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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第26回   天性のピエロ
天性のピエロ

 正樹たちを乗せたバンカーボートはボラカイの島を左から回り込んで、次第に島の西海岸のほとんどを占める長さが4キロメートルのホワイトサンドビーチに近づいていた。その長く白い砂浜の後ろには椰子の林が広がっており、日本の浜辺とはまったく違った美しさを見せていた。ボートの後ろで沈みかかった太陽が島全体をにぶく照らしており、ボラカイ島の浜はまるで昔に撮った大切な写真のようなセピア色に近いオレンジ色に染まっていた。浜には人影もまばらで、観光地と呼ぶには程遠い素朴な雰囲気に包まれていた。ボートの乗客は誰もしゃべってはいない。その美しい景色に見とれていて、完全に言葉を失ってしまっていた。自然が創り出した極上の芸術を鑑賞するのに忙しかったのだ。正樹はこの夕焼けの瞬間に居合わせたことだけでもボラカイ島に来た価値は十分にあるとおもった。ありきたりの表現だが、このままずっとボートで揺られながら時間が止まってしまえば良いと正樹は心の底からそうおもった。それほど美しかった。
 ボートは浜から五メートルくらいのところでゆっくりと停止した。数人の男たちがさっとボートから飛び降り、浜ぎりぎりまでボートを引っ張り上げた。桟橋などはもちろんないから、乗客たちはボートの上で靴を脱ぎ、裾をまくりあげてから順番に下船していった。船の船頭たちは両手に年配の女性客を抱えて浜まで運ぶのにおおわらわだった。若い女性たちはキャーキャー言いながら、自分の足で海の中を歩いて浜まで行った。ディーンたち三姉妹も楽しそうに海の中を歩き始めていた。お手伝いのリンダも嬉しくて仕方がないといった様子で正樹の後にしっかりとついて来ていた。ネトイだけが最後までボートに残り、正樹にもらった土産のマルボーロを海の澄んだ空気と程好く混ぜて、何度も旨そうに夕空に向かってスースーと吹かしていた。ネトイはいつになく深刻な顔をしていた。何かをじっと考えている様子だった。正樹が振り返って声をかけたが、ネトイはボートに座ったまま動こうとはしなかった。

 ボンボンと茂木、それに千代菊と菊千代の四人も正樹たちと同じ夕日を眺めていた。同じ時間を同じ場所ボラカイ島で共有していた。正樹たちがボートから降りたボートステーションからほんの百メートルほど離れた砂浜に四人は座っていた。ボートから降りてくる人影が黒い美しいシルエットとなって夕焼けの中に溶け込み、魅惑的な風景を描いていた。もちろんその薄っすらと浮かんだ人影が正樹たちであると、ボンボンたちに分かるはずはなかった。茂木がサンミゲールビールの小瓶に何度も口を運びながら言った。
「ボンボン、本当にきれいな夕日ですね。この島に連れて来てもらったことを感謝していますよ。確かに夕暮れ時は切ない郷愁で胸がいっぱいになりますが、今はこの島の美しさは私たちにとって大きな救いなのです。日本にいたら、こんな気持ちは決して味わえなかったとおもいます。本当に感謝しています。」
「そんなにお礼ばかり言わなくても結構ですよ。感謝したいのはこっちの方ですよ。茂木さんと出会って、あの京都の落ち着いた空気にも触れられたし、そして今、憧れの島、ボラカイ島にまで来ることが出来たのですからね。」
「ボンボン、それから、更にお願いしたい事があります。出来るだけ目立たずに、と言っても日本人の僕と双子の美人が一緒では目立つなと言う方が無理かもしれませんが、この島で少し広めの土地と家を探してくれませんか。交渉も契約もすべて君にお願いしたいのですが。私が初めから出ていったのではジャパニーズプライスになってしまいますからね。それに外国人はこの国の土地の所有は認められていないと聞きましたから、君の名義にして下さい。」
「借りるのではなくて、購入するのですか?」
「ええ、そうです。君の名前で土地と家を買って下さい。幾つか物件を探して下さい。最終的な判断は私がします。出来るだけ広い静かな場所がいいですね。隣近所があまりうるさくない方がベターですね。」
「茂木さん、どうでしょう。この島のリーダーの所へ行って、茂木さんの崇高な計画を話してみてはどうですか。きっと協力してくれるとおもいますよ。ジャピーノたちの救いの家は世界中の注目を集めることになり、多くの外貨を持った訪問者がこの島に来ることになれば、もしかすると土地も建物も無償で提供されるかもしれませんよ。どうですか、茂木さん、この島のボスに会ってみませんか?」
「いや、それは困る。絶対に駄目だ。ボンボン、目立たずにここで過ごしたいのです。少なくとも今はね。ただ何年か経って、僕が年老いた時にここの施設が僕なしでも立派にやっていけるようにはするつもりだけれども、でも今じゃない。今は出来るだけ目立たずにいたいのです。我がまま言ってごめんなさい。」
「分かりました。では大体の予算が知りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「そうだね、日本円で五千万円の土地と建物を見つけて下さい。」
「それは大金ですね。この国ではそれだけあれば、かなり広い敷地と屋敷が手に入りますよ。お言葉を返すようですが、これはかなり目立った取引になってしまうとおもいますよ。兎に角、狭い島ですからね。そんな大金が動くとなると、噂はすぐに島じゅうに広まってしまいますからね。」
「わたしもそうおもうが、まずはボンボンが表に出て下さい。私たちは手伝い、脇役として目立たずに後ろにいたい。話をその様にもっていって欲しい。お願いします。」
「分かりました。それでは明日からやってみましょう。」
 四人はやっと腰を上げて、すっかり暮れてしまった浜を後にした。茂木たちは浜からあまり離れていないコテージを利用していた。コテージの入り口の横には管理人の小屋があり、マニラにいる韓国人のオーナーからここを任されている中年のオカマがぽつんと座っていた。茂木はそこの門を通る度にじっと見つめられるその視線に一種の緊張感さえ感じていた。オカマはこの国では結構、市民権を得ており芸能界では欠かせない存在だし、髪の毛を切る床屋に行けば、かなり高い確率でオカマに髪の毛をいじくりまわされる。辛い事が多い世界では見ているだけでも楽しくなるオカマの存在価値は大きいのかもしれない。


 正樹とネトイは重大な事にやっと気がついた。
「ネトイ、ボンボンたちはどこに泊まっているんだい。」
「うーん、それなんだよ。ボートを降りる時からそのことを考えていたんだがな、分からないんだ。ごめんな、正樹、すまん。」
 正樹はぽかんとしてネトイの顔を見た。唇を噛み締めて困った表情をしている天性のピエロがそこには居た。次の瞬間、目と目が合って、二人は吹き出してしまった。あまり明日のことは心配しない方が健康の為には良いものだ。時にはなるようになるさと、すっと息を抜くとうまくいく事もある。正樹はネトイのことを見ていると心の底から明るくなった。彼が素晴らしい才能の持ち主であることを改めて知らされた気がした。ネトイの大らかな気質は正樹の後の人生の中でおおいに役に立つことになるのだ。


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