20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第41回   サムライ魂
サムライ魂

 ヨシオの回復は早かった。また生きることに何か目的を見つけたようで、もうモンキーハウスでうずくまっていたヨシオとは完全に違っていた。何でこんなに幸せなんだ。ヨシオは小さな頭でそのことを考えていた。今まで食うことばかり考えていて、自分ひとりが食えればそれで良かった。自分を捨てた父親と同じ日本人を何人も騙して復讐しても、ちっとも幸せなんか感じたことはなかった。ところが兄貴に逢ってからは何かが変わってしまった。心から兄貴の為に何かをしたいとおもうようになってきていた。あまり難しいことは分からないけれど、日本のサムライが主君の為に死ぬことで生きる証を見つけたように、殺伐とした世界で生きてきた者たちは誰かの為に死ぬことで生きる道をさがすのかもしれない。そうなんだ、おいらの主君は兄貴なんだ。ヨシオは自分にもサムライの血が流れていると感じていた。「武士道とは死ぬここと見つけたり。」前に街の映画の看板か何かで見たことがあるその言葉をヨシオは勝手に自分なりに解釈していた。おいらもサムライになって兄貴の為に死ぬんだ。戦国時代や極道の世界、そしてマニラの混沌としたドロドロした世界には共通しているところが多々ある。人間はどうしようもない環境に置かれると、群れをなしてリーダーを選び、そのボスの為に自分自身を犠牲にすることを最高の美徳と考えるようになるようだ。だから悪いボスを選んでしまうとサムライ魂がどんなに崇高であったとしても、その死は無駄になってしまう。
 ウエンさんはヨシオの病室の直接の担当ではなかったが、手が空いた時はいつもヨシオの様子を見に来ていた。意識が無いと時も意識が戻ってからも、まるで自分の子供のように面倒をみていた。ウエンさんのやさしさはヨシオがすっかり忘れてしまっていた母親のやさしさだった。兄貴のような正樹、姉さんのような美人のディーン、ヨシオはもう独りぼっちではなかった。また生きる力がどんどん湧いてくるのを感じていた。そして、住み心地のよい病院から出る日がやって来てしまった。ヨシオは退院することになった。本当は退院なんかしたくはなかったのだ。このままずっと、このきれいな病院でやさしい人々に囲まれていたかった。でも兄貴が海に連れて行ってくれると言うから、ヨシオは退院する気になったのだ。どうしても心残りなのはウエンさんのことだ。母さんのようなウエンさんと離れるのがとても辛かった。ケソン市のアパートへは行かずに病院から直接、飛行場へ行くことになっていたので、しばらくはウエンさんには会えなくなってしまう。ヨシオはそのことだけが寂しかった。ヨシオが病院を出る時、正門のところでウエンさんはヨシオのことをぎゅっと抱きすくめた。ヨシオはみんなが見ているので少し恥ずかしかったが全身に伝わってくるウエンさんのあたたかな愛情を感じた。ホームレスの少年の退院にしてはとても豪華で多くの病院関係者がヨシオを見送るために玄関に集まった。その中に柱の陰からこっそりとカメラのシャッターを切る新聞記者のマークの姿もあった。正樹は見送りの人々に丁寧なお礼を言ってからヨシオと車に乗り込んだ。飛行場までの車の運転は親切にもウエンさんのボーイフレンドがやってくれることになった。ヨシオは車の窓からお世話になった人たちに手を振って別れを告げた。
 車は国内線のエアポートではなく民間が経営する小さな飛行場に向かっていた。小型機でボラカイの海の上に着水する方法を正樹は敢えて選んだのだった。正樹は海に飛行機が着水する時のヨシオの喜ぶ顔が見たかったのだ。マニラ市内の交通渋滞は激しく、ナンバープレートの末尾の番号が偶数か奇数かで隔日で市内への車の乗り入れを規制したり、朝と夕方などは八車線ある大通りなどでは交差点に警官が立ち、二車線と六車線というように反対車線にも車をどんどん回したが、一向に渋滞は解消されなかった。運悪く、この日も渋滞に正樹たちの車は巻き込まれてしまった。飛行機の出発の時間までに到着することは不可能な状態となってしまった。しかし正樹はまったく心配はしていなかった。