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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第13回   滝口寺 ・ 鴨川
滝口寺

 祇王寺の隣の滝口寺も「平家物語」ゆかりのお寺だ。滝口入道と横笛の悲しい恋の舞台となった。他の嵯峨野のお寺と同様に竹林や楓の中にたたずむ閑静なお寺だ。

「ボンボン、ここにも木像があるよ。仲良く寄り添っているが、これは後世の人々が哀れな二人を一緒にしてあげようとして安置したものです。この木像を見ていると二人の恋の物語が目の前に甦ってくるようだよ。」
 人通りの少ない細い参道を登りながら茂木はボンボンに長い話を続けた。
「平重盛の家臣斎藤時頼(滝口入道)と建礼門院の女官横笛がこの悲恋物語の登場人物です。西八条殿での花見の宴で時頼は横笛に一目惚れしてしまうんだ。ところが彼の父親に何故あんな横笛ごときに想いをそめるのかと叱られてしまう。身分が違うし、お前は将来、平家を支えていく名門であることを忘れてはならないと反対されてしまう。しかし時頼は好きでもない女を妻として生きることは本心ではないし、そうかと言って親の反対を押し切ってまで横笛と一緒になるような親不孝は出来なかった。時頼は悩んだあげく、父や主君の期待に背いて恋に迷う自分を責めて往生院三宝寺で出家してしまう。滝口寺の前身のお寺です。そのことを知った横笛は山野を傷だらけになりながらも時頼に会いに来たんだ。
息を切らしながら横笛は門番に言った。お願いでございます。この門をお開け下さいませ。横笛でございます。どうぞ滝口様にお伝えください。横笛が参ったと。もう一度だけ滝口様のお姿が見たくて都より遣って参りました。どうか門をお開け下さいませ。とね。ところがね、ボンボン、時頼は彼女に会うことはせずに、彼女を泣く泣く追い返してしまうんだよ。時頼は寺の門番に命じてこう言わせた。ここにはそのようなお方はおりません。どうぞお引取り下さい。とね。横笛は最後の力を振り絞って再び大きな声で門番に同じ言葉を繰り返した。時頼はその声を奥で聞いていたのだけれども、とうとう姿は見せなかった。門番が冷たく言い放った。どうぞお引取り下さい。横笛はうな垂れて引き返すが、参道の途中で立ち止まり、自分の指を切って、その血で歌を石の上にしたためたんだ。自分の本当の想いを時頼に伝えるためにね。今でもその石は残っているよ。このお寺は明治時代に滝口入道という小説が出て、その名にちなんで滝口寺と改められたようです。」
長い話だったが心地よかった。嵯峨野の田舎道をゆっくりと歩きながら、ボンボンは茂木の話を聞いていた。思い出したように茂木が言った。
「ボンボン、その未練を残して別れた二人はその後どうなったとおもう?」
風で竹林が揺れた。ボンボンは早苗の親父さんに言われた言葉を思い出していた。ぼんやりしているボンボンに向かって茂木が聞いた。
「この辺は良い所でしょう。目を閉じると風を感じることが出来る。」
「ええ、とても素晴らしい所ですね。気持ちも落ち着きます。失恋した者にはある意味で救いですよ。何だか心の中にまで風が吹いてきて、嫌なことを吹き飛ばしてくれるようです。」
「さっきの話の続きですがね、滝口入道は横笛への想いを断ち切ろうとして、さらに修行を積む為に女人禁制の高野山に移るんだ。それは二十歳に満たない青年にとっては過酷すぎる試練だよ。一方、横笛も同じ仏様のお側に参りますと言って、奈良の法華寺で尼さんになってしまうんだ。二人は離れていても心は間違いなく夫婦そのものだった。しかしね、間もなく横笛はこの世を去ってしまう。そして横笛の死を知って滝口入道は深く悲しみ、益々、修行を重ねて高野の聖と呼ばれる偉い高僧になったということだよ。」
