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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第14回   京都人 ・ 詩仙堂
京都人

 百万遍の交差点を学校とは反対の方向へ三つくらい路地を入った処に居酒屋「川原町」がある。細長いカウンターの一番奥には電話器が置かれてあるが、そのピンク電話の前の席には椅子は置かれていない。その席は茂木だけの指定席だからである。茂木がこの店に入ってくると奥から椅子が運ばれてくるのだ。
 茂木はボンボンと早苗を大学のホテルに送っていった後、居酒屋「川原町」にやって来ていた。学校がある時もそうだが、真っ直ぐには下宿には帰らず「川原町」に寄って、煮込み豆腐と熱燗にした酒を静かに飲むことが彼の日課だった。学生でありながら毎晩のように居酒屋通いが出来る茂木の経済力は相当なものだった。いつもは独りで黙って酒を飲んで帰るのだが、今夜は少し様子が違っていた。カウンターの中にいる女将に向かってぼそぼそと珍しく喋りだした。
「おかみさん、悔しいよ。私ははっきりとモノが言えんのだよ。すぐ何でも我慢をしてしまう。私は好きな人に好きだと、はっきりと言えないんだ。それどころか恋敵の手伝いばかりをしている。バカだよね。そんな自分が悲しくて、つくづく嫌になってしもうたよ。」
「まあ、まあ、愚痴どすか。茂木はんらしくないこと。でも誰でもそうなんのと違うんやないの。茂木はんも京都のお人におなりになりやしたんとちがうんやろか。すぐにはっきりと白黒をつけるようなことをしないのが京都流どすえ。」
「でも、おかみさん、それは違うぞ、やはり好きとか嫌いとかの恋愛になると話は別だよ。はっきりさせないといかん。」
「茂木はん、京都の者はすぐには心は見せませんし、決して慌てたりもしません。取り乱したりもしませんよ。耐えて、耐えて、しかも周りの者を決して傷付けたりもしません。けどな、最後には自分の望む方向へきっちりと事を運びます。恋事も同じとちがいますか。」
「しかしな、おかみさん、叶うことなら、自分の気持ちを素直に伝えたいのですよ。どうも敵をつくらないように振舞ってしまう自分が嫌で嫌でたまらないのです。はっきりと自分の立場を鮮明に出来ないのがくやしいんだよ。」
 他にも客がいるというのに女将は本腰を入れて、茂木と論争を始めた。
「すぐに好きだ惚れたと言ってくる男はんにろくなのはおりません。うちはそんなの嫌いどす。どうも品位にかけるようで好きにはなれませんよ。うちは茂木はんのように奥ゆかしい方が好きどす。焦らずに京都流でおやりんなったら、それでよろしいおす。」
「そういうもんかな、でも、おかみさんにそう言われると少し元気になってきたよ。今夜は飲み過ぎてしまったようだよ。もう帰ることにします。」
 哲学者茂木は下宿への帰り道、ほろ酔い気分の中で今しがた「川原町」の女将に言われた言葉を繰り返し何度も考え続けていた。京都は狭い土地に寺院や寺がたくさんある。その隙間で生きている京都の人々は狭い社会の中で敵をつくらないようにして生きてきた。話し方にしても遠回しな表現を使う。下手に出ながら、それでいてきちんと自己主張を貫く。相手を怒らせることもなく話をまとめるテクニックは天下一品だ。この京都人気質は京都の気候にも関係しているのかもしれないと茂木はおもっている。京都は盆地であるから風が平野のようには吹き抜けない。夏はお椀のような盆地は蒸し風呂のように蒸し暑い。じりじりと照り返し、ちっとも風が吹かないから、じっとしていてもあぶら汗が吹き出てくる。こんな状態が五山の送り火まで続くわけだ。京都の人々はこれを油照りと呼んでいる。冬も山に囲まれているから冷気が外へ逃げないから、とことん底冷えがする。おまけに四季の中で春と秋の良い季節はこの京都では本当に短い。日本列島で京都ほど最悪の気候はないと言える。そんな恵まれていない気候環境の中で京都の人々はじっと辛抱してきた。それでいて京都の人々は決してそのことを顔の表には出さないのだ。涼しげな玄関の打ち水をしたり、簾を窓にたらしたり、さまざまな工夫をして生活を楽しんでいる。
