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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第28回   償い
償い  

 英語や日本語がよく理解出来ないお手伝いのリンダは信じられないという表情を浮かべながら真っ先にコテージに戻って行った。あんなに優しかった正樹が突然、暴力をふるうなんて、大好きな正樹が酔っ払って人を殴ったことに大きなショックを受けてしまった。そして今夜の正樹のとった行動の本当の理由をリンダが知った時、彼女は更に大きな衝撃を受けることになるだろう。
 茂木は心配そうな顔をしている千代菊と菊千代に向かって言った。
「もう今夜は遅いので、先にコテージに行って休みなさい。私は少し正樹君と話をしますからね。」
 菊千代が茂木に近寄って、茂木の顔を見ながら言った。
「顔は大丈夫、痛みませんか。氷をもらってきましょうか?」
「大丈夫。心配しなくてもいいよ。後で飲み物を注文する時に氷も頼むから、菊ちゃんは早く休みなさい。」
 菊千代は正樹のことをさっと睨み付けてから千代菊とその場を立ち去って行った。ウエンさんとノウミ、そして笑顔のディーンも順番に引き上げて行った。ボンボンはビコールの言葉よりも英語の方が自然に出るようで弟のネトイにも時々英語で話しかける。かなり酔いがまわっているネトイに向かって言った。
「ネトイ、これから茂木さんと正樹と少し飲むから、多分、日本語だけの話しになるので、おまえはもう休みなさい。」
 それを聞いていた正樹がボンボンに向かって言った。
「いや、ネトイも一緒に来てほしいのですが、駄目でしょうか?」
 それは正樹の鋭いカンだった。たとえ日本語が分からなくても、彼を出来るだけ日本人の間に同席させた方が良いという正樹の将来にむかってのカンだった。一種の洞察力に近いものであった。ネトイが将来、重要な存在になることを正樹はこの時すでに本能的に見抜いていたのだ。茂木と正樹の間にはまだ気まずい空気が渦巻いている。当たり前である。たった今、殴りつけた者と殴られた者なのだから、すぐに仲良くなれという方が無理な話だ。天性のピエロであるネトイが居た方が場も和むので、ボンボンもネトイが同席することに同意した。四人で浜からビーチロードに戻り、静かに話が出来そうな店を選んで腰を下ろした。ボンボンはウエイターにビールとバーベキュー、そして大量の氷を注文した。ネトイと正樹はすでに完全に出来上がっており、これ以上飲むと危険な水準まできていた。ネトイにも分かるように英語で話すことも出来る三人だったが、自然に日本語になっていた。ビールと氷が運ばれてきて、まず氷が茂木の目の辺りにあてられた。やはりボンボンが口火を切った。
「正樹、この茂木さんはボラカイ島で日本人たちが生み捨てた子供たちを引き取って育てようとしているのだよ。」
 正樹は何も言えなかった。心の中では自分はとんでもないことをしてしまったと反省をしていた。ボンボンが話を続ける。
「勘違いとはいえ、偉いことをしたものだよ。正樹はそんな聖人みたいな茂木さんを初対面で殴りつけたのですからね。まったくいい度胸をしているよ。」
「ボンボン、もういいんだよ。その話は止めにしないか。忘れることにしよう。恋人を想っての、何と言うのか、そう純情だよ。正樹君の純情には感心した次第だ。まずはその純情に乾杯でもしようじゃないか。」
 そう言って、茂木は一人でぐいっと一気に飲み干した。
「いいえ、今夜のことは自分は死ぬまで忘れないとおもいます。そして、一生かかってこの償いをするつもりです。」
「おいおい、よせよ。そんな大袈裟なことを言うなよ。」
「自分は本気ですよ。その子供たちの施設の建設にも参加させて下さい。」
「それはありがたい、是非、頼むよ。仲間は一人でも多いほうが良いからね。」
 ボンボンが正樹に質問した。
「正樹、学校はどうした?」
「休学してきました。自分は本気でフィリピンで医者になるつもりだったので退学してこちらに来ようとしたのですが、家族の反対でとりあえず休学ということになりました。でも答えは出ましたよ。こちらに来て、みなさんの顔を見たら、もう北海道には帰る気持ちはなくなりましたからね。」
 ボンボンが正樹のことを茶化した。
「みんなじゃなくて、ディーンの顔を見たからだろう?」
 哲学者茂木が嬉しそうに言った。
「恋の力は偉大だよ。どんなことでもやってのけるのだからね。恋にも乾杯だ。」
 また茂木は独りでコップを空けた。正樹はこの茂木の言葉でやっと笑うことが出来た。正樹が言った。
「茂木さん、その日比混血児たちのことですが、将来のことです。その子たちが成人した時のことですが、どんなプランをお持ちですか?」
「まず教育に力を入れようと考えているよ。英語はもちろん、特に日本語の教育には重点を置くつもりだよ。就職が少しでも有利になるように、しっかりとした教育を受けさせてやりたいと考えているんだ。この島の家は彼らの家になるわけだから、成人して自立した後でもいつでも帰って来れるようにはするけれど、出来るだけそれぞれが頑張って生活していくことが望ましいとおもうよ。」
 正樹も一気に飲み干してから言った。
「僕も可能な限り協力しますよ。」
「ありがとう。頼むよ。」
 正樹はボンボンに訊ねた。
「ボンボン、この国の失業率はどうですか?」
「ああ、高いよ。残念だけど仕事はない。それが最大の問題だな。」
 正樹は少し偉そうに話を始めた。今夜の自分の失態を挽回するつもりだった。
「実は、僕の父親が半導体の会社をやっておりまして、少し、こちらにも仕事を回してもらいましょうか。もしそんな工場があると、子供たちが不運にも仕事が見つからなかった時に役立つかもしれませんよね。あくまでも島以外での自立を優先させて、それでも駄目だった時の最後の切り札として、その工場を位置づけた方がベターですね。」
 茂木は正樹の目をじっと見た。
「素晴らしい、それは可能ですか?」
 正樹は茂木の真剣なキラリとした視線に少しひるんだが、言葉を続けた。
「分かりません。でも、やってみる価値はあるとおもいます。マニラに戻ったら日本に電話をして父と相談してみます。さっきの無礼の償いの為にも、しっかりと説明して良い返事をもらってみせます。」
 日本語の話から仲間外れになっていたネトイが、突然、椅子ごと後ろにぶっ倒れた。話が出来ずに飲み過ぎてしまったのだ。ボンボンが慌てて、ネトイを抱え起こした。
「茂木さん、今日はこれくらいにしてもう休みませんか。こいつを連れて行って寝かせないといけません。正樹もどうですか、今日はこれでお開きということでいいですか。」
 ボンボンがネトイを背負って茂木さんとコテージに消えて行ってしまった。正樹は店の支払いを済ませてから、独りでもう一度ボラカイの海を見に浜へ出てみた。浜には波の浸食によってできた小さな島があった。島と言うよりも岩と言った方が正しいのかもしれない。潮が引くと浜と地続きになるその岩に誰かが蝋燭を立てて火を灯していた。どうやらボラカイ島の守り神らしい、マリア像がその蝋燭の炎に照らし出されて揺れていた。月の光と蝋燭の炎が混ざり合って幻想的な世界がそこにはあった。そのマリア像の視線は優しく正樹に注がれていた。
 正樹の長い長いボラカイ島の最初の一日はこうして終わった。一生涯忘れることのできない特別の日となった。


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