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作品名:続編 小説「ボラカイ島」 作者:南 右近

第12回   源光寺 ・ 祇王寺
源光寺

豊臣の時代から徳川の時代へ移り変わる動乱の時、各地の大名はどちらに加勢したらよいのか迷っていた時代である。関が原の戦いの手始めとも言うべき合戦であった。伏見城の留守を任されていた鳥居元忠の軍勢千八百名は石田三成の攻撃を受けた。善戦しよく耐えたが、三成の大軍には結局勝てずに力尽きてしまう。元忠は城に籠る約四百名と共に自決して留守居役としての責任を果たした。その血しぶきでもって伏見城を真っ赤に染めてしまった。伏見城は明治維新の後に解体されることとなり、その切腹の場となった廊下の板の間などが養源院、源光寺、正伝寺などの寺院に運ばれ、天井に用いられた。近年になって血液学者の権威がこの血天井の血痕を分析し、その化学的反応から確かに伝えられる通りの古い血液だという証明がなされたそうだ。戦国の世の悲しくて残酷な出来事であった。

 ボンボンと茂木はかつては山林だった京都の鷹峰にある源光庵の本堂の中を歩いていた。源光庵は天皇や大宮人が狩猟をした洛北の鷹峰にある静かな美しいお寺で参道に入って桜門に進むだけでも心が落ち着いてくるから不思議である。禅寺の枯淡の趣が溢れていて、本堂の前には枯山水の庭園「鶴亀の庭」が広がっている。そして本堂には二つの窓があり、その窓はお庭を眺める為のものでありながら、主役のお庭そのものよりも窓の方が名高いのである。最近ではコマーシャルでもその窓は使われ紹介されているようだが、日本の美、いやもっと深い、何か心の奥深いところにあるものをこの窓は感じさせる。茂木がボンボンに説明する。
「正確に真円を描いたような丸い窓は悟りの窓と言われていて、禅における悟りの境地を表しているそうです。そして四角いガラスの引き戸の窓は迷いの窓と言われて、人間の一生における苦悩を表しているのだそうです。生老病死四苦八苦を表現しているのだそうです。」
その説明を聞いて、しばらく考え込んでしまったボンボンであったが、おもむろに彼の意見を言った。
「四角と丸の形に切り取られた庭の風景を見ていると、何か深く心に響くものがありますね。それが何であるのかはよく分かりませんが、確かに感じますよ。」
「それでいいのですよ。ボンボン、禅の境地というものは心で見て感じとるものですから、それでいいのですよ。二つの窓から自分の心の中をのぞき込む、窓を通して心と話をすることこそ禅の道なのだそうですよ。円通の心、ここまでくると私にはよく分からないけれど、禅の心と真理があまねき行き渡る意味の円通、それは大宇宙をもさすのだそうです。勉強不足でうまく説明が出来ません。ごめんなさい。驚くほど簡素な造形の中に禅の思想は隠されていると私は解釈しています。世界的に有名な竜安寺の石庭にしても十五個の石が置かれただけのお庭だけれど、そこでは様々な禅問答が繰り返されている。見る人がそれぞれの心を自由に広げていって、その想像は無限に広がっていく、すべてのものがどれ一つとして同じものがないようにね。」
 茂木はボンボンに本堂の廊下の天井の黒い染みを指差しながら言った。
「ボンボン、あの黒い染みは人間の血だよ。昔、京都にお城があってね、そのお城のお侍たちが城を守りきることが出来ずに切腹した時の血だよ。」
「ハラキリですね。でも、どうしてこの天井に血痕があるのですか?」
「私にもよく分からないけれども、今、僕らがこうして話をしていることに、とても意味があるのだとおもいますよ。伏見城でたくさんの人が腹を切ったことを後世の人々に知ってもらう為に寺の住職が敢えてこのお寺の天井にその遺材を使ったのだとおもいます。」
「茂木さん、カミカゼにしてもハラキリにしても、日本人ではない僕には理解できない部分が多々あります。」
「そうかもしれないな。でも、戦後の日本の奇跡的な経済復興は武士道の精神がなければ成し遂げられなかったかもしれないよ。これからも日本人は会社の為にすべてを犠牲にして働き続けるだろう。でも、いつか、腹を切らされる時がくるかもしれない。会社の存続の為にハラキリをさせられるかもしれないよ。でもね、死に方の美学みたいなものが日本人の心の中には脈々と流れているんだよ。自己主張を前面に出す欧米人とはそこがちょっと違うところかもしれないね。」
「血天井ですか。いろいろ考えさせられますね。さっきの窓といい、この廊下といい、何も説明されなければ、ただ通り過ぎてしまっただけでしたよ。何事もただぼやっとしていたのではダメなのですね、つねに見えないものを感じとる気持ちを持っていなければいけませんね。」