「今日はあつおすなあ。」
と夏は挨拶を交わす。冬は淡々とこう挨拶をする。
「今夜はさむおすなあ。」
商売をしている人々にしても、ただ淡々とこう話をする。
「どうどすか。」
と聞くと、決まって同じ返事が返ってくる。
「へい、おかげさんで、まあまあどす。あんたはんはどうどすか。」
と商売が良い時も悪い時も、どんなに景気が良くても悪くても、そのことはおくびにも出さないで挨拶を交わすのである。良かろうが悪かろうがすべて「まあまあどす。」で通してしまう。どんな状況でも生き抜く知恵と辛抱強さをもっているのが京都人だと哲学者茂木は考えている。しかし、しかしだ、どうしても恋だけは京都流ではいけないと茂木は何度もおもうのである。もっともっと自分は強くならなくてはいけないと茂木はほろ酔い気分の中で自分にそう言い聞かせていた。茂木はまた明日ボンボンと早苗ちゃんを案内することがだんだんと苦痛になってきていた。しかし、早苗ちゃんに京都を案内することは以前からの望みでもあったし、茂木の大きな喜びでもあるのだから、明日は自分も京都流でひとつ気持ち良く二人を案内することにしようと、そう決めて茂木はやっと寝床についた。

 翌朝、三人は昨夜の丸太町の橋の上で待ち合わせた。茂木は先に着いて二人を待ちながら、朝の鴨川の流れを見つめていた。鴨川は広くて浅い、その中を流れるきれいな水は魚と鳥たちの天国であると同時に京都の人々の憩い場所でもある。川岸の歩道は整備されていて散歩することが出来る。桜の並木道もあり、それがまた京都の街をいっそう魅力的にしている。都が奈良の平城京から京都の平安京に移った理由も水にあったという説がある。鴨川もその要因の一つであったことは間違いないと茂木はおもっている。約束した待ち合わせの時間よりも一時間近く遅れて、やっと早苗が姿を見せた。
「ごめんなさい。遅くなって。ボンボンがなかなか起きてこなくて困ってしまいましたの。お待たせして本当にすみませんでした。こんなに遅れてしまって、すみません。」
ボンボンも駆け寄って来て言い訳をした。
「茂木さん、すみませんでした。とてもホテルのベッドの寝心地が良かったものですから、爆睡してしまいましたよ。ごめんなさい。」
京都流、京都流、茂木は心の中でそう自分に言い聞かせていた。
「いいんだよ、今日はさ、私は京都の流儀でいくことにしたんだから。」
「ええ、何ですか、それ?」
「いや、別にたいしたことではありません。いいんだ、何でもないから、気にしないで下さい。でも、よく眠れたようで良かった。何よりです。」
早苗が話を割って入った。
「茂木さん、立派なホテルを紹介していただいてありがとうございました。外からぱっと見ただけではまるでレンガ造りの博物館のようでしたけれど、中に入ると何から何まで大きくて、部屋のドアもすべて3メートル近くはあったかしら、ベッドも大きくてびっくりしちゃいました。とても立派な宿泊施設が茂木さんの学校にはあるのですね。」
「外国からのお客様を考慮して設計してあるらしいんだ。2メートル以上の背丈の人でもゆっくりとくつろげるように、すべて大きく造られているんです。」
 ボンボンもホテルの感想を述べた。
