ホセ・チャン
まだカジノが現在のようにホテルなどで営業されていない時代であった。マルコス大統領は外貨獲得政策の一貫としてマニラ湾に船を浮かべて、その上で観光客や国内の支配階級層を対象にカジノを運営していた。ルネタ公園の端に小さなテントを張った小屋があり、時折、やって来るギャンブル狂いの客をそこから小さなボートに乗せて、湾の中ほどに浮かんだフローティング・カジノに送迎していた。パスポートを所有している者しかカジノへの入場は許可されていなかった。ただ、一枚のパスポートにつき二人までの同伴は認められていたようだったが、そんな決まりがあったかどうかは確かではない。パスポート一枚で二人までという暗黙の了解みたいなものが自然にできあがっていた。だからパスポートは持っていないけれど、なんとかカジノで一旗揚げようとする連中はパスポートを持った観光客に次から次へと声をかけていた。一緒に連れて行ってはくれないかと頼むのである。そんな訳でフローティング・カジノへのボート乗り場にはいつも人だかりができていた。観光客がカジノで大勝したというニュースはあまり流れなかった。たとえ勝ったとしてもペソを外貨に変えることも、海外に持ち出すことも難しい時代であったから、もし間違って勝ってしまったら、それこそ大変である。命の危険だけ拾って、安心して観光など出来なくなってしまう。びくびくしながら何度も後ろを振り返ることになる。 ホセ・チャンがフローティング・カジノへ行く時はこのルネタ公園のボートは使わない。少し離れたヨット・クラブから自分のクルーザーに乗り込み、直接マニラ湾に浮かぶカジノに横付けして乗船する。彼はもちろんパスポートなどは必要ない。誰もがホセのことをよく知っているからだ。それに警官も兵隊も誰も寄せ付けない圧倒的なオーラが彼からは出ていたから、身分証明書を求められることはなかった。 今夜もホセ・チャンは黒のタキシード姿にサングラスでフローティング・カジノに乗り込んで来た。もちろんサングラスは禁止である。貴金属類も帽子も入り口ですべて預けなければならない。襟のないTシャツ姿も当時は禁止で、靴以外のサンダル履きなどはもってのほかだった。バックもすべてご法度、入り口で札をつけられて帰る時まで没収されてしまう。マニラ湾に浮かぶフローティング・カジノはあまり大きな船ではなかったが、二つの大きなフロアーと幾つかの個室、そして特別室があった。デッキには中央のマストからたくさんの電球がクリスマス・ライトのように船先と船尾にロープを使って渡されていて、夜に遠くからこの船を見ると、まるでマニラ湾に浮かんだ富士山のように見えた。 ホセは船の中に入る前にしばらく立ち止まり、風で揺れているマストの電球を見上げた。 デッキには一文無しになった人々がぼんやりと海を眺めている。絶望のあまりに今にも海に飛び込みそうな人達である。遠くでチラチラするロハス大通りのビルの明かりに目をやったホセ・チャンは大きく息を吸ってから自分自身に向かって励ますように呟いた。 「グット・ラック(幸運あれ)!」 そう言い残して、ホセは潮風と共に船の中へ入って行った。入り口でいつものように両手を挙げて、拳銃を持っていないかどうかのボディー・チェックを受け、広いフロアーに入った。カード、ルーレット、ダイス、スロット・マシーン、敷き詰められた緑の絨緞の上にはあのラスベガスとまったく同じ世界がひろがっていた。皆、自分なりに勝手な理論でもってゲームを楽しんでいる。ホセ・チャンはカジノへ来るとまず最初にすることがあった。それはその日の彼の運勢を試す儀式でもあり、天にいる大切な人の癖でもあった。入り口から誰とも挨拶を交わさずに、まず三つのサイコロの出た数の合計で遊ぶ通称「大小」と呼ばれるゲームのテーブルへ直行する。とても人気のある大衆向けのゲームで常に大勢の人々がテーブルに群がっている。その日もホセは立ち見をしている人々を掻き分けるようにして、テーブルの前に立った。そしておもむろにその場にいる誰もがびっくりするような大金を8番にそっと置いた。三つのダイスの合計が8になると掛け金の何倍もの額がホセに支払われることになる。皆、息を呑んでホセの8に注目した。 「ノー・モアー・ベット」 と言う最終のコールに続いて、チンチンチンと三回ベルが鳴らされた。