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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第4回   ルネタ公園
ルネタ公園

 ケソン市はマニラ市の東に位置する広大な計画都市だ。現在のメトロ・マニラに統合移行されるまではフィリピンの首都だった。政府の省庁や大学、他にもさまざまな文化施設が建てられ、実に整然とした町並みでマニラ市の雑然としたイメージとはかなりかけ離れていた。ボンボンたちはサンチャゴ通りとオヘダ通りに小さなアパートを二つ借りていた。典型的な庶民のアパートで二階に二つの寝室、そして中央に階段があり、階段を下りてくると右にキッチン兼ダイニングがある。その奥に二つ扉があり、一つはトイレ付のシャワー・ルーム、もう一つの網戸を開けるとコンクリート塀に囲まれた小さな洗濯場がある。階段の反対側にはソファーとテレビが置かれ、入り口に接するようにリビングがある。だから入り口から入るとすぐリビングになり、階段が中央で一階の空間を斜めに仕切っている。階段の向こう側に大きな丸いテーブルが見えて、そこがダイニング兼キッチンである。奥のトイレがあるシャワー・ルームや洗濯場へ出る扉が入り口からすべて見渡せるのである。ボンボンはマニラの生まれではない。マヨン火山の麓のビコール地方の出身で、このアパートのメンバーもほとんどが同じビコール地方の出身者であった。勤めている者もいれば、学生もいる。大学の教授をしているボンボンの姉さんを頼って大都会マニラに出てきた若者の集団であった。サンチャゴのアパートはボンボンが借り、オヘダのアパートはボンボンの姉さんが借りていた。二つのアパートは距離にして二十メートル位しか離れていない。お世辞にもきれいとは言えないこの二つのアパートでたくさんの若い男女が助け合って共同生活を送っていた。東京での新聞屋のたこ部屋暮らしや北海道での厳しい一人暮らしをしてきた正樹にとって、このアパートのにぎやかで底抜けに明るい若者たちの共同生活は大きなカルチャー・ショックであった。そして一夜が明けて、美人三姉妹に加えてかわいらしいお手伝いさんが二人もいることに正樹は気づいた。他のメンバーたちもそうだが、この二人のお手伝いさんたちはとびっきりの笑顔と気遣いでもって正樹の世話をしてくれた。今回の旅行がたった一週間であることを正樹はすでに悔やみ始めていた。安い航空券は変更がきかないのが難点である。ボンボンは忙しい人だから予定通りに日本に帰るみたいだ。しかし正樹は安いチケットは捨てて、また新しく購入してもいいから、自分一人だけここに残ることを考え始めていた。でも初めてのマニラ空港、魑魅魍魎が住んでいるような悪名高きあの場所を言葉もろくに話せない自分がうまく通り抜けて日本に帰国することが出来るのだろうか。それを考えてしまうと期間の延長はありえなかった。
 ボンボンは故郷のビコールに帰る準備に入っていて、正樹のことはすでに三姉妹に任せてしまった様子だった。そうそう、いい忘れたが、この三姉妹はボンボンのいとこにあたるらしい。言われる前から兄弟ではないことは分かっていた。ボンボンの独特な顔と違って三人ともきれい過ぎるからだ。

 初日は長女のウエンさんが案内してくれることになった。とにかく優しい、何もかもだ。声もしぐさも性格もあたたかくてよく気が利く。そばにいるだけですべてのものが明るくなってくる。こんなに安心できる美しい人がこの世の中にいて良いのだろうかと言いたくなってしまう。病院に勤めているらしいのだが、せっかくの休みにもかかわらず正樹の為に案内をしてくれるという。正樹は日本では女性と二人きりで歩いたことなどは一度もなかった。だから出かける前から正樹の足は完全に宙に浮いていた。遅い朝食を済ませてから、ウエンさんとバス通りに出た。手を引かれるようにしてバスに飛び乗った。二人はマニラ市の中心にあるリサール公園に向かった。地元の人たちはこの公園のことをルネタ公園と呼んでとても愛しているそうである。60ヘクタールもの広大な市民の憩いの場所だ。正樹はウエンさんとバスに隣り合わせで揺られているだけでもとても幸せだった。もう少しこのままバスに揺られていたいという正樹の願いも空しく、バスはルネタ公園に到着した。