「大きなパイプを幾度もくねらせたスチーム・ヒーターもすばらしかったですね。空気を汚さないし、とても暖かでしたよ。あれほどの設備で一泊千円ですか。五万円払わされたって誰も文句は言いませんよ。いやあ、実に立派なホテルを茂木さんの大学は持っているのですね。羨ましいですよ。もちろん誰でもが泊まれる訳ではないことは分かりましたよ。何故なら、部屋があんなにたくさんあるのに、昨夜は僕たち二人しか宿泊客はいませんでしたからね。」
「そう、良かった。そんなに二人に喜んでもらえるとは嬉しいですよ。ところで二人をここで待っている間にいろいろと考えたんですがね、今日はお二人を京都の山麓にあるきれいなお庭に案内することにしました。それでよろしいですか。」
「ええ、もちろん、よろしくお願いします。」
 茂木は何の躊躇もしないでタクシーを停めた。今と違って、学生の分際でタクシーは考えられないことだ。いったい茂木の郵便局の口座にはどれだけの残高が隠されているというのだろうか。茂木はタクシーの前の助手席に不本意ながら座った。ボンボンと早苗は後部座席に並んで座った。茂木が運転手に言った。
「運転手さん、詩仙堂までやって下さい。もし、出来ましたら今日一日、貸し切りでお願い出来ませんか?」
幾らかかるとも聞かずに商談はすんなりと決まった。茂木の懐は何ら問題はない様子だった。ボンボンと早苗の方がかえって恐縮してしまった次第だ。目的地までの車の中で、哲学者茂木の軽快な京都論が始まった。
「ボンボン、自分は世界史はあまり得意分野ではありませんが、一応は勉強したつもりです。もし間違っていたら、そう言ってください。あなたの国はスペインや日本、そしてアメリカなどから何度も侵略された悲しい歴史をもっていますね。京都も首都が東京に移されるまでは同じように諸国の権力者から侵略され続けたと言っても過言ではないとおもいます。朝廷と都を権力の象徴にしようと日本中の権力者たちは争って京都に攻め込んで来ましたからね。だから京都もフィリピンと同じように他国から侵略され続けた歴史があると言ってもいいと私はおもいます。京都の人々はよそ者をまったく信用していないし、度重なる戦乱と侵略は京都に住む人々に自分の色を鮮明にしない事を教えたんだと私はおもいます。陳腐な言葉だけれども、京都の人は下手に出ることにかけては実に巧みだよ。相手を怒らせるようなことは絶対にしない。いろいろな侵入者から自分を守る術を長い間に、それも自然に身につけているんだ。言葉も遠回しな言い方を好むし、どっちにもつけるように物事を白黒はっきりさせない。それは卑怯なやり方だと誤解されては困る。兎に角、自分の身を守りながら、相手も傷つけることなく最終的には自分の望むところに相手を導いていく魔術みたいなものなんだよ。どんなに辛い時でも京都の人々は涼しげな顔をしている。また極端に喧嘩をすることを嫌う人種でもある。」
 運転手が感心しながら茂木先生に聞いた。
「お客さんは学者さんかね?」
 早苗が代わりに運転手の質問に答えた。
「ええ、京都の大学の学者さんですよ。」
 謙遜しながら茂木が言った。
「いや、そんなのと違いますよ。私自身も分からない京都人の気質に少し興味があるものですから、こんな勝手なことばかりを言っているだけなんですよ。」
 話を聞いていて我慢が出来なくなったのか、今度は運転手が話し出した。京都のタクシー・ドライバーと言えば話好きな者が多いが、この運転手も例外ではなかった。