 そんな話をしながら、二人は竹林を抜けて嵯峨野で一番古い湯豆腐屋、開業当時から湯豆腐一本のお店の前に出ていた。
「ボンボン、豆腐を食べたことがありますか?」
「はい、ありますよ。僕の国にも豆腐はありますから、トクワと呼ばれています。きっと華僑が持ち込んだ食べ物でしょうね。でも、日本の豆腐のような繊細さはありませんよ。硬くて炒め物に入れて食べるくらいで、湯豆腐には出来ません。」
二人は禅の修業道場をおもわせる湯豆腐屋に入り、湯豆腐定食を食べながら話した。
「茂木さん、さっきの滝口入道は何で横笛を連れて出て、どこか誰も知らない所で一緒に暮らさなかったのでしょうか。」
「滝口入道は若かった。それに身分が高い平家一門の教育しか受けていなかったからね、経済的には何も困らない世界の人間だったから横笛を連れて逃げて生活する能力はきっとなかったと私はおもうな。」
「でも、本当に彼女のことが好きなら、何でも出来たと僕はおもいますよ。」
ボンボンは自分と早苗のことを照らし合わせているようだった。
「そうだね、だからそれが出来なかった自分を責めて出家したのかもしれませんね。」
「でも、出家するということは、結局、苦難から逃げてしまったと同じことだと僕はおもいますが、違いますか?」
「出家するということは、俗世間の楽しみすべてを断つわけだから、やはり厳しい道だとおもうよ。滝口入道が横笛を連れて俗世間で暮らせたかどうかは疑問だな。二人は生活習慣も身分も違いすぎる。仮に夫婦になったとしても一年とはもたなかったとおもうよ。すぐに破局したかもしれない。」
「しなかったかもしれない。」
ボンボンがむきになってもう一度言った。
「破局はしなかったかもしれませんよ。」
「そうかもしれない、でも結果的に横笛を連れて逃げられなかった自分を責めて、死ぬまで滝口入道は横笛を愛し続けたとおもいますよ。」
「茂木さん、僕は彼はもっと正直に生きるべきだったとおもいますが。」
ボンボンはまるで自分自身にそう言い聞かせているようだった。たとえ、早苗ちゃんの父親に何と言われようとも自分に正直であれと勇気づけているようであった。
「人を愛する、あるいは結婚するということは現代よりも昔の方が難しかったのだろうとおもうよ。身分とか家柄もあり、時には戦略的に結婚させられるケースも多かっただろう。親の権力は今より強かったからね。そして都会よりも田舎のほうがいろいろなしきたりもある。狭い社会で人付き合いが重視される以上、結婚に対しても慎重になってくる。ボンボン、そしてついでに言わせてもらうと、怒らないでほしいのですが、国際結婚となるとさらにいろいろな問題が出てくる。文化の違いや言葉の違いもあるだろう、価値観もまったく違うこともある。日本人は肌の色やアジアやアフリカの人々への偏見も大きい。日本のように島国で単一民族から成り立っている国では混血児に対するいじめも考えられる。だから親たちは自然と国際結婚には慎重にならざるをえないのが現実じゃないのかな。それはとても残念なことですけれどね。」
 ボンボンは早苗ちゃんの親父さんが言った言葉を思い出していた。もう早苗とは会わないでくれと言われた時のことを思い返していた。今、茂木さんが言っていた説明も早苗ちゃんの親父さんから突然言われた言葉もボンボンにはどうしても納得がいくものではなかった。


鴨川

茂木の下宿は京都の大学からさほど遠くない哲学の道にあった。銀閣寺に近く桜並木が続いている静かな住宅地の中にあった。茂木は父親の勤務先である外交省の上官の邸宅に世話になっていた。だから貧乏学生の下宿を想像していたボンボンを驚かせた。旧家で家の周りを刈り込みの垣根が囲んでいる大きな屋敷である。入り口は格子戸になっていて、京の風情を感じさせていた。飛び石を踏みながら、よく手入れの行き届いたお庭を抜けて玄関に入ると、奥からこの家の奥さんが飛び出てきた。茂木の顔を見ると、挨拶もせずに言った。