 ルネタ公園の敷地内には噴水や中国庭園、それに頓珍漢な日本庭園もあった。その庭園を造った人たちには本当に申し訳ないのだが、どこから見ても日本の庭園には見えないのである。だから、頓珍漢と言わせてもらった。コンサート会場やプラネタリウム、そして緑がとても豊かで、正樹が名前を知らない植物で溢れていた。広大な芝生と樹木の間には博物館や役所なども幾つも涼しげに建っていた。公園の中央にはこの国を訪ねた外国からの要人たちが献花をするリサール記念像がある。二十四時間、二人の兵士によって守られている。日本の歴代の首相たちもこの像に大きな花輪を捧げている。正樹たちはそこの警備兵の動きを見ることにした。まったく表情を変えずにじっと鉄砲を肩に抱えてリサール像の下に立っている。ウエンさんにTシャツの袖を引っ張られて裏側に回りこんだ。しばらくすると像の前で警備をしていた兵隊が足を大きく上げて動き出した。ゼンマイ仕掛けのお人形さんのように歩き、ゆっくりと像のうしろに回り込み、もうひとりの警備兵と交代した。そして休憩に入った兵隊はポケットからやおら煙草を取り出して実にうまそうに一服するのであった。正樹はその様子を飽きもせずにながめていた。その後も、何か困ったことがあるといつもここに来て、兵隊たちを見るのが正樹は好きだった。リサール記念像の周りではアベックが芝生で語らい、家族連れが弁当をひろげている。どんなに貧しい者が来ても、この公園は誰も差別をしない。あたたかく万民を包み込み、やさしく迎えてくれるのである。正樹はあまり意識したことはなかったが、公園とはこういう場所のことをいうのだとおもった。ルネタ公園は最高に素晴らしい公園である。公園の中央にある一等地にウエイターやウエイトレス、料理人もそこで働く者すべてが障害者だけのカフェがある。たぶん国営のカフェだとおもうのだが、注文も身振り手振りで、あるいは紙に書いたり指差したりする。正樹はここで働く障害者の顔を注意して観て見た。皆、生き生きとしていて気持ちが良さそうであった。ない方よりはあった方が良い。ただ、ここで働いている障害者たちはほんの一握りの恵まれた者たちであって、何か政府の広告塔に利用されているような気がしてならなかった。大都会マニラには人知れぬ場所で障害をもって苦しんでいる人々が大勢いることは疑う余地はなかった。正樹とウエンさんはこのカフェで昼食をとることにした。鈴を鳴らすような声でウエンさんが言った。
「マサキ、兄弟は何人いるの?」
「兄さんと妹がいます。三人兄弟です。」
「お父さんとお母さんはお元気ですか?」
「ええ、二人とも元気です。」
 正樹の英語力ではまだこんな会話くらいしか出来ない。何ともぎごちないやりとりだが、それでも正樹はとても幸せだった。
「ウエンさんは看護婦さんですか?」
「ええ、病院のレントゲン科で仕事をしています。今度、あたしの病院にも連れて行ってあげますね。」
「ええ、ぜひお願いします。」
あとは二人で何を話したのかをよく思い出せない。それほど正樹はドキドキしていた。公園の歩道をさらに行くとマニラ湾に出た。緑と白のコントラストが美しいスペイン様式のホテルを横に見て、二人はマニラ湾の土手に腰を下ろしたが、その堤防は日光でとても熱く、日差しも更に強さを増していた。午後の三時では当たり前の話である。ウエンさんはパラソルをさしていたが、彼女のTシャツには薄っすらと汗がにじんでいた。同時にほのかな良い香水の香りもしていた。普通ならば、こんな炎天下には女の人は日焼けを嫌って歩かないものだ。案内とは言え、その優しさに再び感激する正樹であった。思い出したようにウエンさんが言った。
「良いところを知っているわ。いつも風が吹いているのよ。海からの風ね。ねえ、行ってみましょうか。すぐ近くだから。」