「結構、京都の人は頑固ですわ。遠回しな言い方をしますが、言い分はきちんと通します。それに急がず焦らず、おまけにプライドもえらく高いですわ。以前は修学旅行は京都と決まっていましたが、最近では修学旅行の団体さんは随分と減りましたよ。クラス単位で九州や北海道、あるいは外国にまで行くようになりましたからね。でも京都は他の観光地のようには決して慌てたり騒いだりはしません。本物を見に来るお客さんだけを大切にしますからね。経済は大阪に任せて、政治は今は東京ですな、でもな、あまり他と比較しても始まりませんよ。どんなことになっても京都は今でも日本人の心の首都なんですよ。」
 後ろからボンボンが顔を乗り出してきて話に加わった。
「フィリピン人もあまり物事を急いだりはしませんよ。」
 ボンボンは自分のフィリピーノ・タイムを棚にあげてそう言っている。
「それに自分を相手にうまく合わせる才能は京都の人たちと同じかもしれません。茂木さんの言う通り、それは侵略され続けた者の知恵かもしれませんね。表面的にはよそから来た者を歓迎しますが、完全には信用はしていません。付き合っていくうちに相手の長所をさがしていきます。そしてどんどん評価を上げていくのです。日本人のビジネスマンはその反対で、初めから相手を信用してしまう。そして欠点を見つける度にフィリピン人の評価をどんどんと下げていくんです。だから日本のビジネスマンはフィリピンでの商売は長続きがしないのです。僕らの考え方と反対だからですよ。きっと僕らの考え方は京都の人達と同じプラス思考なんじゃないですかね。」
 話好きな運転手は何度も車を風情のある店を見つけては停めた。そこでお茶を飲みながら、商売はほったらかしで京都人気質について熱く語った。三人はまったく急ぐことなく京都の東のはずれにある詩仙堂に向かっていた。


詩仙堂

 三人は竹でこしらえた質素な小さな門をくぐってゆるやかな石段を登った。門から延びた竹林の小道を歩きながら哲学者茂木は今度は庭園家に変身していた。
「お庭というやつは生き物ですよ。維持するのに手入れがとても大変なのです。この詩仙堂は庭造りの名人、石川丈山が晩年の三十余年を過ごした山荘です。早苗ちゃんとボンボンにお願いしたいのは是非、初夏と秋、そして冬に再びここを訪れて欲しいということです。このお庭に限ったことではありませんが京都のお寺さんやお庭は一度訪ねただけではその良さは分からないものです。さっきお庭は生き物だとい言いましたけれど、再び違った季節に訪れると私がそう言った意味がよく分かりますよ。同じお庭でありながら四季それぞれ違った風情を味わうことが出来ます。お庭は生きているからこそ私たちに四季を感じさせてくれるんです。私が真っ先にここへ案内したのは、ここが私の一番好きな場所だからです。思索にふける時、私はいつもここの二方を開け放した書院に腰を下ろして半日でも一日でもお庭と周囲の山並みを眺めながら考え込みます。言ってみれば、ここは哲学者の商売道具のようなものですな。哲学者の西田先生は「哲学の道」を歩いて思索にふけったように、私はここのお庭を眺めながら考え込みます。四季折々に美しいこのお庭の澄み切った空気に触れながら春の桜、初夏のツツジや秋の紅葉、冬の雪景色、白砂の上にツツジやサザンカが咲き乱れ、散った楓の葉が小川の流れを塞き止めたり、重層的に見事に立体感を出しながら、すべてが配置されています。まったく石川丈山という人はお庭造りの天才と言えますね。」
 さっきから「コーン」「コーン」っと音がしている。ボンボンが不思議そうに聞いた。
「茂木さん、滝の音に混じって何か音がしていますが、あの音は何ですか?」
「あれは石川丈山が考案した僧都だよ。いわゆる獅子おどしというやつです。澄み渡る静寂のお庭を時折震わせる、あの孟宗竹の乾いた音も奇抜で実に風情に満ちているでしょう。丈山は天才と言うより、私に言わせると化け物だとおもいますよ。発想が奇抜で素晴らしい、彼から学ぶところがあまりにも多くて、このお庭に来る度に新しい発見をします。どちらかと言うと、このお庭は男性より女性の心をひきつけるのかもしれませんね。お庭の庵で読書に耽っている女性の姿をよく見かけますよ。」