プラスティック製のカバーがゆっくりと開けられた。ディーラーは大きな声で叫んだ。 「ウノ、ドス、シィンコ」 とまずダイスの出た目がスペイン語で読み上げられた。この国では数字はスペイン語式に読むのが通例である。続いて英語で結果が読み上げられた。 「1,2,5」 合計が8になった。 「オチョ(8)」と人々は口々に呟き、ホセの方を見た。ディーラーは事務的に大金をホセに渡した。ホセは皆が羨むようなチップをディーラーに放り投げると振り返り、そのテーブルを後にした。ディーラーたちは全員立ち上がり、ホセの後姿に向かって叫んだ。 「センキュー・サー」 「あれ、今のホセ・チャンじゃない?」 その場にいた何人かが小さな声でそう呟いた。
しかし今夜のホセ・チャンの運は「大小」のゲームの結果とは裏腹に最低のものとなってしまった。ホセは一般客でごった返しているフロアーを抜けて特別室にむかった。ホセ・チャンはこの国を支配している一つの財閥の端に属しているのだが、大資産家の父が死んだ時に彼の兄弟たちがいくつもの大企業や資産を受け継いだのにもかかわらず、ホセ・チャンだけはボラカイ島の別荘を相続しただけだった。他に金銭は一切相続出来なかった。しかし負けん気の強いホセはその甘いマスクと頑強な肉体で映画俳優に自力で伸し上がっていった。死んだホセの父が失望していたのはホセのギャンブル癖であった。実際、ホセは仕事が無い夜はいつも決まってカジノにいたし、他にも競馬、ハイアライ、闘鶏、ありとあらゆるギャンブルにのめり込んできた。華僑の仲間とは日本の麻雀牌よりも一回りも大きい牌を使って中国式のマージャンで時間を忘れた。ホセはギャンブルで勝った瞬間の快感に酔いしれ、負けた時には取り乱さずに毅然とした態度で精算をすることに喜びを感じていた。所詮ギャンブルはギャンブル、勝ち続けることなどは土台無理な話で、ギャンブルで幾ら勝っても、その喜びがたとえ全身を駆け抜けたとしても、いつかは必ず負ける時がくるものなのだ。しかしホセの体内には華僑とスペインの熱い血が流れており、賭け事に大きな人生の意味を感じていた。そのホセ・チャンがこの一週間まったく良いところがなかった。彼のギャンブル人生で最悪の一週間であり、負けっぱなしでまったく良いところがなかった。取り返そうとすればするほど賭け金も跳ね上がっていった。一般客の賭け方とは違い、特別室で特別なルールで特定の相手と勝負することをホセは好んでしていた。しかし今回の相手が悪かった。ホセはこてんぱんに打ちのめされてしまっていた。日本にフィリピーナを送り込むヤクザ者が相手だったのだ。ヤクザ者は仕事の都合上、賭けの条件を日本円で精算するように要求していた。父が残してくれたボラカイ島の別荘はホセの兄弟がマニラ市内の大豪邸を幾つも相続したことを考えると彼にとっては屈辱以外の何物でもなかった。どうせ友達とドンチャン騒ぎをすることしか役に立たないボラカイの家だ。そんな屈辱の家はいつか賭けに負けた時に売ってやろうと前々からおもっていた。高く売ってやろうとおもったことも一度もなかった。ホセがヤクザ者との勝負に負けた時、ちょうどタイミング良く、日本円でボラカイの別荘を買ってもいいというボンボンという人物が現われた。まとまった日本円を工面する難しさと度重なるヤクザ者の取立てにホセは嫌気がさしており、まったくといっていいほど未練がないボラカイの別荘を安易にも手放す決心をしたのだった。常識では考えられない取引だった。そこには何か目には見えない大きな力が働いたとしか考えられなかった。ホセは評価価値が二十億円以上もするボラカイの別荘をただ同然の五千万円で手放すことにしたのだった。 ホセ・チャンは三十代の後半でまだ独身である。ガールフレンドは星の数ほどいた。瞬間瞬間の楽しみを追い求めるホセには妻も子供も必要なかった。何不自由のない暮らし、エキサイティングなギャンブル、毎日おもしろおかしく暮らしているホセであった。誰もが羨む美人と簡単に一夜を過ごすことも出来る。しかし、どんな時も彼は決して満足することはなかった。結局、むなしさだけがいつも最後には残った。ホセはこれまで幸せなど一度も感じたことはなかった。
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