「いやあ、茂木さん、どこへいっとったん。お客さんですがな。きれいな人え、さっきから茂木さんのお部屋で待ってなはる。あの人、茂木さんのいい人と違うんやろか。」
 玄関の那智黒の石の上に赤い靴がきちんと並べられてあった。茂木がボンボンのことをおばさんに紹介した。
「おばさん、こちらボンボンさん。東京の教育の大学の学生さんです。フィリピンから国費で来ている超エリートですよ。」
「よう、おこしやしたな。京都は初めてどすか。」
「はい、初めてです。前から聞いてはいましたが、本当に良いところですね。」
「今日はどこを、お回りになりましたの。」
「鷹峰と嵯峨野を少し回ってきました。」
ボンボンはまだ京都美人と話を続けたそうであったが、茂木は部屋にいる客が誰なのかが気になって仕方がなかった。ボンボンを急がせながら、黒光りしている階段を上っていった。十畳ほどの茂木の部屋には至るところに本が積み上げられており、部屋の中央には少し大きめのコタツがでんと置いてあった。コタツの上にもたくさん本が散らばっていて、部屋全体に古本屋のあの独特のにおいがしていた。少し寒かったがコタツには入らずに畳みの上にきちんと座っていたのは早苗であった。茂木は引き戸を開け終わる前に大きな声で早苗に言った。
「いらっしゃい。いつ京都に来たの?」
「さっき着いたところです。まっすぐにここに来ました。」
 ボンボンも遅れて部屋に入ってきた。早苗とボンボンの視線が重なり合ったが、二人ともすぐには言葉が出なかった。茂木がその視線を割って入って話を続けた。
「そうだ、お茶でも入れてこようか。それともコーヒーの方がいいかな。」
二人からは返事がない。茂木は立ったままで言った。
「下でお湯を沸かしてくるから、ボンボン、部屋に入って座っていて下さい。その辺の本をどかして、適当に座っていてください。」
 茂木は慌てて階段を下りて行った。部屋は古書のにおいで満ちていた。しばらく、沈黙が続いた後、ボンボンが先に言った。
「このにおい、古本屋さんのにおいですね。あの古書のカビのにおいですよ。茂木さんは毎日きっとたくさんの本を読んでいるのですね。」
「ええ、そうですね。あたしもさっきから同じ事を考えていましたの、でも、そんなにはくさくはありませんわ。」
 やっと、話になった。早苗が塞き止めていた堤防を壊したように話し出した。
「ごめんね、ボンボン。父さんは悪い人じゃないのよ。ただ田舎者だからさ、何をあなたに言ったのかは知らないけれど、どうか許して下さいね。善光寺さんから帰って、そば屋の定ちゃんから話を聞いてびっくりしちゃった。定ちゃんはあたしの幼馴染なの。父さんは何も言わなかったけれど、定ちゃんが二人の話を横で聞いていてさ、それでね、あたしに教えてくれたの。茂木さんがボンボンを京都に連れて行ったって聞いてさ、あたし、居ても立ってもいられなくなっちゃって、・・・・・とうとう来ちゃった。」
「民宿の方は大丈夫なの。早苗ちゃんがいなくなると困るんじゃないの。」
「昨日から、泊まり客は半分になったから、もう大丈夫なの。それにあたし、父さんとちょっと喧嘩しちゃったから、何だか気まずくって、家を飛び出して来ちゃったの。」
 その時、茂木がコーヒーを持って部屋に入って来た。
「はい、お待たせ。コーヒー入れてきたよ。これ、イノダ・コーヒーと言って、京都では有名なコーヒー専門店のものですよ。味は保証付き、砂糖とクリームは入っていないよ。入れたい人はご自分でどうぞ。」
 茂木はひじでコタツの上の本をどけながら、コーヒー・カップがのっかったお盆をコタツの上に置いた。
「早苗ちゃん、ゆっくり出来るのかい?」
「どうしようかな、何も考えないで飛び出て来ちゃったから、まだ何も決めていないの。」