 さっきからうっとりとしていて何も喋らなかった早苗がやっと口を開いた。
「ほんとうにきれい、こんなところが京都にあったんだ。詩仙堂、でも随分と変わった名前ね。」
「それは、そこの詩仙の間からきているのですよ。杜甫や李白など中国の詩人三十六人を狩野探幽に描かせて、丈山自身が詩文を書いて、ほら、そこの上の壁にぐるりと飾ってあるから詩仙堂と呼ばれるようになったんですよ。」
「詩ですか。石川丈山と言う人はただひたすら風流な生活をしていたんでしょうか。」
「いや、彼は若い頃は結構、起伏に富んだ人生を送っていたらしいんだ。徳川家康の家来だったみたいだよ。大阪の夏の陣ではたいそうな手柄をあげたらしいのだが、ただ軍律を乱して先陣を切ったのを家康に咎められ、それで徳川家を離れて学問や芸術の世界に入ってしまったんだ。私はね、他にも彼が鎧を脱いだ理由はあるとおもうよ。武士であった丈山が戦うことをやめて風雅の世界に没頭するようになったのにはよっぽどの訳があったとおもう。まあ、少し乱暴な想像だが、彼は失恋でもしたのかもしれませんね。」
 早苗が言った。
「ほんとうにきれいなお庭だわ。秋の紅葉はきっともっと素晴らしいでしょうね。茂木さん、また、あたしを紅葉の頃にここに連れて来てくれますか。」
「ええ、いいですよ。もちろん喜んでお供いたしますよ。プロの写真家をもってしても、ここのお庭の美しさを写真に残すことは出来ないとおもいますよ。やはり、このお庭の美しさは自分の目と肌で感じて心に残さないと無理ですからね。実際に春、夏、秋、冬とそれぞれの季節にやって来ないと本当の素晴らしさは分からないものですよ。」
「本当にきれいだわ。またきっと連れて来てくださいね。」
「ついでに偉そうな事をもう一つ言わせてもらうと、お庭を鑑賞する時はね、出来れば座敷の奥まったところから眺めると作庭者の意図が読めるのだそうですよ。禅院式枯山水などの場合はとくに眺める場所というか、ポイントがあるらしいのですよ。しかし、この詩仙堂のお庭は立つ位置によって表情が変わるように造られていて、それもどこから見ても素晴らしく、丈山の才能をあらためて感じさせられてしまうわけです。そして、見えますか、ほら、後ろの山の自然そのものを完全にお庭に取り込んでしまっていることも忘れてはいけない。正に絶品であるとしか表現が出来ないお庭ですね。詩仙堂は風流の極みそのものと言ったところでしょうか。」
 ボンボンが備え付けのサンダルを履いてお庭に出た。茂木はボンボンがお庭の白い砂の上に立ったのを見て大きな声で言った。
「ボンボン、何で白い砂がお庭に敷き詰めてあるのか分かりますか?」
 ボンボンは首をかしげている。
「昔は電気がなかったでしょう。だから夜はとても暗かったのですよ。少しでも明るくしようと昔の人々は月の光を白い砂に反射させて利用したんだ。銀閣寺のお庭にしても、仁和寺のお庭にしても白い砂は同じ意味を持っています。」
 ボンボンは大きく頷いて、お庭の奥の方へ入って行ってしまった。
「ねえ、早苗ちゃん、私たちもお庭に出てみましょうか。すべての方向、それがどんな見る角度だろうが、実に素晴らしい絵になるからびっくりしますよ。計算しつくした丈山の作庭技術に感心させられますよ。ねえ、行ってみましょうか。」
  
 さほど広くない詩仙堂だが、三人はまるまる一日そこで過ごした。途中でタクシーには帰ってもらった。それほど三人は立ち去りがたいお庭だったのだ。


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