何故なら、飛行機の乗客は正樹とヨシオの二人だけだったからだ。多少の時間の遅れはパイロットも計算にいれているだろうから正樹は安心していた。ところが車を運転しているウエンさんのボーイフレンドは何度もさっきから時計を見ながら冷や汗をかいていた。正樹は焦る必要はないので、安全運転をするようにと何度も後部座席から声をかけたが、彼は車を歩道に乗り上げたり、反対車線を走ったりと乱暴な運転を止めなかった。斜め前が少しでも空こうものなら、さっと車線を変更して平気で割り込んだ。割り込まれた後ろの車は当然クラクションを鳴らした。これで事故にならない方がおかしいくらいだ。もう一度大きな声で安全運転をするように怒鳴ったが、まったく乱暴な運転を止める気配すらなかった。運転手は何度も時計を気にしていた。急ぐ必要はないと説明しても変わらなかった。もしウエンさんの友達でなければ、車から引きずり降ろして張り倒していただろう。だいぶ後になってから分かったことだが、この運転手は耳が聞こえない障害者であった。何とか正樹たちを飛行機に乗せようと懸命に運転していただけだったのだ。
 飛行場に着くと、係りの者がすぐに二人を見つけてすっ飛んで来た。パイロットがしびれを切らせて待っているから、飛行機へそのまま急いで下さいと言われた。引っ張られるようにして飛行機へと案内された。途中、敷地内に幾つか飛行機が並んでいたが、どの飛行機もおんぼろで、どれ一つとしてまともなものはなかった。正樹はだんだんと不安になってきていた。やはり大きな飛行機にすればよかったと後悔し始めていた。ヨシオは初めての飛行機とあって、いささか緊張気味で口数も少なかった。正樹もこれから乗り込むであろう小型機を目の前にした時、違った意味で緊張感が走った。自分たちが乗る飛行機もさっき途中で見かけた飛行機とあまり変わらなかったからだ。
 座席に着くとパイロットが後ろを振り返り、挨拶代わりにロープを指差して、それで座席に体を括り付けるようにと指示を出した。シートベルトが壊れていたからだ。正樹は乗り込んだらすぐにパイロットに自分たちの遅延を謝罪するつもりだったが、あまりの恐怖の為に言いそびれてしまった。小型機はすぐに動き出した。まだヨシオのことをそのロープで縛っているというのに、おかまいなしである。機体はガタガタと大きな音を立てながら滑走路に向かって動き始めた。確かに飛行機は空を飛ぶ為のものだが、地上を走る時にこんなにも音を立てていいものかどうか、正樹には幾つものボルトが外れているような気がしてならなかった。あっという間に離陸準備が終了してしまった。正樹も急いでロープで体を固定した。ディーンのお祈りの教本を借りてくればよかったと正樹は心底そうおもった。
「ヨシオ、お前、お祈りの仕方を知っているか。もし知っていたら、俺たちが無事にボラカイ島に着けるように祈ってはくれんか。」
「兄貴、お祈りなんか知らないよ。何だか、兄貴、飛行機は恐いな。」
 パイロットがまた振り返ってニヤリと笑った。正樹はその表情がまるで占いのタロットカードに出てくる死神のように見えてしまった。飛行機はかなり長い間、全力疾走してやっと空に舞い上がった。離陸するとあのガタガタする音は消えていたが、今度は風が機体の隙間からビュービューと音を立てて襲ってきた。正樹はあまり死神が調子に乗って高度を上げないことを願った。
「兄貴、海に行くのに飛行機に乗るなんて、やっぱり兄貴は凄いぜ!やることがでかいや。おいらは飛行機なんて絶対に乗れないとおもっていたからね。少し恐いけど、感激だぜ。」
「ヨシオ、空の上から見るボラカイ島がまたきれいなんだ。ひょうたん形をしていてな、島中に白い砂浜がたくさんあるんだ。その中でもホワイトサンドビーチはでかいぞ。四キロメートルも白い砂浜が続いている。」
「兄貴の話を聞いているだけで、とても幸せな気分になってくるぜ。やっぱり兄貴は天使様だぜ。」
「ヨシオ、お前、日本語を覚えたくはないか。お前の父さんの言葉だ。」
「うん、覚えたいよ。別に父さんの言葉だから覚えたいんじゃないさ。日本人とまともに喋れればお金が儲かるからな。だから覚えたいんだ。」
