしてさ、この店にはなくてはならない存在のようにおもえて仕方がないな!実に様になっていると言うか、この店の雰囲気とぴったりと合っている感じだよ。」
 冷やで何杯も続けて飲んだ佐藤はいつもより早く酔っ払ってしまった。そこへおかみがガラガラと引き戸を開けて入って来た。
「あら、佐藤さん、いらっしゃい。」
「ああー、おかみさんか、今、うわさをしていたところだよ。」
「何、佐藤さん、もう、すっかり出来上がってしまっているじゃないの。もう駄目よ!これ以上、飲んだら!」
「分かりました。なー、おかみさん、いいですか、止まない嵐はないのですからね。人生、悪いことばかりは続かないものですよ。分かりますか?元気出して、お互い、頑張りましょう。」
「なあーに、それ、まるで哲学者みたいなことを言うのね。」
 板さんが女将に言った。
「佐藤さんはまた外国に出張だそうですよ。今度はマニラだとか。」
「あれ、タイじゃなかったの、今度はマニラなんですか?」
「そう、またしばらく来れませんが、茂木さんのように私のことも忘れないで下さいね。」
 茂木の名前を聞いて、おかみの顔が曇ってしまった。板さんが慌てて間に入って言った。
「佐藤さん、いつ、マニラへご出発と言いましたっけ?」
「ええと・・・、ええーと・・・、まだ言ってなかったとおもうけれど、明日です。明日、出発します。行方不明の社長を捜しにマニラへ行ってまいります。」
 行方不明と聞き、おかみは奥へ引っ込んでしまった。茂木のことを心配していることはそれで明白であった。さすがに佐藤も失敗したと感じ、そそくさと居酒屋「河原町」を出て帰り道についた。後味の悪い夜だった。ふらふら歩きながら佐藤はおかみに申し訳ないことをしたと何度も反省した。少し、茂木と言う青年に嫉妬していたのかもしれないと佐藤は感じていた。
 翌日、佐藤は部下の田口と渡辺社長が消えてしまったフィリピンへと向かった。



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