「ゆっくりしていったらいいよ。学校の来賓用の部屋が空いているかどうか聞いてあげるから、せっかく来たんだ、ゆっくり京都見物でもしていったらいいよ。この京都には案内してあげたいところが五万とあるからね。」
 茂木の通っている大学には構内に立派な宿泊施設があり、特に外国からの研究者の便宜をはかっていた。早苗はボンボンのほうを見てから言った。
「ボンボンはどうするの?」
「僕はもう少し京都を歩いてみようとおもいます。」
茂木は早苗の返事を待たずに電話の受話器を取り、二人に向かって言った。
「よし、話は決まった。ちょっと今、学校に電話して聞いてみますからね、ちょっと待ってて。」
 早苗はまだうつむいている。ボンボンは早苗が京都まですぐに飛んで来てくれたことが嬉しくてしょうがなかった。茂木が電話で話を始めた。
「アー、もしもし、印度哲学科の茂木ですが、二人お願いしたいのですが、ええ、そうです。二人です。あ、違います。二部屋お願いしたいのですが、そうです。二部屋です。ええーと、東京の外国語の鈴木早苗さん、ええ、そうです。ええと、もう一人が東京の教育の・・・・・・・、ちょっと待ってください。」
 茂木はボンボンの名前を知らなかった。ニック・ネームだけしか知らなかった。手で受話器を押さえながら、ボンボンに向かって訊ねた。
「ボンボン、あなたの名前を教えて下さい。フルネームは何ですか?」
 早苗がボンボンに代わってすぐ答えた。
「ボニー・バナアグです。」
 再び茂木は受話器に向かって話し出した。
「もしもし、お待たせしました。ボニー・バナアグです。そう、教育の大学の留学生です。はい、そうです。はい、千円ですね。一人千円ということですね。分かりました。有り難うございました。ではよろしくお願いします。あまり遅くならないうちに参りますから。では失礼します。」
 茂木は自分のコーヒーを取り上げて、すすりながら二人に言った。
「大丈夫、取れました。一泊千円だそうです。安いでしょう。シーツのクリーニング代しか要求しませんでしたよ。あとは学校が負担してくれます。」
「いいのですか?それで。」
と早苗が恥ずかしそうに呟いたが、茂木は嬉しそうに切り返した。
「ええ、大丈夫ですよ。うちの研究室は比較的利用する回数は少ない方ですし、他の研究室の連中なんか、あの学校のホテルを自分の家のように年がら年中使っていますからね、まったく心配はいりません。」
早苗が礼を言った。
「茂木さん、有り難う。何から何までお世話になってしまって。」
「いいのですよ、そんなこと。あそこは古い建物だけれども、きっと気に入ってもらえるとおもいますよ。たった千円ですけれども、しっかりしたホテルですからね。帝国ホテルにも負けないくらいだと私はおもいますよ。どうぞゆっくりしていって下さい。滅多にない機会なのだから。」
 もうすっかり三人は打ち解けた雰囲気になっていた。早苗が言った。
「さっき、ここに来た時、あたし、少しびっくりしちゃったの。茂木さんの下宿に来るのは、あたし、これが初めてでしょう。茂木さんの下宿って、もっと汚いのかとおもっていましたのね、ごめんなさいね、想像していたのとはだいぶ違って、とてもきれいだったから驚いちゃって、それにこの辺はとても落ち着いた良い所だし、こんなに大きなお屋敷に茂木さんが住んでいるなんって、何だか羨ましくなりました。」
「そうでしょう。私もここの下宿はとても気に入っているのですよ。有名な哲学の道も目の前ですしね、京都を散策するにはもってこいの場所ですよ。」
 哲学者西田幾太郎が命名した「哲学の道」は若王子神社から銀閣寺までの約2キロメートルの散歩道だ。右手に琵琶湖疏水、湖畔には桜の並木道が続き、安楽寺、霊鑑寺、法然院なども道すがら訪ねことが出来ると同時に京都の自然もたっぷりと楽しむことが出来る散歩道だ。茂木は立ち上がりながら二人を誘った。