「それじゃあ、お前が日本語が出来るようにしてやるよ。」
「兄貴が教えてくれるのか。そいつはありがたいや。」
「違う、俺じゃない。ちゃんとした先生がボラカイ島にいるんだ。すごく立派な人だよ。俺が尊敬する人だよ。」
「でも、おいらは兄貴がいいや。その人がどんなに偉い人でも関係ないな、おいらは兄貴から教わりたいんだ。」
 正樹は話を急ぐことを止めた。話題を切り替えた。ヨシオとボラカイ島へ行く本当の理由はまだ言わないほうが良いと判断したからだ。ヨシオが聞いてきた。
「お姉ちゃんは何で一緒に来なかったんだ。兄貴たちはいつも一緒だっただろうが。」
 ヨシオは正樹のことを兄貴、ディーンのことをお姉ちゃんと呼ぶようになっていた。
「ディーンは学校があるからな。勉強することは大切な事だからな。だから来れなかった。」
「おいらは学校なんか一度も行ったことはないよ。稼ぐのに忙しくて、そんな時間はなかったからな。」
「でも、ヨシオは学校へは行きたかったか?」
「そりゃあ、行きたかったさ。」
 しめたと正樹は心の中で呟いた。学校へ行きたくても行けなかったという辛さにずっとヨシオは耐えてきたんだ。正樹は学校の敷地の中で同じ年代の子供たちがきゃあきゃあ遊んでいる様子を横目で見て生きてきたヨシオの気持ちが分かるような気がした。
「ヨシオ、大きくなったら、何になりたい?」
「おいらは兄貴の手伝いがしたい。」
「それはありがたいな。」
「おいらは兄貴の為に死ぬ覚悟はもう出来ているよ。兄貴の言うことなら何でもやるつもりだよ。」
「それは嬉しいな。俺がアフリカへ行くと言ってもついてくるか?」
「ああ、もちろんだよ。どこへでも行くよ。兄貴はおいらの将軍さんだからな。」
「お前、まるでサムライみたいなことを言うな。ヨシオにはやはり俺と同じ日本人の血が流れているようだな。」
「そうだよ。おいらの先祖はサムライさ。だからおいらは兄貴にどこまでもついていくよ。兄貴のそばがいい。」
 正樹はまずいなとおもった。これではボラカイ島にヨシオ独りをおいて自分だけマニラに帰れるかどうか心配になってきた。ボラカイ島の青い空と青い海、そして茂木さんの豪邸がヨシオの興味をどれだけ引き付けてくれるのかが頼みだ。ヨシオがボラカイ島を好きになってくれることを正樹は願った。マニラからボラカイ島までの飛行時間はあっと言う間だ。すでに機体は高度を徐々に下げ始めていた。
「ヨシオ、下を見ろ。あの島がボラカイ島だ。」
「うわー、何ってきれいな所なんだろう。兄貴、やっぱりあそこは天国だよ。」
「天国になるか、地獄になるかはお前の心がけ次第だよ。ヨシオ、いいか、どんなに素晴らしい所にいても、そこの良さが分からない奴にはいつまで経っても分からないものだ。どんなにひどい環境にいても、そこの良さを見つけ出して立派に生きている者もいる。大切なことはな、どこにいても悪い事だけに目を向けるのではなく、小さなことでもいいんだ、そこの良さを発見しながら一生懸命に生きることが大切なんだ。人間関係にしても同じだ。相手の欠点ばかりを見ていてはいけない。相手の良いところを見つけるようにすれば必ずうまくいくもんだ。」
「兄貴は哲学者か?」
「いや、違う。でもお前に茂木さんという本物の哲学者を紹介してやるからな。ヨシオ、あの岬を見てみろ。見えるか?あそこだ。」
「ああ、見えるよ。でかい家があるぞ。」
「あそこに俺たちはこれから行くんだ。」
「本当かよ、そりゃあ、すげえや!さっきまで居た病院のベッドがおいらにとっては最高の場所だったのに、今度はあんなすげえ家に泊まるのかよ。仲間に話したらぶったまげるぜ!どうなっちまったんだ、おいらは。やっぱり夢でも見ているのかな。」
 飛行機は急降下し始めた。また死神が後ろを振り向きニヤリと笑った。そして次の瞬間、機体はボラカイの海に斜めに着水した。激しい揺れと衝撃が全身に走った。歯がガタガタぶつかりあって危うく舌を噛むところだった。もう二度と、この飛行機には乗るまいと正樹は心に誓った。こんな体験は一度でたくさんであった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 7349