 彼女が案内してくれた場所はマニラ湾の納涼船の桟橋だった。桟橋と言っても木材でできた簡単なもので、海に突き出たその桟橋には幾つもテーブルが並べられて、簡易レストランとしても利用されていた。確かに涼しい。マニラ湾を一望出来る秘密のこの場所をいつか親しい人すべてに教えてあげようと正樹はおもった。有名なマニラ湾の夕日もこの場所からならよく見ることが出来る。屋根も付いているので雨に濡れる心配もない。日が暮れると、屋根の内側に豆電球が灯り、薄暗いがその光は簡易レストランを豪華なレストランに変えていた。ああ、来て良かった。正樹はウエンさんとずっとこうして夜の海を眺めていたかった。しかし明日の朝早くから病院の仕事があるウエンさんをこれ以上自分の観光案内に付き合わせるわけにはいかなかった。歩き疲れているウエンさんの為に帰りは奮発してタクシーをひろった。マニラ市内の交通渋滞も騒音も正樹には関係なかった。このままどこまでも二人を乗せた車が走り続ければ良いのにと正樹はおもった。
 アパートに帰り夕食をとりながら正樹はボンボンの姉さんと話をした。彼女はまだ独身である。小さな弟や妹の面倒をみるのに忙しくて、まだ良い人に巡り会っていなかった。あるいは自らを兄弟の為に犠牲にしてきたのかもしれない。天才ボンボンの姉さんはその当時は大学で統計学を教えていたが、後に国連の職員になるほどのやはり秀才であった。フィリピンにある大学はフィリピン大学とその他の残りの大学と言われるくらい、国立のフィリピン大学が抜きに出ていて、他の私立の大学とかなりの格差がある。ボンボンもボンボンの姉さんもそのフィリピン大学を出ている。仕事で疲れているのにもかかわらず、ボンボンの姉さんは言った。
「正樹、これから映画を観に行きましょうか。あたしは昼間は仕事だから、こんな時間にしか、正樹の案内が出来ないから、ね、行きましょう。」
「疲れているのに、いいんですか?」
「午後九時が最終だから、まだまだ十分に間に合います。ねえ、行きましょうよ。」
「ええ、もちろん、喜んで。」
 話を聞きつけてアパートの学生たちも全員がお供をすることになった。ボンボンの姉さんのおごりだからである。これだけの人数の映画代だけでもたいへんである。正樹は自分が映画代を出すと言ったが、きっぱりと断られてしまった。この国の庶民の娯楽は映画だ。新しいアメリカ映画などは日本よりも早くに上映されるし、どの映画館もとても大きくて涼しい。その数も半端ではない。町中にはいたるところに手描きの映画の宣伝看板が掛けられている。職の少ないこの国では、そんなペンキで描かれた映画の看板によっても多くの人々が糧を得ているのだろう。
 正樹たちはクバオと言う繁華街にある映画館に到着した。最終回の直前に席につくことが出来た。すると場内にはドラムの音が鳴り響き、スクリーンにはさっき見てきたルネタ公園のリサール記念像が国旗とともに写し出された。全員が起立し始めたので正樹も遅れて立った。ゆっくりとフィリピンの国歌が流れてきた。胸に手を当てて歌っている者もいれば、じっと目をつぶって聴いている者もいた。毎日の最初と最後の上映の前にはどこの映画館でもスクリーンに号令とともに鼓笛隊が現れて国歌を演奏する。こうやって愛国心が自然と身についていくのだろう。いかにもアメリカ的なフィリピンの一面である。クバオと言う繁華街も計画的に造られた地区で映画館やスーパーなどが幾つも並んでいる。ただ深夜の零時前には人並みは消えうせてしまう。当時は夜間外出禁止令が出されており、戒厳令下にあったからだ。マルコス大統領が好き勝手なことをやっていた時代である。それでも国民はまだ彼に大きな期待を寄せていた。反日感情はほとんどなくなり、マルコス大統領も日本との関係を重視していたから、さまざまな政策を発令した。日本人を保護するために日本人に対する犯罪は罪がとても重かったのもその一例である。そして、この頃から、日本からのあの悪名高き団体ツアーが次第に増え始めていた。マルコス大統領の外貨獲得政策ともあい合わさって、日本人男性、それも中年男性の観光客が目立ち始めてきていた。そして彼らは日本ではおおっぴらに出来ないことまで、ここでは平気でやってのけた。正樹はふざけるなと叫びたかった。


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