「京都の大学のホテルに案内する前に、すぐそこなので、銀閣寺のお庭に行ってみませんか。京都を代表するあまりにも有名な観光名所だけれども、なかなか渋くて、私はとても好きなのです。どうです、ボンボン、寄ってみませんか?早苗さんは銀閣寺には行ったことはありますよね。」
「ええ、あたしは修学旅行で一度だけ行ったことがありますけれど、あの時はただ忙しなく通り過ぎただけでした。」
「ボンボン、銀閣寺を造った足利義政は庭園を造ることに関しては素晴らしい才能と情熱をみせた将軍だったけれど、本業の政治には特にこれというものはなかったようだね。京都が戦場となってしまったことはもちろん彼一人の責任ではないけれど、もう少し庭園造りのような力量が政治にもあれば、戦乱でたくさんの京都の重要文化財を失わずにすんだと私はおもうね。それとも庭造りは現実からの逃避だったのかもしれないね。権勢が衰えてしまって、もう庭を造ることしか足利義政にはなかったのかもしれない。」
 三人は銀閣寺の入り口にある大きな垣根の間を歩いていた。その巨大な刈り込みはよく手入れがされていて、この垣根の刈り込みだけでも文化財としての価値は十分にある。この垣根を芸術作品と言っても過言ではないほど見事な出来栄えである。しかしこのお寺の一番の見所は何と言っても銀閣寺という通称の由来にもなった銀閣で、観音殿とも呼ばれている義政の別荘だ。彼の祖父であった義満が造ったあの豪華絢爛な金閣に対抗して、義政は銀閣の建物全体に銀箔を施すつもりだったらしい。ところが室町幕府はちょうど衰退の坂を転がり落ちていたところだったから、経済的にはそれどころではなかったみたいだ。しかし銀箔を塗ることが出来なかったことがかえって銀閣に日本人が好む「わび」とか「さび」と言ったような枯れた風情を生じさせることになった。結果として次第に人々の高い評価を得るようになった。また下段の庭園は池泉回遊式庭園でまるで花札の絵のような感じである。夜間は入ることは出来ないけれど、月をバックにこの庭園で記念写真が撮れたらどんなにか素晴らしいことだろう。上段の庭園は枯山水式庭園で当時の大名や貴族たちから献上された名石が至るところにごろごろ転がっているのも贅沢なかぎりである。

 銀閣寺を後にした三人は丸太町の橋の上を歩いていた。橋の下には鴨川が流れている。茂木が早苗とボンボンに橋の上から指差しながら大きな声で言った。
「ここだよ、この景色をよく覚えていて欲しい。ここが京都だよ。京都を離れて真っ先に思い出すのがこの景色なんだ。鴨川の河原に舟宿みたいな料亭が幾つも並んでいるだろう。日が暮れかかった頃、ここからの眺めはどこか寂しいが京都の風情そのものだよ。」
 ボンボンが何度も頷いた。
「茂木さん、僕にも分かりますよ。この鴨川の流れと桟敷のような料亭の縁側、実に日本的だ。ここが京都なんですね。」
「そうだよ、お寺やお庭も良いが、この鴨川のこの夕暮れの風景が私の京都なんだ。」
 早苗もまったく同感といった感じで、しばらく川の流れを見つめていたが、しみじみと振り返って二人に言った。
「不思議ね、私たち三人はまったく別々の所で生まれて、別々な環境で育ったけれど、今、こうして同じ風景を見て、同じ感情を持つなんて、本当に不思議よ。この河原のどこか寂しい情景を私も京都だと思うわ。きっと誰かに京都のどこが好きですかと聞かれたら、迷わずにこの橋の上から見る鴨川の流れだと答えるでしょうね。」

 ボンボンと茂木、そして早苗の三人はもうとっくに暮れてしまった鴨川の流れを飽きもせずに、いつまでもいつまでも眺めていた。
 洛北の山々から水を集めた鴨川は鮎が泳げるほどの清流だ。河原には多くの恋人たちが寄り添って語り合っている。川面をなでる風が恋人たちを冷やかしていた。


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