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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第30回   豪邸
豪邸

 正樹とディーンはボラカイの海がよく見える高台のレストランのテーブルをもう何時間も二人で占領していた。正樹はよく冷えたサンミゲールビールをディーンはアルコールの入っていないグリーンマンゴーシェイクを何杯もお代わりしながら二人だけの楽しい時間を過ごしていた。正樹は次第にこうしていることが何だか申し訳なくなってきていた。それは誰に対してではなく、この美しい島のことを知らないすべての人々に自分たちだけがこうして天国にいることをすまないとおもうようになってきていた。それほどボラカイと言う島はきれいだったのだ。そこへ丸いメガネをかけた天性のピエロ、ネトイがやって来た。
「ああ、やっぱり、ここだったか。ボンボン兄さんがみんなに大切な話があるそうです。コテージのレストランにみんな集まっているから、正樹たちもすぐに来て下さい。お願いします。」
 正樹はネトイに二人だけの大切な時を邪魔されてしまい少し不機嫌になってしまった。まあ、少し酔ったせいもあるのだが、一体、ボンボンは何の用があるのだろうかといぶかしくおもいながら、しぶしぶ席を立った。三人でゆっくりとビーチ沿いにつくられた砂の道をレストランに向かっていると、一天にわかに掻き曇りではないが、突然のスコールであった。激しいスコールが砂道を叩きつけ出した。もちろん三人にも容赦なくこの突然の雨は襲い掛かってきており、バケツをひっくり返したような雨とは正にこのことであった。雨宿りをする間もなく、三人はあっという間にずぶ濡れになってしまった。ディーンの白いシャツがディーンの身体の線と一体化してしまい、正樹はびしょ濡れになってしまったディーンのことをこの上なく愛おしくおもった。彼女が風邪を引くといけないので、まずコテージに戻り、素早く濡れたシャツを着替えることにした。みんなが待つレストランにはそれから行くことにした。ネトイはここは南国だからすぐに乾くと言って、着替えもせずに先にレストランに入って行ってしまった。
 ディーンと正樹がレストランの中に入ると、ボンボンを中心にして茂木、菊千代、千代菊、反対側にネトイ、ウエンさん、ノウミ、そしてリンダの順に座っていた。ケーキを食べながら何やら楽しそうにテーブルを囲んでいた。正樹たちがレストランに入って来るのを見て、ボンボンが勢い良く立ち上がり、誇らしい気持ちを秘めながら話し始めた。
「正樹、決まりましたよ。探していた家がとうとう見つかりました。これからみなさんをその家に案内しようとおもいます。正式な契約はまだですが、その家の持ち主の特別の配慮で今日からそこに住む許可が下りましたので、ここのコテージは引き払って新しい僕たちの家に移動します。正樹もその家を自分の家だとおもっていただいて結構ですよ。とても一人や二人で住むような家ではありませんからね。皆さんの協力がないとやっていけませんから、どうぞ、一緒にその家を守っていって欲しい。」
 やけに堅苦しい言葉を選んでボンボンは話をしたと正樹はおもった。まだその家をボンボンと茂木の二人だけしか見ていない。二人の自慢げな表情とボンボンの今の話しぶりから、正樹はその家が相当に素晴らしいものであることを感じとっていた。
 ボラカイ島には建設用のトラック以外には自動車はない。オートバイにサイドカーを付けたトライシクルが島の唯一の交通機関である。島の自然を出来るだけ守ろうとする、島の人々の配慮なのである。周囲が7kmの小さな島であるから、その気になれば歩いてどこへでも行くことが出来る。しかし新しい家への移動は荷物が多かったのでトライシクル二台で行くことになった。ディーンが正樹に言った。
「ねえ、正樹、さっきのボンボン兄さんの話し方、何だか勿体振ってなかった。きっと大きな家に違いないわね。」
