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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第19回   国の運
国の運

 マルコス政権は海外向けには戒厳令下にあるマニラ市内は安全であることをさかんに強調し、また国内では外国人に対して犯罪を犯す者は厳しく罰すると国民に脅しをかけた。
マルコス大統領は外貨を獲得する為にフィリピンをスペインのように観光地化しようと躍起になっていた。だから法律では禁止されているにもかかわらず買春ツアーを黙認していたのだ。この買春ツアーは旅行業界とフィリピンに来て貧困という弱みにつけ込んで女の子たちをだます自己本意の強い日本人男性だけの秘密だった。しかし見るに見かねたマスコミは日本の大手メーカーの集団見合い(団体買春ツアー)事件をとりあげて日本人の自粛を求めたのだが、日本人観光客の数はいっこうに減らなかった。それどころか、マニラに行けば安易に遊べると言う事を世に知らしめる結果となり、逆に買春ツアーは増加の一途をたどってしまった。「旅の恥はかき捨て」的な安易な発想なのだろうか。日本の高度経済成長の過程で日本人の精神構造にいったいどんな変化があったのだろうか。それともまったく変わらずに第二次世界大戦以前のままだったのだろうか。たまたま経済が上向きに向かった日本という国の運命、不運にもたまたま下向きに向かって、下降線をたどっていったフィリピンという国の運命、その中で日本人男性の性欲の処理と肉体提供によって貧困から脱出したいというフィリピーナの欲求が悲劇的に合致してしまった。「地道にしっかり働かないから、そうなるのだ。」とか「怠けているからそうなるのだ。」とか平気で買春する日本人たちはそう吐き捨てるが、ボンボンはそんな小さな事ではないといつもおもっている。もっと大きな悲劇的な流れがあり、そこには国の運不運があるとおもっている。決してフィリピン人が怠けているから国が貧しいのではないとボンボンはいつもそうおもっている。第二次世界大戦の時に、強制的に日本兵の従軍慰安婦にさせられた多くのフィリピーナや韓国女性の悲しみと死は無駄だったのか。何も日本人に教訓を残していなかったのだろうか。今再び、銃ではなく経済という武器でフィリピーナたちが犠牲になっている現実、そしてその結果生まれてくる日比混血児たちの生きる希望と喜びは誰がつくってやるのか。特に父親から認知されないジャピーノたちの将来は多難に満ちている。この状況を見た時、茂木さんはどうおもうだろうか、ふと、ボンボンはまた哲学者茂木に会いたくなった。茂木さんとゆっくり話がしたくなった。
 渡辺社長との約束の時間がきてしまった。夜七時ちょっと前に部屋で休息をたっぷりとった渡辺社長がロビーに降りて来た。
「ボンボン、さあ、出発。行くぞ。」
 社長はやけに張りきっていた。
「まだ、ちょっと時間が早いような気がしますが、どうです、ここで、コーヒーでもいかがですか?」
「いや、コーヒーは部屋で飲んできたからいらない。さあ、出かけよう。行こう。」
 やたら元気満々の渡辺社長はホテルを出て五分も歩かないうちにゴーゴーバーの客引きと話を始めた。
「社長さん、いい子、いっぱいね。いっぱいいるよ。」
「おまえ、日本語がしゃべれるのか?」
「少しだけね、いい子いるから、どうぞ。」
 渡辺社長も身体は大きい方だが、さらに大きな大男がゴーゴーバーの入り口の扉を開き、レスラーのような腕を大きく伸ばして社長とボンボンの為に扉が閉まらないように支えた。赤い幕で奥までは見えない。制服を着たガードマンが両手を挙げるように合図しながら近寄ってきた。ボディーチックである。手荷物はすべて中を調べられる。銃によるトラブルを避けるためだ。社長はポケットの中の財布をガードマンに握られてムッとした表情をしている。ボンボンがすぐに社長に説明した。
「社長、このチェックは酒によるトラブルを避けるためです。特に銃の持込を警戒しています。すみませんが、しばらく我慢してください。」
 赤い幕をかき分けて奥へ進むと、汗ばんだ熱気とさまざまな香水の香りが二人を包んだ。それほど広くない部屋の中央にはテーブル兼踊り場があり、その上で水着姿の女の子が三人、けだるそうにリズムをとりながら身をくねらせていた。案内されながら部屋を歩いていると、中央の踊り場にはどんどん水着姿の女の子が並び始めた。その中にはそうとう年齢を重ねた婦人も混じっていた。鉄パイプが何本も天井から踊り場に突き抜けていて、そのパイプに摑まりながら女の子たちはそれぞれ勝手な動きを始めた。天井からミラーボールが吊るされていて、その光の雨は部屋全体を激しく回転させていた。女の子たちは客の社長と視線が合うと大きくポーズをとったり、大胆に踊ったりしていた。客から指名されなければ彼女たちの収入はないから必死に自分のことをアピールしている。もちろん指名料と飲食物のバック・マージンだけでは幾らにもならないから、店から連れ出してもらうように努めるのだ。ボンボンと社長は壁際の席に案内され腰を下ろした。ちゃちな安い椅子であった。
「ボンボン、ビールを頼んでくれ。氷も何もいらないから、ビンのビールを注文してくれ。」
 店の案内係も日本語が出来た。
「ビールですね。社長さん、気に入った子がいたら、指名してくださいよ。」
「そうか、分かった。ちょっと待てくれな。早くビールを持ってきてくれ。」