祇王寺

 祇王寺はうっそうと茂る木々の合間にたたずむ藁葺きの庵でいつ行ってもひっそりとした空気に包まれている。竹林は嵯峨野を代表する風景だが、この祇王寺も美しい青竹や楓に覆われて四季折々に味わい深い。でも、何と言ってもその閑静なたたずまいがこのお寺の見どころである。

「ボンボン、京都のお寺さんを歩く時はそのお寺さんに伝わる物語を知らないとその良さは半減してしまうものだよ。」
茂木がぼそっと言った。ボンボンはその声を聞いているのかいないのか、新緑の目の覚めるような緑と苔の上に静かに差す木漏れ日に気をとられていた。
「茂木さん、きれいですね。お庭は新しい黄緑色の草に覆われていますが、そこに流れ落ちてくる光の雨、こんなのは初めてみましたよ。」
「この静寂な空間はすべてを清めてくれるみたいだ。本当に美しい。これが木漏れ日というやつですよ。」
「木漏れ日ですか。」
「さっきの話の続きだがね。その前にあそこにある木像が見えるだろう。祇王と妹の祇女、母の刀自、そして平清盛だよ。彼らがこのお寺の主人公たちだ。祇王は白拍子の人気ダンサーだった。白拍子というのは平安時代に起こった舞のことで女性が男の格好をして殿上人や僧の様子を歌いながら舞ったもので女歌舞伎や女猿楽のルーツとなったものだよ。私は能楽にも大きな影響を与えたとおもっているのだがね。このお寺の主人公である祇王はその白拍子の踊り子だったわけだよ。平清盛というその時代の権力者に祇王は愛されるのだが、後で清盛に捨てられてしまう。そして昔は人家もない寂しい山野であった嵯峨野に来て静かに清盛のことをただ想い続けるという物語なんだ。」
ボンボンはじっと茂木の話を聞いていた。早苗のことを考えているようであった。茂木が続けた。
「あそこに安置されている仏御前は祇王から清盛を奪った女性だよ。彼女も祇王と同じように清盛に捨てられてね、この寺で共に余生を送ったらしい。」
やっとボンボンが話し出した。
「茂木さん、どの木像も眼に水晶玉が入っていますけれど、何か意味があるのでしょうか。」
「私は木像のことはよく知らないが、それは鎌倉時代の木像の特徴らしい。」
「それにしても、どの木像もとても悲しそうな表情をしていますね。平清盛を除いてね。」
「いつの間にか、木像にも祇王たちの気持ちが伝わったんだね。この嵯峨野の祇王寺は平家物語に登場する祇王のゆかりのお寺というわけだよ。悲恋のお寺として女性たちの間ではとても有名ですよ。ここに萌えいずるも枯れるも同じ野辺の花、何れか秋に合うではつべし、と記されてあるのは祇王が仏御前に書き残したものらしい。平清盛のおかげでどれだけ多くの女性たちが悲しい想いをしたことか、権力を持つと人間は他人の痛みが分からなくなるみたいだね。」
「きっとこのお寺は秋には紅葉がきれいでしょうね。」
「祇王寺の紅葉は遅いと聞いたことがあります。十二月の初めの週が見頃だそうですよ。私も写真で見たことがありますが、そうですね、うまく言葉では言えませんが、苔のお庭一面に散る枯れ葉がとても素敵で魅力的でしたね。京都の人々は祇王寺の楓は散ってからもなお美しいと絶賛します。悲しい恋の話を知ると散ってしまった紅葉でもいっそう美しく感じるものなのかもしれませんね。ボンボン、秋になったら、もう一度、ここに来て見ましょうか。紅葉に埋め尽くされたお寺はきっと素晴らしいとおもいますよ。竹と苔、そして紅葉、木漏れ日、悲しい恋の物語、それらがこのお寺に多くの人々を惹きつけているのですね。あそこに庵がありますね、そこの控えの間にある大きな丸窓も光の具合で影が虹の色に映えるらしい。とても神秘的で不思議な世界ですよね。」
「茂木さん、さっき見た木漏れ日だけでも僕は感激していますよ。京都に連れて来ていただいて感謝しております。」


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