「ああ、僕もそう感じたよ。家主が到着次第に契約するとか言っていたけれど、持ち主はこの島の人間ではないみたいだね。」
 トライシクルは五分もしないうちに町並みを後にして山道を登り始めた。ヤマハと書かれたオートバイのエンジンは大きな悲鳴を上げながらも、しっかりとした馬力で坂道を登っていた。日本でとっくの昔に見捨てられたエンジンたちは異国の地でこうしてまだ頑張って働いているのだ。日本のエンジンの優秀さを改めて感じさせられた。島の中央を走っているメインロードを何度も曲がり、トライシクルはどうやら岬の方向に向かっているようだった。高台に近づくとメインロード沿いに頑丈そうな鉄格子の柵がつながりだした。柵の反対側にはマンゴーの樹が等間隔で植えられており、更にその柵に沿ってしばらく行くと、まるで迎賓館か何かのような、何やらごっつい大きな門が見えてきた。正樹がいったいどんな人がこんな凄い屋敷に住んでいるのだろうかとおもい始めたその瞬間に二台のトライシクルは停止した。その大きな門の前でヤマハはゆっくりとエンジンを停めてしまった。ドライバーがクラクションを二度鳴らした。門の外からでは敷地があまりにも広大で建物を見ることは出来なかった。大きなお庭が広がっているだけだった。草野球の試合なら楽々四面はとれそうなグランドがそこにはあった。よく手入れがされた芝はそのまま空につながっていて、庭の向こう側には海が広がっていることがたやすく想像出来た。
ドライバーがもう一度クラクションを今度は長めに鳴らした。すると、このお屋敷の管理人らしき男が頭に手ぬぐいを巻いて自転車ですっ飛んで来た。その男はボンボンを見ると丁寧に挨拶をして慎重に門を開いた。屋敷へ続く道の両側にもマンゴーの樹がたくさん並んでいた。まだ青いマンゴーはナイフでスライスしながら岩塩をつけてたべるとすっぱさと甘さと塩の味が見事に混ざり合って、やみつきになる旨さだ。そんな青いマンゴーが食べきれないほど樹にはぶら下がっていた。ディーンが正樹の腕を引っ張りながら言った。
「正樹、見て、あそこ、スイミングプールもあるわよ。ここがあたしたちの家になるのかしら、凄いわね、あたし、夢を見ているみたいよ」
「ああ、僕もだよ。この分だと奥にある建物もきっとでかいぞ、信じられないよ。ねえ、ディーン、正直に言うけれど、ぼくはこんな大きな屋敷は初めてだよ。この庭だけでもびっくりだよ。なんだか身体がおかしい、ちゃんと歩けないもの。」
「あたしもよ、まるで宙に浮いているみたいだわ。こんなところを買うことが出来るなんて、茂木さんはとてもお金持ちなのね。」
「そうなんだ、茂木さんが買ったの、凄いね。」
 千代菊と菊千代も同じ気持ちらしく、黙って、目をまん丸にして歩いていた。日本を追われた悲しみはこの時点では、一時ではあるにせよ完全に消えている様子だった。茂木とボンボンは足早にどんどん先を歩いて行く、まったく違った世界に迷い込んでしまったウエンさんとノウミはとても驚いている様子で、おしゃべり好きなこの二人の口数は少なかった。リンダは一番最後から皆について来た。ネトイはまだ門のところにいた。どうやらドライバーたちにみやげのマルボーロを分け与えているようだった。トライシクルに腰掛けながら、この家の管理人も交えてタバコを4人でふかしていた。マンゴーの並木道を右に曲がったところで、ディーンの手がぎゅっと正樹の手を握った。予想していた通りの大きな屋敷がその姿を現したからだ。
「正樹、テニスコートもバスケットコートもあそこにあるわよ。」
「本当だ、すべて整っているね。あそこの、あの丸い敷地は何だろうね?」
「あれはヘリポートじゃない。きっとそうよ。ヘリコプターの離発着場よ。」
 屋敷の横には地面をよく固めたテニスコートが二面とバスケットコートも二面その隣にあった。
「ここはそんじょそこらの屋敷とはわけが違うね。凄いとしか言い様がない。まるで日本の銀行か何かの、ほら、庭にパラソルをつけたテーブルが幾つも並んでいる保養施設のようだね。休日を行員たちが家族と一緒に過ごす巨大な娯楽スポーツ施設みたいなものだよ。個人の家というよりは随分と金がかかった企業の保養施設だな。」