 舞台の上にはいつの間にか三十人ほどが身体をぶつけあいながら踊っていた。視線はすべて渡辺社長に注がれていた。
「ボンボン、ここのシステムはどうなっているのだ?」
「システムと言いますと?」
「指名した後だよ。」
「ああ、女の子、本人と交渉して気が合えば店に飲み代と連れ出し料を支払います。そして女の子にも当然、チップは必要かとおもいますが。」
「分かった。ボンボン、どうだ、ここの子は危なくないかね?」
「危ない?どう言う意味ですか?」
「病気だよ、病気。」
「それは定期的に検査をしているとおもいますが、僕にはよく分かりません。」
しかしボンボンは心の中で、この店のような連れ出しゴーゴーは「置き屋」と違って安い分だけ、いろいろな面で管理はいい加減ではないかとおもっている。それに日本人専門の高級「置き屋」と違って色々な外国人も利用している分、危険はさらに伴っているとおもった。安ければ安いなりの危険はついてくるものだ。
「社長、他にも違うタイプの店がたくさんありますから、行ってみませんか?」
「いや、今日はここでいいよ。ホテルから近いし、ここに決めた。わしはあの子がいいな。あの青いビキニにするぞ。ボンボン、おまえも早く決めろ、どの子にする?」
「僕は結構ですよ。」
「それはいかん、おまえさんも選べ、命令だ。」
「そんな、僕はお金もありませんし、遠慮させて下さい。」
「金はわしに任せろ。だから選びなさい。わしらのテーブルにあの青いビキニとおまえさんの好きな子を呼んでくれ。いいな。」
 青いビキニの子はすでに社長の視線に気づいており、社長を見ながら大きく身をくねらせて踊っていた。ボンボンは手を挙げて係を呼んでその旨を伝えた。しばらくすると青いビキニとボンボンが選んだ子がテーブルに向かって歩いて来た。渡辺社長はそれを見て笑いながら言った。
「ボンボン、おまえ、頭がおかしいのか?もっと他に若くてかわいらしい子がいるだろうが、変なやつだな、おまえ。まあ、人好き好きだけれど、しかし、どう見てもおまえが選んだ子は一番ブサイクな子だよ。おまけに歳もかなりいっているぞ。」
 その言葉を聞いて、ボンボンは彼が京都で会った渡辺社長とはまったく別人のようだとおもった。とてもあのまわりくどい芸妓遊びをしている風流な人間とはおもえない、何の教養もない、ただのストレートな人間にしか見えなかった。
「ボンボン、ちょっとこの金を両替してきてくれんか。」
「はい、分かりました。」
 ボンボンが近くのブラックマーケットで日本円をフィリピンペソに両替してテーブルに戻ると、話はすでにまとまっていて、社長が女の子を連れ出すのに三十分とかからなかった。店に支払いを済ませて四人は外へ出た。汗びっしょりだが元気な社長はもう完全に日本で会った渡辺社長ではなかった。ただの本能丸出しの獣でしかなかった。女の子たちが少し先を歩いていた時、社長はボンボンの手を取って、そっと五千ペソを握らせた。その金についての説明はない。どうやらそれで遊べということらしい。ボンボンは何も言わずにその金をポケットにしまった。ホテルにはすぐに着いた。自分たちの部屋がある階でエレベーターを降りると、その階を担当しているベルボーイが女の子たちに合図を送った。連れられて来た女の子たちは自分のバックの中から何かを取り出して、ベルボーイにそれを渡していた。それからはもちろん別行動である。だからボンボンは社長がどんな夜を過ごしたのかは一切知らない。
 ボンボンは部屋に入るとすぐに社長からもらった五千ペソのうち千ペソだけを抜き取って、何ヶ月ぶりかで指名を受けた、社長の言葉を借りると店一番のブサイクな子にその千ペソの大金を渡した。
「これ、あげるから子供に旨い物を食わせてあげなさい。もう家に帰ってもいいし、また店に戻ってもいいよ。好きにしなさい。」
「ありがとう。でもベルボーイに私のIDを渡してあるから、独りでは外には出れないわ。」
「そうか、客が寝ている間に君らが逃げないように奴らは見張っている訳か。ふざけた決まりだな。分かった。一緒に外へ出よう。でも、ちょっと待っていて、電話をするから。」
 ボンボンはサンチャゴの自分のアパートに電話をした。
「もしもし、ネトイか、ああ、僕だ。これからみんなでビールハウスへ行くからな。準備しておくように、みんなにそう伝えろ。いいな。じゃあ、タクシーですぐに帰るから。」
 日本から帰国するとアパートの男連中とビールハウスに行くことはボンボンの恒例行事になっていた。ベルボーイから彼女のIDを取り返し、ホテルの出口まで二人で歩いた。タクシー乗り場でボンボンが車に乗り込むと、ブサイクな子はボンボンに丁寧にお礼を言った。ボンボンはそれには何も答えず、彼女と分かれた。まだ四千ペソの大金がボンボンのポケットの中には入っていた。半分は滞納しているアパートの家賃にあてるつもりだった。残りの二千ペソでみんなとビールハウスに行くことに決めていた。
 ボンボンはタクシーの窓から流れ行くマニラの町並みを見ていた。日本のあの京都の町並みとは違ってマニラは混沌としていた。本当に勤勉な国民性が豊かな国を造るのだろうか、それは違うとおもう。世界中にはどんなに頑張ったって這い上がれない国は幾らでもある。たまたま日本という国は運が良かっただけだとボンボンはおもう。フィリピンはたまたま運が悪かっただけなのさ。国にも運不運はあるよ。タクシーの中でボンボンはそう感じていた。


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