 大きな屋敷の入り口の前で、先を歩いていたボンボンと茂木がみんなの来るのを待っていた。まるで正樹たちがびっくりして歩いて来るのを楽しんでいるかのようであった。事実あまりにも現実離れした大きさに正樹たちは皆、完全にド肝を抜かれてしまっていた。
 黒檀で作られた大扉がボンボンによってゆっくりと大きく開けられた。入るとすぐそこには三階まで吹き抜けの巨大なリビングが現われた。その広さはと言えば、野球の内野グランドくらいはある。床は大理石が敷き詰められていて、その大理石の上には籐を使った伝統的なリビングセットが数多く置かれてあった。日本でウサギ小屋に住んでいた正樹には何から何まで驚きの連続だった。日本とはまったくかけ離れた世界であり、またマニラの混沌とした街並みともまったく違った別の世界がそこには広がっていた。有無を言わさぬ完璧な空間がそこにはあった。
 正樹はこの桁外れに大きなリビングをしばらく入り口から眺めていた。そして次の瞬間、ディーンと二人でまるで子供に戻ったように屋敷中の部屋から部屋へと走り回った。どの部屋にも大きな寝室とゆったりとしたバスルームがあり、驚いたことには、そのすべての部屋の窓からはボラカイの海を眺めることが出来る造りになっていた。絶えず海からの風が部屋に吹き込んできており、エアコンのスイッチを入れる必要はなかった。二人はリビングに戻り、今度は入り口とは反対側のテラスに出てみた。そこは中国風のテラスになっていて、正樹とディーンはおもわずお互いの顔を見合わせてしまった。今、二人が立っているテラスは昨日バンカーボートから見上げたあのテラスだったからだ。
 正樹とディーンは昨日こっそりと登ろうとした階段を逆にプライベート・ビーチへ向かって下りてみた。昨日はなかったが、今日はビーチにこの家専用のバンカーボートも備え付けられていた。このプライベート・ビーチには一本の大きな椰子の木が海に突き出るように立っていて、その大きな木の影は白い砂浜を太陽と一緒に動き回っていた。庭にしても屋敷にしてもあらゆる贅が尽くされており、ボンボンたちが言うように、ここが日比混血児たちの救いの家になるのならば、世界中の人々の注目を集めることは間違いないと正樹はおもった。これだけの広さがあれば、何千、いや、何万もの混血児たちが生活できるし、更に良いことにはこの屋敷には中に入ってみると、まったく暗さというものが感じられなかったことだ。昨日、バンカーボートから見上げたこの家は恐怖感さえ感じたが、実際に屋敷の中に入ってみると、今度は逆に温かく、とても開放的な造りになっていて明るかった。ただ心配なことはここで育った子供たちが、こんなに素晴らしい屋敷に長い間、とっぷりと浸かっていて果たして再び厳しい現実の世界に立ち戻ることが出来るのだろうか。正樹はそのことが少し気になった。茂木が言っていたように本当に子供たちへの教育の重要性を感じる正樹であった。茂木さんはこうも言っていた。
「子供たちにはどんなに辛くても自分独りで生き抜く勇気と力と知恵を教えてあげたい。そして人の優しさというものを彼らを捨てた親に代わってどうしても伝えておきたいのだよ。そして彼らがこの家を巣立っていって、世間の厳しい風に再び触れて、傷ついた時や疲れ果てた時には休息することが出来る故郷が彼らにはあるのだということもしっかりと伝えておきたいのだよ。」 
 正樹はこの岬のプライベート・ビーチから豪邸を見上げながらおもった。ただのこの家の手伝いなら、この島にだって人間は幾らでもいるのだから問題はない。自分はそうではなくて、しっかりと勉強をして茂木さんの本当の手伝いがしてみたい。正樹は少し自分の人生の目標のようなものが見えたような気がした。医者になろう、正樹はそう決心するのであった。


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